はじめに
「眠れないから、寝る前に一杯」——そんな習慣をお持ちの方は少なくありません。実際、お酒を飲むと体が温まり、うとうとと眠りに入りやすくなるのは事実です。だからこそ、「寝酒は自分なりの安眠法」と感じている方も多いのではないでしょうか。
けれど、厚生労働省の「健康づくりのための睡眠ガイド2023」では、良い睡眠のために「晩酌は控えめにし、寝酒はしない」ことがはっきりと推奨されています。寝つきを良くしてくれるはずのお酒が、なぜ睡眠の敵とされるのか。この記事では、寝酒が不眠を悪化させていくメカニズムと、そこから抜け出すための考え方を、公的な資料をもとにお伝えします。なお、診断や治療方針の判断は医師が行います。ここでの内容は、相談前の目安としてお読みください。
お酒で「寝つきは良くなるのに、眠りは浅くなる」のはなぜか
アルコール(エタノール)には、一時的に寝つきを促し、睡眠の前半では深い睡眠を増やす働きがあります。「飲むとよく眠れる」という実感は、この前半だけを見れば間違いではありません。
問題はそのあとです。睡眠の後半になると眠りの質は顕著に悪化し、飲酒量が増えるにつれて、夜中に目が覚める「中途覚醒」の回数が増えることが報告されています。
鍵をにぎるのは「アセトアルデヒド」
その背景にあるのが、アルコールが体内で分解されてできる「アセトアルデヒド」という物質です。二日酔いの原因としても知られるこの物質には、強い交感神経刺激作用——つまり体を興奮・覚醒の方向へ向かわせる働きがあります。血液中に興奮性の物質(カテコールアミン)を増やし、睡眠を妨げるのです。
寝る前に飲んだお酒は、眠っている間に分解が進み、明け方にかけてアセトアルデヒドとして体を刺激します。「寝つきは良かったのに、夜中や早朝に目が覚めてしまう」という寝酒特有のパターンは、この仕組みで説明できます。
日本人は影響を受けやすい体質の人が多い
アルコールの分解能力には個人差があります。特に、アセトアルデヒドを分解する酵素(アルデヒド脱水素酵素、ALDH)の働きが弱い人は、飲むと顔が赤くなりやすいという特徴があり、日本人を含むアジア人には、欧米の人に比べてこのタイプが多いことが知られています。分解酵素の働きが弱い方は、少量の飲酒でも影響を強く受けやすいため、より注意が必要です。また、加齢によってもアルコールの分解能力は低下していきます。
寝酒が不眠をこじらせる悪循環
寝酒の本当の怖さは、「その晩の眠りが浅くなる」ことにとどまりません。続けるうちに、抜け出しにくい悪循環に入っていくことにあります。
耐性と依存——「飲まないと眠れない」状態へ
アルコールを続けて飲んでいると、体に「耐性」ができ、同じ効果を得るために必要な量が少しずつ増えていきます。さらに、体がアルコールのある状態に慣れてしまうと、飲まない日に「離脱」の反応が起こり、眠れない・イライラする・寝汗をかくといった症状が出ることがあります。
こうなると、「眠るために飲む」つもりだった寝酒が、いつの間にか「飲まないと眠れない」状態へと変わってしまいます。睡眠ガイドでも、寝酒を含めた深酒や毎日の飲酒は推奨されず、習慣的な寝酒は睡眠の質の悪化と関連することが指摘されています。
睡眠そのものへのダメージも
アルコールは、閉塞性睡眠時無呼吸(睡眠中に気道がふさがり呼吸が止まる状態)をはじめとした、さまざまな睡眠障害を悪化させることも知られています。いびきや無呼吸を指摘されたことのある方は、特に注意が必要です。
また、多量の飲酒はレム睡眠(体を休めながら脳が活動する眠りの段階)を大きく減らします。レム睡眠が少ないことと将来の健康リスクとの関連を指摘する報告もあり、寝酒は長い目で見ても体にとって負担となりうるのです。
寝酒から抜け出すには
急にやめると、かえって眠れなくなることがある
「今日からきっぱりやめよう」と意気込む方もいますが、毎日寝酒を続けてきた場合、急にやめると離脱によって不眠が強まることがあります。「やめたら余計に眠れなかった。やっぱりお酒が必要なんだ」と感じてしまうのは、この離脱反応によるところが大きいのです。
睡眠ガイドでは、週単位で徐々に量を減らしていくか、医療機関で相談しながらやめていく方法が挙げられています。焦らず、段階的に進めることが現実的です。
飲酒量の目安と、依存のサイン
生活習慣病のリスクを高める飲酒の目安は、1日平均の純アルコール量で男性40g以上、女性20g以上とされています(日本酒1合やビール中瓶1本で純アルコール約20gです)。この量を毎日超えているようであれば、睡眠のためだけでなく、体全体の健康のためにも見直しをおすすめします。
また、次のようなことに心当たりがある場合は、アルコールへの依存が始まっている可能性があります。
- 決めた量でやめられず、つい多く飲んでしまう
- 以前と同じ量では酔えなくなり、量が増えている
- 飲まない日に、眠れない・手がふるえる・イライラするなどの症状が出る
- 健康への影響を指摘されているのに、やめられない
こうしたサインが複数当てはまる場合は、意志の弱さの問題ではなく、治療の対象となりうる状態です。現在は、断酒だけでなく、まず飲酒量を減らすことから始める治療の選択肢もあり、患者さんの状況や希望に沿って治療目標を相談していく考え方が広まっています。
そもそもの不眠に目を向ける
忘れてはいけないのは、寝酒の背景には「眠れないつらさ」があるという点です。睡眠ガイドでも、寝酒の原因となる不眠症状がある場合には医師に相談することが推奨されています。不眠そのものを適切に評価し対処することが、寝酒から抜け出すいちばんの近道になります。
受診の目安
以下に当てはまるときは、早めの相談をおすすめします。
- お酒を飲まないと眠れない状態が続いている
- 寝酒の量が以前より増えている
- 減らそう・やめようとしても、うまくいかない
- 夜中や早朝に目が覚める、日中の眠気や疲れが続いている
- 飲まない日に、手のふるえ・寝汗・強い不安やイライラなどが出る
特に、飲酒をやめた際に幻覚やけいれん、強いふるえなどが出たことがある場合は、体に危険が及ぶこともあるため、放置せず必ず医療機関に相談してください。緊急の際は救急(119)または主治医にご連絡ください。
まとめ
お酒は一時的に寝つきを良くしますが、分解の過程で生じるアセトアルデヒドが体を覚醒させ、睡眠の後半の質を大きく損ないます。さらに続けるうちに耐性と依存が形成され、「飲まないと眠れない」悪循環に入ってしまうことが、寝酒の最大の落とし穴です。
寝酒をやめるときは、急にやめず週単位で徐々に減らすか、医療機関で相談しながら進めるのが安全です。そして何より、寝酒の背景にある不眠そのものに目を向けることが大切です。不眠は適切に評価し、治療していける症状です。「お酒がないと眠れない」と感じている方は、一人で抱え込まず、まずは安心できる場でご相談ください。
参考にした資料(要約・再構成。原文の転載ではありません):
- 健康づくりのための睡眠ガイド2023(厚生労働省)
- 新アルコール・薬物使用障害の診断治療ガイドラインに基づいたアルコール依存症の診断治療の手引き 第1版(日本アルコール・アディクション医学会/日本アルコール関連問題学会、2018)
執筆・監修:精神保健指定医 野口晋宏
よくある質問
お酒を飲むとすぐ眠れるのですが、それでも寝酒は良くないのですか?
アルコールは一時的に寝つきを促し、睡眠の前半では深い眠りを増やしますが、後半の眠りの質は大きく悪化し、飲む量が増えるほど夜中に目が覚める回数が増えることが報告されています。寝つきの良さだけを見ると気づきにくいのですが、睡眠全体としては損をしていることが多いのです。
毎晩の寝酒を急にやめたら、かえって眠れなくなりました。なぜですか?
アルコールを続けて飲んでいると体に耐性ができ、急にやめると離脱症状として不眠が生じることがあります。「飲まないと眠れない」状態は、寝酒がすでに悪循環に入っているサインです。週単位で少しずつ量を減らすか、医療機関で相談しながらやめていく方法が勧められています。自己判断で無理に断つ前に、一度ご相談ください。
どのくらいの飲酒量から注意が必要ですか?
生活習慣病のリスクを高める飲酒の目安として、1日平均の純アルコール量で男性40g以上、女性20g以上(ビール中瓶や日本酒1合程度で純アルコール約20g)とされています。ただしアルコールの分解能力には個人差が大きく、日本人には少量でも影響を受けやすい体質の方が多いことが知られています。量にかかわらず「眠るために飲む」習慣がある場合は、早めの見直しをおすすめします。
不眠のためにお酒を飲むのと、睡眠薬を使うのとでは、どちらが良いのでしょうか?
寝酒は睡眠の質を悪化させ、耐性や依存を形成しやすいため、良い睡眠のためには推奨されません。不眠が続いている場合は、その背景にある原因を評価したうえで、生活習慣の調整や必要に応じた薬物療法を検討します。どの治療が合うかは状態によって異なりますので、診断や治療方針の判断は医師が行います。