はじめに
「この薬を飲めばちゃんと眠れる。でも、いつまで飲み続けるんだろう」。「やめたいのに、前に自分でやめてみたら一睡もできなくて、頭はぼーっとして、本当に怖い思いをした。だからもうやめられない」。睡眠薬を長く飲んでいる方から、診察室でよくうかがう言葉です。眠れるありがたさと、飲み続けることへの不安。その両方のあいだで、にっちもさっちもいかなくなっている――この記事にたどり着いた方も、そんな気持ちなのではないでしょうか。
まずお伝えしたいのは、これはあなただけの悩みではない、ということです。睡眠薬をやめたいけれどやめられない、でも飲み続けるのも怖い。この揺れる気持ちは、睡眠薬を長く飲んでいる多くの方が抱えています。決して、意志が弱いからでも、だらしないからでもありません。
この記事では、睡眠薬の「常用量依存(じょうようりょういぞん)」とはどういう状態なのか、なぜ急にやめると苦しくなるのか、「飲み続けると認知症になる」といったネットの情報とどう向き合えばよいのか、そして焦らずゆっくり減らしていく現実的な考え方を、患者さん向けにやさしく整理します。なお、薬の減らし方は医師が一人ひとりの状態を見ながら決めるもので、この記事は自己判断で減薬・中止するための手引きではありません。
睡眠薬の「常用量依存」とは何か——乱用とは違います
「依存」と聞くと、薬がほしくて量がどんどん増えていく、薬のせいで生活が壊れていく――そんなイメージを持つ方が多いかもしれません。けれども、睡眠薬を長く飲んでいる方に起こりやすいのは、それとは別のものです。
専門的には「常用量依存」と呼ばれます。これは、決められた量をきちんと守って眠るために飲んでいて、薬のおかげで不眠そのものは改善しているのに、いざやめようとすると眠れなくなったり不調が出たりするために、やめる一歩が踏み出せなくなっている状態を指します。量を勝手に増やしているわけでも、薬を求めて生活が乱れているわけでもありません。
つまり、いわゆる「乱用」とは性質が違います。ご自身を「薬に溺れている」と責める必要はまったくありません。これは、まじめに治療を続けてきた方にこそ起こりうる、ごく自然な状態です。だからこそ、嗜癖(しへき)や意志の問題としてではなく、「やめづらさという不安」の問題として向き合っていくことが大切になります。
急にやめると、なぜ苦しくなるのか
睡眠薬をやめたくなったとき、いちばん避けたいのが「自分の判断で、急にやめてしまう」ことです。
長く飲んできた睡眠薬を突然ゼロにすると、それまで以上に眠れなくなることがあります。これを「反跳性不眠(はんちょうせいふみん)」といいます。「反跳」とは、ボールが跳ね返るように、抑えられていた不眠が一時的に強く戻ってくる、というイメージです。あわせて、日中に頭がぼんやりする、耳鳴りがする、そわそわして落ち着かないといった不調(離脱症状)が出ることもあります。
ここで知っておいていただきたいのは、こうした苦しさは「薬が体に合っていなかった」とか「不眠が一気に悪化した」というより、急なやめ方そのものが引き金になって起こるもの、という点です。だからこそ、つらい思いをした経験から「やっぱり薬は絶対にやめられない」と感じてしまうのは、とても自然なことなのです。
そして、一度この苦しさを経験すると、今度は「またあの状態になるのが怖い」という不安と、「飲み続けて大丈夫なのか」という不安の、両方を抱えることになりがちです。だからこそ大切なのは、急にやめないこと。ゆっくり時間をかけて減らしていけば、こうした反跳性不眠や離脱症状は起こりにくくできます。
「飲み続けると認知症になる」——ネットの情報との向き合い方
「睡眠薬を飲み続けると認知症になる」「8時間眠らないと体に悪い」。週刊誌やインターネットには、こうした不安をあおる情報があふれています。実際、診察室でも「ネットでこう書いてあったので、飲み続けてはいけない気がして」とご相談を受けることは少なくありません。
こうした情報を目にすると、「やめたほうがいいのか、でもやめるのも怖い、どうしたらいいんだろう」と、気持ちがますます揺れてしまいます。ご家族に相談しても「もう好きにすれば」と言われてしまい、ひとりで抱え込んでしまう方もいます。
ここでお伝えしたいのは、断定的に書かれた情報ほど、そのまま鵜呑みにしないでいただきたい、ということです。睡眠時間にしても、必要な長さは人それぞれで、6時間ほどで十分という方もたくさんいます。年齢とともに眠りが短く、早寝早起きになっていくのも自然なことで、日中の生活に支障がなければ過度に気にする必要はありません。
不安にさせる情報を見つけたときにしていただきたいのは、その情報をもとに自分で急に薬をやめることではなく、「こういう記事を読んで不安になった」と主治医に伝えることです。不安をそのまま相談すれば、あなたの状態に当てはまるのかどうかを、一緒に整理していけます。診断や治療方針の判断は医師が行いますので、不安なまま自分だけで結論を出す必要はありません。
やめたい、でも怖い——どちらの不安も自然なものです
「やめたい」と「やめるのが怖い」。この相反する気持ちが同時にあって、自分でもどうしたいのかわからなくなる。これは、睡眠薬を長く飲んでいる方にとても多い心情です。
不眠そのものへの不安、薬をやめることへの不安、そして飲み続けることへの不安。三つの不安が重なって、身動きが取れなくなってしまう。これは、あなたの気持ちが弱いからでも、わがままだからでもありません。むしろ、こうした揺れる気持ちは、ていねいに治療と向き合ってきた方だからこそ抱くものです。
ですから、診察ではこの「揺れ」を、そのまま話していただいて構いません。「本当はやめたい」「でも前にひどい目にあったから怖い」「飲み続けるのも心配」――その正直な気持ちを共有してもらえるほど、医師はあなたに合った進め方を一緒に考えやすくなります。気持ちを整理してから話さなければ、と気負う必要はありません。
減らす前に整えておきたいこと
睡眠薬を減らしていくには、いくつかの前提が整っていることが大切です。あわてて減らし始めるより、まず土台を整えるほうが、結果的に安全に進められます。
ひとつめは、もともとの不眠が安定していることです。睡眠薬を必要とした原因――眠れなさそのものが落ち着いていない状態で減らそうとすると、不眠がぶり返しやすく、離脱症状にも敏感になりがちです。まずは「いまは薬を飲めばちゃんと眠れている」という状態をつくることが、減薬のスタートラインになります。
ふたつめは、生活リズムを整えることです。不眠は、体に備わったリズムの乱れから起こる面があります。何時に薬を飲み、何時に布団に入り、何時に起きているか。日中に長く昼寝をしていないか。こうした生活の習慣を見直し、リズムを整えていくこと(睡眠衛生)が、薬を減らしていく支えになります。たとえば、布団の中で過ごす時間が長すぎないか、夜更かしや昼寝の習慣がないかなどを、主治医と一緒に確認していきます。
これらは、薬をやめるための準備であると同時に、薬に頼りすぎなくても眠れる状態に近づいていくための、大切な一歩でもあります。
焦らず慌てず——「1年で半分」くらいのゆっくりさで
睡眠薬を減らすときの基本は、とにかく「ゆっくり」です。
何年も飲んでこられた薬を手放すには、それ相応の時間がかかります。一気にやめようとすれば、先ほどの反跳性不眠や離脱症状で苦しくなり、かえって「やっぱりやめられない」という気持ちを強めてしまいかねません。
どのくらいゆっくりかというと、あくまで目安ですが、「1年かけて半分に減らせたら成功」と考えるくらいのペースが安全だとされています。たとえば、いくつかの種類を飲んでいる方なら、まず種類を一つ減らし、次にまた一つ、というように、年単位で少しずつ進めていきます。「来年の今ごろ、ここまで減らせていたら上出来」――そのくらいの気長さで構いません。
「そんなにゆっくりでいいの?」と思われるかもしれません。けれども、急いで失敗してまた振り出しに戻るより、ゆっくりでも確実に進むほうが、結果的に近道になります。焦らず、慌てず、気長に。主治医と一緒に、あなたのペースで減らしていけば大丈夫です。
受診の目安
以下のようなことに当てはまる場合は、一度ご相談ください。
- 睡眠薬をやめたいけれど、やめられず不安を抱えている
- 以前、自分の判断で急にやめて、眠れなくなったりつらい不調が出たりした経験がある
- 「飲み続けると認知症になる」などの情報を見て、不安になっている
- 飲む量や種類が少しずつ増えている気がして心配だ
- やめたい気持ちと、やめるのが怖い気持ちの両方があって、どうしてよいかわからない
これらは、専門家に相談する目安です。当てはまるからといって、すぐに薬をやめるべきと決まるわけではありません。判断は医師が一人ひとりの状態を見ながら行いますので、気になることがあれば、抱え込まずにご相談ください。
まとめ
睡眠薬をやめたいけれどやめられない、でも飲み続けるのも怖い――この揺れる気持ちは、長く薬を飲んでいる多くの方が抱える、ごく自然なものです。それは乱用とは違う「常用量依存」と呼ばれる状態で、意志の弱さでもだらしなさでもありません。
急に自分の判断でやめると、反跳性不眠や離脱症状でつらくなりやすく、かえって不安が強まってしまいます。だからこそ、まずもともとの不眠を落ち着かせ、生活リズムを整えながら、焦らずゆっくり減らしていくことが大切です。「1年で半分に減らせたら成功」くらいの気長さで構いません。「飲み続けると認知症になる」といった情報に不安になったときも、ひとりで結論を出さず、その気持ちをそのまま診察で話してください。焦らず慌てず、主治医と一緒に進めていけば、あなたに合った減らし方は、きっと見つかっていきます。
参考にした書籍(要約・再構成。原文の転載ではありません):
- 精神科臨床ライブ 精神科治療学 増刊号(星和書店)
よくある質問
睡眠薬がやめられないのは「依存」ですか
決められた量を眠るためだけに飲んでいて、量がどんどん増えたり生活に支障が出たりしていないのなら、いわゆる「乱用」とは別のものです。専門的には「常用量依存」と呼ばれ、薬を急にやめると眠れなくなったり不調が出たりするためにやめにくくなっている状態を指します。だらしなさや意志の弱さではありません。少しずつ減らしていくことで、安全にやめられることが多い状態です。
「睡眠薬を飲み続けると認知症になる」と聞いて不安です
週刊誌やインターネットには不安をあおる情報が多くありますが、断定的に書かれていても、そのまま当てはまるとはかぎりません。心配な情報を見つけたときは、自分ひとりで結論を出さず、その記事を主治医に見せて相談してください。不安にまかせて急に薬をやめてしまうほうが、かえってつらい思いをすることがあります。
減らすのにどのくらい時間がかかりますか
長く飲んできた方ほど、やめるにも相応の時間がかかります。あくまで目安ですが、「1年かけて半分に減らせたら成功」と考えるくらい、ゆっくり進めるのが安全だとされています。焦らず慌てず、主治医と一緒に少しずつ進めていきましょう。
自分で少しずつ減らしてみてもいいですか
自己判断で減らすのは避けて、まず主治医にご相談ください。減らす順番やペースは、いま飲んでいる薬の種類や量、もともとの不眠の状態によって変わります。一人で進めると、反跳性不眠や離脱症状でつらくなり、かえって減らしにくくなることがあります。「減らしたい」という気持ちを伝えるところから始めてみてください。
やめようとして眠れなくなったら、また薬を飲んでいいのですか
無理をしてつらいまま我慢する必要はありません。減薬の途中で眠れなくなったときの対応も含めて、進め方は主治医と一緒に決めていきます。うまくいかないことがあっても、それは失敗ではなく、ペースを調整する手がかりです。自己判断で増やしたり中断したりせず、そのつど相談しながら進めていきましょう。