はじめに
布団に入っても目が冴えてしまう。やっと眠れたと思ったら、夜中や明け方に目が覚めてしまう。「明日も仕事なのに」と焦るほど、ますます眠れなくなる――。そんな夜を過ごして、疲れがとれないまま朝を迎えている方は少なくありません。
眠れない夜が続くと、つい「睡眠薬をもらわないと」と考えがちです。もちろん薬が助けになる場面もありますが、その前に、あるいは薬と一緒にできることがあります。それが「睡眠衛生(すいみんえいせい)」と呼ばれる、生活のなかの工夫です。
睡眠衛生とは、ひとことで言えば「眠りを妨げているものを生活から取り除いていく」という考え方です。この記事では、朝の光やカフェイン、夜のスマホ、寝床での過ごし方といった今夜から始められる工夫を整理しつつ、「8時間眠らねば」「早寝早起きが絶対」といった、かえって眠りを遠ざけてしまう思い込みについてもお伝えします。なお、不眠の背景には体や心の病気がかくれていることもあります。診断や治療方針は医師が一人ひとりの状態をみて判断しますので、ここでは「眠りの土台づくりの全体像」として読んでいただければと思います。
睡眠衛生とは ―生活リズムを乱すものを取り除く
睡眠というのは、体に備わったリズム(生体リズム)の働きで、夜になると自然に眠くなり、朝になると目が覚めるようにできています。不眠の多くは、このリズムが何らかの理由で乱れていることと関わっていると考えられています。
そこで、不眠への取り組みの基本となるのが、「リズムを乱しているものを生活のなかから見つけて、取り除いていく」という発想です。これを睡眠衛生といいます。何か特別なことを足すというより、眠りの邪魔をしているものを引いていくイメージに近いものです。
睡眠衛生は、薬の前にできる眠りの土台づくりです。眠れないとき、私たちはどうしても「何を飲めば眠れるか」に目が向きがちですが、生活リズムが乱れたままだと、土台がぐらついている状態で薬だけに頼ることになってしまいます。まずは土台を整える――それが睡眠衛生の役割です。これから、具体的なポイントを順にみていきましょう。
朝の光が、夜の眠りをつくる
意外に思われるかもしれませんが、夜よく眠るためのカギは「朝」にあります。
私たちの体には、太陽の周期と合うように体内時計が備わっています。朝に太陽の光を浴びると、この体内時計がリセットされ、リズムが整っていきます。そして、朝しっかり光を浴びることが、その日の夜に「メラトニン」という眠りに関わる物質の分泌が増えることにつながると考えられています。メラトニンは、自然な眠気をうながしてくれる物質です。
つまり、朝の光は「夜の眠りの予約」のようなものです。逆に、一日じゅう室内にこもって光をあまり浴びないでいると、夜になっても眠りのスイッチが入りにくくなることがあります。
難しく考える必要はありません。朝起きたらカーテンを開ける、ベランダや玄関先に少し出てみる、近所を短く歩いてみる。最初は「毎日5分、外に出る」くらいの小さな一歩で十分です。朝が苦手な方ほど、ここを少しずつ整えていくことが、夜の眠りを助けてくれます。
夜のスマホ・強い照明が眠りを妨げる
朝の光が眠りを助ける一方で、夜の強い光は眠りを妨げます。
夜遅い時間にスマートフォンやパソコン、明るい照明から強い光――とりわけ「ブルーライト」と呼ばれる青みの強い光――を浴びると、せっかく増えようとしていたメラトニンの分泌が減ってしまうと考えられています。脳が「まだ昼間だ」と勘違いして、眠る準備が遅れてしまうのです。
とはいえ、現代の生活で夜にスマホやパソコンをまったく使わないというのは、なかなか現実的ではありません。大切なのは「ゼロにする」ことではなく、「できる範囲で減らす・遅らせない」ことです。
たとえば、こんな工夫があります。
- 夕食のあとは天井の明るい照明を消し、間接照明や少し暗めの灯りにする
- スマホやパソコンを止める時刻を、自分なりにあらかじめ決めておく
- 寝る前は、画面を見るかわりに音楽を聴く、軽いストレッチをする、読書灯で本を読むなど、強い光を浴びない過ごし方にする
止める時刻は、無理のない範囲で構いません。「これなら続けられそう」と思える時間から始めて、少しずつ早めていくのがコツです。続けられることが何より大切です。
カフェインとのつきあい方
コーヒーやお茶、エナジードリンクなどに含まれるカフェインには、眠気をさます働きがあります。仕事や勉強の合間には頼りになりますが、眠りとの関係では注意が必要です。
カフェインの影響は、飲んでからしばらく続きます。そのため、夕方から夜にかけてのコーヒーやお茶が、夜の寝つきを悪くしてしまうことがあります。「夜はあまり飲んでいないつもり」でも、午後に何杯か飲んでいると、その影響が残っていることもあります。
寝つきの悪さに悩んでいる方は、午後から夜にかけてのカフェインを少し控えめにしてみるのも一つの方法です。麦茶やカフェインの少ない飲み物に置きかえてみる、夕方以降のコーヒーをやめてみる、といった工夫から試せます。また、眠気をさますために日中ついカフェインを多くとり、それがまた夜の眠りを妨げる――という悪循環に気づくことも、見直しのきっかけになります。
寝床は「眠る場所」にしておく
眠れない夜、布団の中でスマホを見たり、考えごとをしたり、明日の段取りを思いめぐらせたりしていないでしょうか。気持ちはよくわかるのですが、これは眠りにとって遠回りになりがちです。
私たちの脳は、場所と行動を結びつけて覚えていきます。寝床でいろいろなことをしていると、脳が「寝床は起きて活動する場所」と覚えてしまい、布団に入っても自然な眠気が出にくくなることがあります。逆に、寝床を「眠るためだけの場所」にしておくと、布団に入る=眠るという結びつきが強まっていきます。
そこで、寝床に悩みごとやスマホを持ち込まないようにしてみましょう。心配ごとが頭から離れないときは、いったん起き上がって、思いついたことをメモに書き出してから布団に戻る、という方法もあります。
また、なかなか寝つけずに焦りが強くなってきたときは、無理に布団の中でがんばり続けるより、一度寝床を離れて、薄暗い部屋で静かに過ごし、眠気が戻ってきてからまた横になる方がよい場合もあります。「眠らなければ」と寝床で力むほど、かえって目が冴えてしまうことがあるためです。
「8時間信仰」にとらわれない
睡眠衛生を整えるうえで、もうひとつ大切なのが「眠りに対する思い込み」を見直すことです。
「8時間眠らないと体に悪い」「早寝早起きが絶対に正しい」。こうした言葉を耳にして、まじめな方ほど「もっと長く眠らなければ」と気負ってしまいます。けれども、必要な睡眠の長さは人によって違いますし、年齢を重ねると睡眠時間は自然と短くなり、早寝早起きになっていくものです。6時間ほどの睡眠で日中を元気に過ごせている方もたくさんいます。
大切なのは時計の上の数字ではなく、「日中の生活に支障が出ていないか」です。昼間に強い眠気で困ることがなく、普段どおりに過ごせているなら、睡眠時間の数字そのものを気にしすぎる必要はありません。
むしろ、「8時間眠らねば」という気負いが、眠れないことへの焦りを生み、その焦りがさらに眠りを妨げる――という悪循環につながることがあります。早く寝床に入りすぎて、かえって長く寝つけずに過ごしてしまうこともあります。眠くなってから布団に入る、という自然な順番を大切にしてみてください。睡眠衛生は「きちんと管理する」ことではなく、「眠りの邪魔を減らして体に任せる」ことなのです。
受診の目安
以下のようなことに当てはまる場合は、一度医療機関に相談してみることをおすすめします。
- 睡眠衛生を意識して工夫しても、眠れない状態が数週間以上続いている
- 日中の眠気や集中力の低下で、仕事や生活に支障が出ている
- 気分の落ち込み、強い不安、食欲の変化など、睡眠以外の不調もある
- 大きないびきや、睡眠中に呼吸が止まると指摘されたことがある
- 眠れないことへの焦りや不安が、かえって強くなってきている
なお、不眠の背景には体や心の病気がかくれていることもあり、診断や治療方針は医師が一人ひとりの状態をみて判断します。気になることは、どうぞ遠慮なくお話しください。
まとめ
睡眠衛生とは、眠りを妨げているものを生活から取り除いていく、薬の前にできる眠りの土台づくりです。朝の光を浴びてリズムを整える、夜は強い光やスマホを控えめにする、午後からのカフェインに気をつける、寝床は眠る場所にしておく――どれも今夜から少しずつ始められる工夫です。
同時に、「8時間眠らねば」「早寝早起きが絶対」といった思い込みにとらわれすぎないことも大切です。必要な睡眠は人それぞれで、加齢とともに短くなります。数字ではなく、日中を元気に過ごせているかを目安にしてみてください。
土台づくりと治療は両輪です。睡眠衛生を整えても眠れないときは、決して「努力が足りない」のではありません。眠りは、力を抜いたところにそっと訪れるものです。一人で抱え込まず、つらいときはどうぞお気軽にご相談ください。
参考にした書籍(要約・再構成。原文の転載ではありません):
- 精神科臨床ライブ 精神科治療学 増刊号
よくある質問
睡眠衛生を整えれば、睡眠薬は使わなくてすみますか。
睡眠衛生は眠りの土台づくりであり、軽い不眠ではこれだけで楽になることもあります。ただ、土台づくりと薬による治療は両輪で、どちらが必要かは状態によって異なります。薬の要不要は自己判断せず、医師にご相談ください。
毎晩8時間眠れないのですが、大丈夫でしょうか。
必要な睡眠の長さは人それぞれで、加齢とともに自然と短くなっていきます。日中の生活に大きな支障がなければ、8時間という数字にこだわりすぎる必要はありません。「眠らねば」という気負いが、かえって眠りを妨げることもあります。
寝つけないとき、布団の中でスマホを見てもよいですか。
寝床は「眠る場所」にしておくのが基本です。布団の中でスマホを見たり考えごとをしたりすると、脳が寝床を覚醒の場所として覚えてしまい、かえって寝つきにくくなることがあります。眠れないときは一度寝床を離れる方がよい場合もあります。
朝起きるのがつらく、太陽の光を浴びるのが難しいです。
無理に完璧を目指さなくて大丈夫です。まずは「カーテンを開ける」「毎日5分だけ外に出てみる」といった小さな一歩から始めてみてください。朝の光は夜の眠りを助けてくれます。起床がつらい状態が続く場合は、背景に別の要因があることもあるので、医師にご相談ください。
睡眠衛生を試しても、なかなか眠れません。
土台づくりには時間がかかることもあり、すぐに変化が出ないこともあります。一定期間続けても改善しないときや、つらさが強いときは、不眠の背景に体や心の状態が関わっていることもあります。一人で抱え込まず、医療機関にご相談ください。