はじめに
大人になってから精神科や心療内科にかかったとき、子どものころ友だちとどう過ごしていたか、どんな遊びが好きだったか、学校をどのくらい休んだか、といったことを尋ねられて、戸惑われたことはないでしょうか。いま眠れないこと、いま気持ちが沈んでいることを相談しに来たはずなのに、なぜそんな昔の話が要るのだろう、と。
種明かしを先にすると、どの質問にも共通する狙いが一つだけあります。いまの困りごとに発達の特性がどう関わっているかを見るには幼いころのやりとりの様子が手がかりになるのに、大人になったあとで、それを直接見ることはできない。だから、思い出せる質問に置き換えたり、通信簿のように残っている記録をたどったりして確かめているのです。答えは「よく覚えていません」で構いません。その確かめ方の中身を、一つずつ見ていきます。
うつや不安で受診した方にも、尋ねることがあります
いま困っていることをうかがっていくうちに、調子のよい日はとても元気で、忘れ物が多く、そのたびに落ち込む――そんな話が出てくることがあります。こういう話が混じっているときには育ちの経過のほうにも時間をかけて、背景に発達の特性が関わっているのかどうかまで見ていく。対談では、それが大人の診察の理想ではないか、と語られています。
大人の患者さんは、眠れない、気分が沈む、不安が強い、というさまざまな入口から受診されます。対談では、大学の精神科に勤める医師が、うつという見立てで受診された方に対しても、時間をかけられるときには子どものころの様子や小学校時期の欠席日数、友だち関係をひととおり尋ねている、と話しています。同時に、そこまで確かめずに終わる診察のほうが実際には多いのではないか、という危惧も語られています。どの医療機関でも必ずこう尋ねられる、という話ではありません。
発達の特性を専門に診ているクリニックでは、事情が少し違います。うつであれば治してほしくて受診されるのに対して、そちらに来られる大人の方では、自分の診断がどうなのかを知りたい、という訴えが多いのだそうです。眠れない、気持ちがすっきりしない、という形で来られるとはかぎらない、というわけです。
当院でも、うつや不安で受診された方について、必要に応じて、背景に発達特性がないかという視点を持って診察しています。うつの治療が長引いているという文脈のお話はうつの治療が長引くとき――発達特性と暮らしの負担という、もう一つの見直し方に、うつや不安の背景に発達の特性があった場合の話はASDのうつ・不安(二次障害)|つらさの背景に発達特性が隠れていることもにあります。
幼いころの友だち付き合い ── 確かめようのないものを、思い出せる形で
「子どものころ、友だちはいましたか」。こう聞かれて、すぐに答えられる方は多くありません。何十年も前のことで、いた気もするし、いなかった気もする。そこで診察では、質問のほうを当時の一場面に近づけます。幼稚園や小学校に上がって間もないころ、友だちとの間で困ったことはありませんでしたか。休み時間、みんなが校庭に出ていくとき、教室に残っているほうでしたか。当時の場面が思い浮かぶくらい具体的に聞かないと、思い出すこと自体が難しいものだからです。
こうしたやりとりでたどろうとしているのは、幼いころの共同注意(ジョイント・アテンション)の様子です。共同注意というのは、自分が気になっているものを、指さしたり声をかけたりして、相手と一緒に見る・一緒に関心を向ける、というやりとりのことです。大人になったいま、それを直接確かめることはできないから、幼いころの友だちとのやりとりを手がかりにしているのです。確かめようとしているのは、友だちが何人いたかではありません。
具体的に尋ねるなら、いちばんの手がかりは友人関係です。もっとも、具体的で、なおかつよく選り分けられる質問を作ること自体が難しい、とも対談では語られています。
時間が限られているときには、逆の向きから尋ねる手もあります。いま診察のなかで確かめている感覚のことや人とのやりとりについて、「それはいつごろからありましたか」「子どものころからありましたか」と遡っていく。過去から順にたどるのではなく、いまある特徴の始まりを聞く形です。
遊び方と、感覚のこと
親御さんに話を聞ける場合には、幼いころの遊びについて尋ねることもあります。「小さいころ、ごっこ遊びはしていましたか」「さあ……覚えていません」。ここで聞き方を変えます。「何をして遊ぶのが好きでしたか」「パズルばかりしていました」「一人でですか、どなたかと一緒にでしたか」。覚えていない、で止まっていた話が、当時どう過ごしていたかを思い出せるところまで近づいています。こうして具体的な場面へ近づけていくこと自体に意味があります。
偏食があった、着るものを嫌がった――幼いころの感覚の敏感さは、ご本人の記憶から抜け落ちていても、親御さんの側にはっきり残っている。それがめずらしくないどころか、むしろふつうなのだそうです。感覚の過敏さは自閉スペクトラム症(ASD)にかなり特徴的だとされており、他の項目より念を入れて聞いたほうがよい、と対談でも語られています。
ASDを検討するときに、限られた時間のなかでどこまで尋ねるか。その答えとして出てくるのが、遊びのこと、人とのかかわりのこと、感覚のこと――この三つを尋ねるだけでも、ずいぶん助けになる、という言い方です。友だち付き合いと遊び方と感覚の質問が同じ方向を向いているのは、そのためです。
幼いころの敏感さが、いまも音や光のつらさとして続いている場合のことはASDの感覚過敏とは?音・光・においがつらい大人の特性と日常の工夫に、感覚の負担と外出のしにくさとの結びつきは外に出られない状態が続いているとき、その理由が人づきあいだけとは限りませんにあります。
学校を休んだ日数と、通信簿
休んだ日数は、この対談のなかでは少し違う扱いを受けています。幼稚園から高校まで、どの時期にも学校へ行けなくなった期間がなかったかを、初診で一つずつ確かめる。同じ医師が、自分のところの若手にもそう教えている、という話が出てきます。長く休んでいた時期がある方には、何かがありそうだから、というのが理由です。
なぜ学校を休んだのか、という記憶は、「体のぐあいがよくなかった」くらいの曖昧さでしか残っていないものです。それでも通信簿を開けば、欠席日数の欄に数字がはっきり残っています。「友だち関係が最近よくなってきた」といった担任の短い記録が添えられていれば、それ以前は難しかったのだと分かります。担任がとても褒めて書いてくれていても、休んだ日数のほうを見ればよく分かる――そういう言い方もされています。通信簿の欠席日数は、客観的な所見になるわけです。
では、その数字をどう見るのか。この記事が下敷きにした対談本では、1年に20〜30日以上休んでいれば何かあったのだろうと考える、風邪で休むなら多くても10日以内におさまるから、という見当のつけ方が出てきます。ただし、同じ場面で、この数字を挙げた当の医師が、休んだ日数だけで診断はできない、とも断っています。学校を休む日が多くなる事情は、発達の特性のほかにもあるからです。
ここからは、この記事の側から申し上げます。学校に通い続けていたことと、そのあいだ消耗せずに済んでいたこととは、別のことです。休まなかったことが、困っていなかったことの証明になるわけではありません。
対談では、通信簿を持っている方には持参してもらう、という話も出てきます。ただ、実家にあって手元にない、もう残っていない、探すこと自体がつらい――どれもよくあることで、探し出してから受診する、という順序を踏んでいただく必要はありません。
いま、暮らしのなかで何に困っているか
ここまで見てきた三つの質問(友だち付き合い・遊び方・休んだ日数)は過去の話ですが、過去の答えを採点するために聞いているわけではありません。診察では、いまの暮らしのどこで行き詰まっているのかも一緒に見ていきます。しかも、まわりから言われて困っていることと、ご自身が困っていることの両方をうかがいます。そのうえで、行き詰まりが人との関わりや意思の伝わり方に関係するものであれば、自閉スペクトラム症(ASD)の可能性を強く考える――対談ではそういう順序が語られています。
人とのやりとりだけではありません。できているように見える方でも、そこに相当な力を注いでいる。日々の家事が回らないという困りごとは、それだけたくさんある――対談ではそう語られています。だから、できているように見えるかどうかではなく、どれだけの力を使って支えているのかまで尋ねます。
そこを確かめるのは、何ができていないかを数えるためではなく、何をどう支えればよいかを考えるためです。「やる気になればできる」と見るのと、「これだけ努力して何とか続けている」と見るのとでは、その後の支え方が変わります。あわせて、ご本人の側に「分かってもらえた」という手ごたえが残ること自体が、治療の面でとても大事だ、とも言われています。尋ねること自体が、支えの一部になっているわけです。診察の質問が過去といまを行き来するのは、幼いころから続く特徴を探して終わるためではなく、いまの困りごとを理解するところまでつなげるためです。
「どんなときに、どういう形で出るのか」まで尋ねること
同じ考え方は、いま出ている症状を尋ねるときにも使われます。「憂うつです」と聞いて、記録に「抑うつあり」と書いて終わるのではなく、どんな場面で、どういう形でつらくなるのかまでたどっていく。職場で誰と一緒にいるときなのか、どんなやりとりのあとに苦しくなるのか。そこまで具体的になると、その方の困りごとがどう成り立っているのかをつかむ手がかりになります。
診察で細かく聞かれるのは、答えをあらかじめ整理してきてほしいからではありません。話していくなかで、一緒に具体的な場面へ近づいていくためです。
思い出せなくても、ご家族に聞けなくても、受診していただけます
この記事でいちばんお伝えしたいのは、ここです。どれか一つの答えで何かが決まることはありません。「よく覚えていません」で構いませんし、何年生のときだったか、何日休んだか、といった細かい正確さも要りません。
大人になってから外来に来られる方では、親御さんがすでに亡くなられている、あるいは認知症で、育ちの経過を尋ねられないことも多いものです。その場合は、ご本人からうかがえることを中心に進めることになります。ご家族への確認も、通信簿のご準備も、必須ではありません。尋ねること自体が怖い相手であれば、なおさら確かめる必要も、診察に同席していただく必要もありません。相談先を含めて安全が脅かされているとき ── 関係改善の話が当てはまらない場面にまとめてあります。思い出せないこと・確かめる相手がいないことは、受診を妨げる理由にならないのです。手がかりがそろわないときに診断がどう進むのかは大人のASDの診断|何科で・どう調べる?生育歴やAQ検査の流れにあります。
当院での実際
当院は福岡県春日市の精神科・心療内科です。ご相談は、まずWEB予約(デジスマ)でご予約のうえ、初診前のWEB問診にお答えいただく形をとっています。子どものころのことは「よく覚えていない」とお書きいただいて構いません。詳しくは診察のなかで伺います。成人(18歳以上)のASD・ADHDの評価と診断は、問診(診察での聞き取り)を中心に行います。心理検査(知能検査・心理テスト)は当院では行っていません。
そもそもなぜ精神科医が過去のことを聞くのか、という総論は精神科医はなぜ子ども時代のことを聞くのか――生育歴を尋ねる理由と「話さなくてもいい」自由にあります。
そのほか近いところにあるもの ── 大人のASD(自閉スペクトラム症)とは?気づかれにくい特徴と受診の目安/大人のADHDの診断はどのように進むのか/大人のADHDとASDの違いと、両方が併存する場合/「検査を受ければはっきりする」と思っているあなたへ——発達障害の検査でわかること・わからないこと/勤めや親の支えがなくなったあとで、はじめて表に出てくる生きづらさがあります
参考にした資料(要約・再構成。原文の転載ではありません): この記事は、大人の発達障害をめぐって精神科医二人が語り合った対談本を下敷きにしています。
- 宮岡等・内山登紀夫『大人の発達障害ってそういうことだったのか その後』(医学書院、2018年)第2章および第4章のうち、成人の診察で発達の経過をどう尋ねるかをめぐる対談部分
よくある質問
子どものころのことを、ほとんど思い出せません。それでも受診してよいのでしょうか。
受診していただけます。大人になってから受診される場合、親御さんがすでに亡くなられている、あるいは認知症で、育ちの経過を確かめられないこともありますが、ご本人からうかがえることを中心に診察は進みます。当院のWEB問診も「よく覚えていない」という記載で差し支えありません。
親に当時のことを聞いたり、家族に同席してもらったりしないといけませんか。
必要ありません。確かめられないことは受診の妨げになりません。ご家族との関係のなかで怖い思いをされている、逆らえないと感じているというときは、その方に確かめる必要も、同席していただく必要もなく、おひとりで受診していただけます。なお、ご本人のことをご家族だけでご相談いただくことはできませんが、ご本人が受診され、同席に同意されていれば、ご家族に同席していただけます。
通信簿を持っていったほうがよいですか。
お持ちいただかなくて構いません。手元に何も残っていなくても、そのままご相談いただけます。
暴力や強い支配のある関係のなかにいます。この記事は当てはまりますか。
当てはめないでください。手が出ていなくても、怒鳴られる、黙り込まれて折れるまで待たれる、正しさを盾に責め立てられる、済んだことを何度も蒸し返される、病気であることを持ち出して思いどおりに動かされる、暮らしのお金を渡してもらえない――そうした形で相手を思いどおりに動かすために力が使われている関係も含みます。相手が親御さんやきょうだいでも、配偶者やパートナーの方でも同じです。この記事には当時のことをご家族に尋ねてみるという話が出てきますが、そういう関係のなかにいるときは、その方に確かめる必要も、診察に同席していただく必要もありません。おひとりで受診していただけます。そこで続いているつらさは、身の安全を確保することが先になります。相談先は「安全が脅かされているとき ── 関係改善の話が当てはまらない場面」にまとめてあります。そのうえで、そうした関係のなかで出てきた症状についてのご相談は、当院で承っています。