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「今は忘れ物をしません」の、その先を聞きたい

大人になってから、忘れ物をしなくなった人がいます。

仕事の予定はきちんと管理できています。提出期限も守れます。持ち物を忘れることも、以前ほどありません。

ただ、その人が毎日チェックリストを作り、何度も確認して、ようやく忘れずに済んでいるとしたらどうでしょうか。

外から見えるのは「忘れ物をしない人」という姿です。でも、その状態を保つために相当な努力をしているのかもしれません。

精神科医の宮岡等先生と内山登紀夫先生による対談本『大人の発達障害ってそういうことだったのか その後』には、こうした大人の話が出てきます。

ADHDの特徴があっても、大人になるまでに自分なりの対策を身につけ、現在は目立たなくなっている人がいるというのです。

そのような場合、診察では小学校や中学校のころに話を戻します。

  • 忘れ物は多かったですか。
  • 宿題はどうしていましたか。
  • 提出物を期限までに出せましたか。
  • 物をなくすことはありませんでしたか。

現在の生活だけを聞いていると、本人が長年の努力で補ってきたことを見逃す場合があります。

今できていることと、もともと苦労せずにできていたことは、必ずしも同じではありません。

大人の診察で何十年も前のことを尋ねる理由の一つが、ここにあります。

眠れなくて受診したのに、小学校の話になる

精神科や心療内科を受診するきっかけは、人によって違います。

眠れなくなった。気分が沈んでいる。不安が強くて仕事がつらい。

そうした相談の途中で、突然「小学校のころはどうでしたか」と聞かれたら、戸惑うのも無理はありません。

しかし、現在の不調について話しているうちに、忘れ物の多さや人間関係での苦労など、以前から続いている特徴が見えてくることがあります。

たとえば、調子のよい日は元気に過ごせる一方で、忘れ物が重なり、そのたびに落ち込んでいるという話です。

そのような場合、現在のうつや不安だけでなく、背景に発達の特性が関わっていないかを考えることがあります。

対談では、大学の精神科に勤める医師が、うつという見立てで受診した方についても、時間をかけられるときには子どものころの友人関係や欠席日数を尋ねていると話しています。

一方で、一般の精神科診療では、そこまで詳しく確かめずに終わることのほうが多いのではないかという懸念も述べています。どの医療機関でも同じように質問されるわけではありません。

発達の特性を専門に診るクリニックでは、受診する方の希望も異なります。うつを治してほしいという相談より、自分に発達障害があるのかを知りたいという相談が多いと語られています。

子どものころに「問題ない」と言われた人もいます

もう一つ興味深いのは、子どものころに発達障害と診断されなかった理由です。

対談に登場する医師の一人は、自分が診た大人の方について、以前に小児科医やスクールカウンセラーなどへ相談したことがまったくない人は少ないと述べています。

相談したものの、大丈夫だと言われた人もいたそうです。

別の医師も、成人後にASDと診断した方の中では、子どものころに誰にも相談していなかった人は少ないと話しています。

ここで考えられているのは、幼いころの特徴がどう現れていたかに加え、それを見ていた親御さんや専門家が何に気づいたかという問題です。

子どものころに診断されなかったことだけでは、当時の困りごとがなかったとは言い切れません。

現在のうつや不安が長引くときに発達特性を考える話は、うつの治療が長引くときでも扱っています。

「友だちはいましたか」では、知りたいことに届かない

「子どものころ、友だちはいましたか」

こう聞かれても、答えに困る人がいると思います。

小学生のころに一緒に遊んでいた子はいたかもしれません。でも、それを友だちと呼んでよかったのか。仲がよかったのは何年生までだったのか。

何十年も前の人間関係を、今になって正確に説明するのは難しいものです。

そこで、質問をもう少し具体的にします。

小学校の低学年だったころ、休み時間になると周囲の子は校庭へ遊びに出ていました。そのとき、自分も一緒に外へ出るほうでしたか。それとも教室に残って過ごすほうでしたか。

このように一場面を切り取ると、当時の様子を思い出しやすくなる場合があります。

ただし、教室で一人で過ごしていたからASDだと判断するわけではありません。

知りたいのは、友だちの人数だけではありません

ASDの診察で幼いころの人間関係を尋ねるとき、医師が確かめたいものの一つに「共同注意」があります。

共同注意(ジョイント・アテンション)とは、自分が気になったものを指さしたり声をかけたりして、ほかの人と一緒に見たり、関心を向けたりするやりとりです。

幼いころに、そうしたやりとりがどのように行われていたのか。

大人になった現在、それを当時の姿のまま直接観察することはできません。そこで、子どものころの友人関係や遊んでいた場面を手がかりにします。

知りたいのは友だちが何人いたかという数字だけではなく、ほかの子とどのように関わっていたかということです。

もっとも、対談では、この点をうまく確かめられる質問を作ること自体が難しいとも語られています。

診察の時間が限られている場合には、現在から過去へさかのぼる聞き方もあります。

今、人とのやりとりで苦手に感じることがあるなら、いつごろからそうだったのかを尋ねます。感覚の敏感さについても同じです。

昔の出来事を順番に思い出すより、今の自分にある特徴がいつから続いているかを考えるほうが、答えやすい場合もあります。

ただし、現在その特徴が目立たなければ子ども時代のことを尋ねなくてよい、という単純な話でもないと対談では述べられています。

パズルが好きだった。では、誰と遊んでいた?

幼いころの遊び方を尋ねることもあります。

「小さいころ、ごっこ遊びをしていましたか」と聞かれても、覚えていない人はいるでしょう。

では、何をして遊ぶのが好きだったかならどうでしょうか。

パズルが好きだった。積み木でよく遊んでいた。そんな記憶が残っているかもしれません。

そこで、さらに尋ねます。

「それは一人で遊んでいましたか。それとも誰かと一緒でしたか」

遊びの名前だけでなく、誰とどのように過ごしていたかまで聞くことで、幼いころの人との関わり方を考える手がかりになります。

もちろん、パズルが好きだったことや、一人遊びが多かったことだけで診断が決まるわけではありません。

本人が忘れていても、親が覚えていること

遊び方と並んで、対談で重視されているのが感覚の敏感さです。

子どものころ、食べられるものが限られていた。特定の服を着るのを嫌がっていた。

本人にはほとんど記憶がなくても、親御さんにはこうした様子がはっきり残っていることがあります。対談では、それは珍しいことではないと語られています。

感覚の過敏さはASDにかなり特徴的だとされ、ほかの項目より念入りに尋ねたほうがよいという考えも示されています。

限られた時間でASDについて確かめるなら、幼いころの遊び、人との関わり、感覚のことを尋ねるだけでも、かなり参考になるというのが対談での見解です。

昔の偏食や衣服の苦手さについて聞かれると、現在の相談と無関係に感じるかもしれません。

けれども、今も音や光などに敏感で、日々の生活で負担を感じている場合があります。そうした特徴が幼いころから続いているのかを考える際に、昔の話が役立ちます。

現在の感覚のつらさについては、ASDの感覚過敏とは? 音・光・においがつらい大人の特性と日常の工夫でも説明しています。

通信簿には褒め言葉。でも欠席が多かった

子どものころの話でも、学校を休んだ日数には少し違った意味があります。

友だちとの関係や遊び方は、何十年も前になると思い出すのが難しくなります。

それに対して、通信簿には欠席日数が数字で残っています。

対談では、初診のときに幼稚園から高校まで、それぞれの時期に学校へ行けなくなった期間がなかったかを確認するという医師の話が出てきます。その医師は若手にも同じように教えているそうです。

長期間学校を休んでいたなら、その時期に何があったのかを考える手がかりになるという考え方です。

たとえば本人は、体調が悪くて休んでいたとしか覚えていないかもしれません。

しかし通信簿を見れば、何日休んだかは分かります。

担任の先生が「友人関係がよくなってきた」と書いていれば、それ以前には友人関係で何か難しいことがあったのかもしれないと考えられます。

先生がとても褒めてくれていたとしても、欠席日数の欄には別の情報が残っている場合があります。

褒められていたことと、学校へ通ううえで苦労していたことは、両立するのです。

年間20〜30日の欠席をどう見るか

この対談で医師の一人は、年間20〜30日以上の欠席があれば、何か事情があったのではないかと考えると話しています。

風邪による欠席なら、多くても年間10日以内だろうというのが、その医師の見当のつけ方です。

長い欠席が2〜3学年にわたって続く場合があることも語られています。

ただし、欠席日数だけで発達障害と診断することはできません。

欠席が多くなる理由は発達の特性だけではありません。対談でも、別の事情で欠席が増える場合があると明言されています。

20〜30日という数字も、対談に登場する医師の経験に基づく目安として読む必要があります。

反対に、学校をほとんど休まずに通っていた人もいます。

休まずに通えていたことと、毎日を無理なく過ごせていたことは別です。

相当な努力をして通い続けていた可能性もあります。欠席が少なかったことだけで、当時の困りごとを否定することはできません。

通信簿は持っていれば参考になりますが、手元になくても診察は進められます。何年生のときに何日休んだかを、記憶だけで正確に答える必要もありません。

成績がよかった人が、社会人になって困ることもある

学生時代には、あまり困っていなかったように見える人もいます。

対談では、ASDとADHDの両方の特性がありながら大人になるまで診断されなかった人について、いくつかの経過が語られています。

その一つが、学業の得意さでほかの苦手さを補っていた人です。

不注意があり、人との関わりも得意ではなかったものの、成績のよさに支えられて大学までは何とか過ごしていました。

ところが、就職して企業で働き始めると、仕事の管理や対人関係の負担が増えます。それまでのやり方では対応しきれなくなり、受診に至るという例です。

同じくASDとADHDの併存をめぐる話題では、別の経過も紹介されています。

学校ではおとなしく目立たず、多少の不注意があっても大きな問題にならなかった女性が、結婚後に育児の負担が増え、家事や仕事が回らなくなって抑うつ状態で受診する場合があるという話です。

これは成績のよさで補っていた人とは別の例であり、こうした経過が誰にでも当てはまるということではありません。

ここで共通して考えたいのは、ある時期に何とか生活できていたことだけでは、その人がどれほど苦労していたかまでは分からないという点です。

「できています」のあとに、もう一つ質問する

診察では、現在の暮らしで何に困っているかも尋ねます。

周囲の人から困っていると言われることと、ご本人が困っていることの両方です。

その行き詰まりが、人との関わり方や意思の伝わり方に関係している場合、ASDの可能性を強く考えるという診察の順序が対談では語られています。

一方、表面上は問題なく生活できているように見えても、家事を回すだけで相当な力を使っている人もいます。

何ができないかを数えるだけでは、その方の生活の大変さは十分に分かりません。

同じように家事をこなしていても、無理なく続けられている人と、毎日必死に努力して何とか続けている人では、必要な支え方が変わります。

対談では、ご本人に「分かってもらえた」という実感が残ることも治療にとって重要だと話されています。

細かく質問すること自体が、その方の苦労を理解することにつながるのです。

「憂うつです」だけでは、まだ分からない

現在の症状についても、同じような聞き方をします。

「気分が沈んでいます」という話を聞いたとき、もう少し具体的な場面を尋ねます。

職場で誰と一緒にいるときにつらくなるのか。どんな会話のあとに気持ちが沈むのか。どのような出来事が負担になっているのか。

単に「抑うつがある」と記録するだけでは、その方がどんな状況で苦しくなるのかまで分かりません。

子どものころの休み時間を尋ねるのも、現在の職場での会話を尋ねるのも、漠然とした答えを具体的な場面へ近づけていくという点では似ています。

質問にうまく答えることが目的ではありません。話をしながら、何が困りごとになっているのかを一緒に確かめていきます。

昔のことを思い出せなくても、診察はできます

ここまでさまざまな質問を紹介しましたが、昔のことを正確に覚えている人ばかりではありません。

小学校の休み時間に何をしていたか。幼いころにどんな遊びが好きだったか。学校を何日休んだか。

思い出せないことがあっても不思議ではありません。

大人になってから受診する方では、親御さんがすでに亡くなられていたり、認知症などで昔のことを尋ねられなかったりする場合もあります。

また、ご家族に聞けば必ず正確な答えが得られるとも限りません。

2013年に出版された前著『大人の発達障害ってそういうことだったのか』では、本人や親御さんから幼少期の様子を聞く難しさも語られています。

すでに発達障害について多くの知識を得て、自分の生育歴を詳しく説明する人の中には、診断が合う、あるいは合わないという自分なりの説明を組み立ててしまう人もいるという話です。

親御さんについても、発達障害と認めたい人、否定してほしい人などがいて、語られる内容に見方の偏りが入ることがあると指摘されています。

そのため、親御さんの話を参考程度にとどめ、診察時点で得られる情報を中心に判断する場合もあると述べられています。

昔の記憶は、本人から聞いても家族から聞いても、いつでも正確にそろうとは限らないのです。

ご家族との関係がつらく、昔のことを尋ねるのが怖い場合には、無理に確認する必要はありません。暴力や強い支配のある関係では、相手から情報を得ることより身の安全が優先されます。詳しくは安全が脅かされているときで説明しています。

当院での診察について

春日メンタルクリニックでは、18歳以上の方のASD・ADHDについて、問診を中心とした評価と診断を行っています。

うつや不安で受診された方についても、必要に応じて背景に発達の特性がないかという視点を持って診察しています。

初診はWEB予約(デジスマ)で予約し、事前のWEB問診に回答していただきます。

子どものころのことが分からない場合は、問診にも「よく覚えていない」とお書きいただいて構いません。詳しいことは診察のなかでうかがいます。

なお、当院では心理検査(知能検査・心理テスト)は行っていません。検査を希望される場合は実施している医療機関をご自身でお探しいただくことになりますが、紹介状(診療情報提供書)は必要に応じて作成します。

手がかりが十分にそろわない場合の診察については、大人のASDの診断はどのように進むのかにもまとめています。

子どものころの出来事をすべて思い出したり、誰かに確認したりしてから受診する必要はありません。

今の生活で何がつらいのか。以前から似たような困りごとがあったのか。何とかできていることには、どのくらい努力を使っているのか。

現在の暮らしについて話すところから、少しずつ過去をたどることもできます。


参考にした資料(要約・再構成。原文の転載ではありません): この記事は、大人の発達障害をめぐって精神科医二人が語り合った対談本を下敷きにしています。

  • 宮岡等・内山登紀夫『大人の発達障害ってそういうことだったのか その後』(医学書院、2018年)第2章および第4章のうち、成人の診察で発達の経過をどう尋ねるかをめぐる対談部分。加えて、第3章・第6章の関連する対談部分
  • 宮岡等・内山登紀夫『大人の発達障害ってそういうことだったのか』(医学書院、2013年)第4章のうち、本人や家族から発達歴を聞く際の難しさをめぐる対談部分

よくある質問

子どものころに発達障害を指摘されていなければ、今も関係ないのでしょうか。

そうとは限りません。精神科医の対談では、子どものころに小児科医などへ相談しても問題ないと言われ、成人後にASDと診断された人の話が出てきます。当時の特徴だけでなく、親御さんや専門家がそれに気づいたかどうかも関係することがあります。

学校の成績がよく、友だちもいたなら、ASDやADHDではないのでしょうか。

成績や友だちの人数だけでは判断できません。対談では、ASDとADHDの併存が問題になる人の中に、学業の得意さで不注意や対人面の苦手さを補い、就職後に困難が目立つようになった例が挙げられています。ただし、成績がよい人に発達障害があると考えるわけではありません。

通信簿がなく、何日休んだかも覚えていません。診断に困りますか。

欠席日数を確認できなければ、その手がかりは使えませんが、診察を受けられなくなるわけではありません。現在の生活で困っていることや、幼いころについて思い出せる場面をうかがいます。通信簿を探し出してから受診する必要はありません。

親の話と自分の記憶が違う場合、どちらを信じるのでしょうか。

親御さんの話が必ず正しいと決めるわけではありません。別の対談では、親御さんが発達障害と認めたい場合も否定してほしい場合もあり、その見方が話に影響することがあると指摘されています。話の偏りが気になる場合には、親御さんの説明を参考程度にとどめ、診察時点の情報から判断することもあると語られています。

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執筆・監修

精神保健指定医 野口晋宏

春日メンタルクリニック院長。精神科・心療内科の診療経験をもとに、受診前の不安や制度の疑問を整理しやすい情報提供を心がけています。

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