福岡県春日市須玖北4丁目34 2階
休診日: 水曜・木曜・日曜・祝日

退職して時間は増えたのに、朝から何をしたらよいか分からなくなることがあります。一日中家にいるのに、休んだ感じもしません。片づけや書類の処理が進まず、家族との言い合いが増える方もいます。

親を見送ったあとにも、何とか続いていた暮らしが急に立ちゆかなくなることがあります。「歳のせいか」「新しい病気か」と考えたくなりますが、新しく何かが始まったとは限りません。それまで仕事の予定や親の助けで決まっていたことを、自分で一つずつ決めるようになったのかもしれません。

仕事は休む時刻まで決めていました

仕事には給料のほかにも、暮らしを支える働きがあります。何時に起きるか、今日は何をするか、誰に話しかけるか、いつ終わりにしてよいかが決まっています。その予定に合わせて寝る時刻も定まり、一日を最初から自分で組み立てずに済んでいたわけです。

成人を長く診てきた精神科医と、発達障害専門クリニックの児童精神科医による対談『大人の発達障害ってそういうことだったのか その後』には、人との関わりが苦手でも、活動の決まっている通所の場には通えている方の例が出てきます。何をするかが定まっていれば、その役割を果たせる方がいます。長年の勤めも、そうした役割が用意されていた場所です。

休むことにも同じ問題があります。対談では気分が落ち込んでいるASDのある方に「適当に休んで」と伝えても、どのくらい休むのかが分からないという話が出てきます。語り手の一人はそれを教わり、何時から何時までを休む時間にするか、具体的に伝えるようになったと述べています。

勤めがあったころは、仕事が終われば休みに入れました。一日中家にいるようになると、ずっと休んでいるようにも、一度も休んでいないようにも感じられます。休みの終わりが決まらず、休んだ実感が残らないのです。

そこで、昼食までを休む時間にする、この番組が終わったら起きる、といった区切りが役立ちます。ここで決めるのは「どれだけ休むか」ではなく「どこからどこまでを休みにするか」です。どのくらい休めばよいか分からないときは、その点を診察で尋ねてください。休もうとすると落ち着かない心の働きについては、休んでいいと言われても休めないでも扱っています。

退職後の変化は落ち込みやいらだち、不眠として表れることもあります。勤めがなくなって起床時刻が曖昧になり、就寝時刻も定まらなくなると、「不眠が始まった」と感じたときには、すでに生活の時間割が変わっていたことがあります。うつや不安についてはASDのうつ・不安(二次障害)に、年齢を重ねてからの落ち込みは老年期うつ病の治療と回復に詳しく書いています。

「困ったら親に聞く」も支えでした

届いた書類の内容や期限の判断、役所や銀行への電話、受診の声かけなどを親が引き受けていたことがあります。離れて暮らしていても、迷ったときにまず親に聞いて決めていることがあります。

対談では知的障害のない発達障害の高齢の方について、表向きは生活できていても、親の支えに頼っている方が多いと指摘されています。成人のASDの方で親と同居している割合が高いという英国自閉症協会の調査も紹介されています。

仕事を続けている50〜60代のASDの方が、暮らしでは親を頼り、親との死別後に混乱する例も語られています。その背景として対談者が挙げるのは、先の状況を思い描くことの難しさです。親がいなくなったあとの暮らしを実感しにくく、備えや支援の必要性をご本人もつかめていないことがある、という見立てです。

親を失うと、手続きをしてくれた人に加え、「迷ったら最後に聞く相手」もいなくなります。後者は何を失ったのかがつかみにくく、何かを決めるたびに止まり、片づけや書類の処理が進まなくなる場合があります。親の病気や認知症による変化、入院をきっかけに、何を頼っていたかに気づくこともあります。

悲しみの経過と、日々の判断を頼る相手がいなくなったことは、それぞれ確かめたいことです。死別後のこころの変化については大切な人を亡くしたあとのこころで扱っています。

「病院に行く」にもいくつもの手順があります

病院に行くには、まず診てもらったほうがよいと気づき、何科にかかるかを決めます。それから予約を取り、その日まで覚えておき、診察で困っていることを話して、次の予約を入れます。「病院に行く」という一つの用事の中に、これだけの手順が含まれています。

どこかで止まると、受診全体が進みません。以前は職場から健診の通知が届き、親からも受診を促されていたかもしれません。その支えがなくなると、受診の必要性に気づくところから、自分で手順を組み立て続けることになります。

退職で減るのは、予定を知らせてくれる相手だけではありません。深い話はしなくても毎日顔を合わせていた人もいなくなります。それまで何人もの人に聞いてもらっていた話が、残った家族や主治医に集中することがあります。

その先で孤立し、郵便物が溜まる、通院の間隔が延びる、何日も声を出さないといった変化が出ることがあります。人とのつながりと、日々の用事が進んでいるかの両方を確かめたいところです。

続けてこられたことと負担がなかったことは別です

遅刻せず出勤し、仕事も終えていると、周りには「問題なくやれている」と見えます。その前の晩に何度も持ち物を確かめていたことまでは、見えません。ご本人も長年そうしてきたために、余分に力を使っているとは思っていないことがあります。

対談では生活に適応しているように見える方にも、いつも頑張り続けている感覚や、素の自分とは違う形で周囲に合わせている感覚を抱く方が多いと語られています。発達の特性には揺れがあっても、その人の生活の中で長く続いているという臨床上の説明です。

仕事や親の支えがなくなったあと、周囲からは急に変わったように見えても、苦手さそのものが今初めて生じたとは限りません。それまで続けられたことは、負担がなかったことを意味しません。

ただし、退職後に困りごとなく過ごしている方もいます。支えが変われば必ず調子を崩すわけでも、退職後の不調がすべて発達特性によるわけでもありません。

家族といる時間が増えると一人の時間が減ります

家族から「こんなに短気な人だとは思わなかった」と言われると、性格が変わったように聞こえます。けれども、退職前は一人で決めていた昼食の時刻やテレビをつけるかどうかが、急に家族との相談ごとになっているのかもしれません。

一緒にいる時間が増える一方で、一人になれる時間がなくなっているのかもしれません。対談には関係の難しさを考えるとき、住まいの広さや別々の空間を持てるかどうかにも目を向ける話が出てきます。気持ちや考え方だけでなく、家の中でどう過ごせるかという条件にも関わる話です。

暴力や強い支配のある関係に、以下の暮らし方の工夫は当てはまりません。その場合は身の安全の確保が先になります。

対談で提案されているのは、退職後もそれぞれ別に過ごす時間を持ってよい、という考え方です。同じ場所で長く過ごすことが、良いつきあいとは限りません。意味のある時間を分かち合えているかが大切だと語られています。相手の考え方を変えるよう求めるより、日々の暮らし方を変えるほうが関係を整える助けになるという見立てです。

関係を考える別の手がかりは、パートナーとの関係が、こころの健康を左右する理由と役割期待のずれと心理療法にもあります。

「メモを取れば」で済まないことがあります

失った支えを具体的にすると、暮らしに何を足すかも考えやすくなります。毎朝の時間割がなくなったなら、朝に出かける用事を一つ置く方法があります。届いた書類を見てくれる人がいなくなったなら、まず置き場所を一か所に決めてみてください。受診を促してくれる声がなくなったなら、その場で次の予約を取っておくのも一つの方法です。

「困ったら親に聞く」に代わる相手も、全部を一人に頼もうとせず、書類のこと、体のこと、話を聞いてもらうことに分けて考えます。誰が何を担っていたかによって、必要な助けは違います。

ただ、予定を忘れる人に「メモを取ればよい」と伝えても、それだけではうまくいかない場合があります。この本の非薬物的なアプローチの章では、メモを書くにも、話を聞きながら内容を扱い、文字にする力が要ると説明されています。書いたあとにも、なくさずに保存し、必要なときに探す手順が残ります。ADHDのある方には、そこでメモが混ざったり見つからなくなったりする難しさがあると述べられています。

対談ではメモを取るのが苦手な方に、スマホで写真を撮って残す方法が挙げられています。手帳やスマホのカレンダー、リマインダーが役立つ方もいるという話です。書くこと、保管すること、あとで探すことのどこで困っているかによって、使いやすい方法も違います。

今の困りごとから昔の暮らしをたどります

「片づかない」「気分が沈む」という今の状態だけでは、その背景は分かりません。去年からなのか、仕事をやめてからなのか、思い返すと以前からそうだったのかによって、確かめる経過が違います。

対談では高齢の方でも若い方でも、社会性、コミュニケーション、先の状況を思い描くこと、感覚過敏の四つがどのくらい続いているかを確かめると説明されています。先の状況を思い描くことは、本の中で「イマジネーション」と呼ばれている部分です。

幼いころの記憶が乏しくても、学齢期からのことをご本人が覚えている場合があります。段取りの難しさや感覚の敏感さが発達特性によるものなら、一時的な出来事ではなく、長く続いてきたはずだという見方でたどります。

最近の変化なら、その前後に何があったかを確かめます。長く続いてきた困り方なら、これまで何が補っていたのかを考えます。「いつからか分からない」という答えも、診察の材料になります。もの忘れが気になる場合は、そのもの忘れ、「歳のせい」と言い切れますかもご参照ください。

朝から何をするか決まらないことも相談になります

体調の変化に加え、生活の手順が滞っていることも相談の手がかりになります。次のような状態が続いているときは、受診をご検討ください。

  • 眠れない、食事が取れない、体重が変わってきています。
  • 気持ちが沈んだり、何をしても楽しくなかったりする状態が続いています。
  • いらだちが強くなり、些細なことで声を荒げてしまいます。
  • 朝から何をしたらよいか分からず、一日の見当が立ちません。
  • 書類やお金の手続き、受診や健診の予定が滞っています。
  • 家で言い合いが増え、居場所がないと感じます。
  • 何日も人と話していません。
  • 頼ってきた方の病気や入院、死別で、暮らしが回らなくなっています。

定年前や親御さんがご存命の時期でも、今後の暮らし方を決めかねている段階でも相談できます。困り切る前に、今どこで止まっているかをお話しください。原因をご自分で決めてから受診する必要はありません。

当院では18歳以上のASD・ADHDの評価と診断を、問診(診察での聞き取り)を中心に行っています。うつや不安で受診された方についても、必要に応じて背景に発達特性がないかという視点で診察し、老年期のうつ病も診療しています。WEB予約後の問診には「定年のあとから調子が出ない」「親を見送ってから書類が進まない」といった、今の困りごとをお書きください。


参考にした資料(要約・再構成。原文の転載ではありません):

  • 宮岡等・内山登紀夫『大人の発達障害ってそういうことだったのか その後』(医学書院、2018年)第1章および第5章のうち、生活環境の変化と発達の特性の現れ方をめぐる対談部分
  • 宮岡等・内山登紀夫『大人の発達障害ってそういうことだったのか その後』(医学書院、2018年)第3章「非薬物的なアプローチ」

よくある質問

自営業や家事・介護を続けてきた人にも関係がありますか。

定年という制度に限った話ではありません。自営業を離れるとき、契約の区切りで仕事を終えるとき、家事や看病・介護の役割が変わるときにも、決まった予定や行く場所を失うことがあります。役割が変わる時期のつらさは「生活の変わり目と役割の変化」でも取り上げています。

親が亡くなっていても、大人の発達障害について相談できますか。

親御さんに幼いころの話を聞けない場合も、ご本人が覚えている学校や仕事での経験が診察の手がかりになります。覚えていることと、いつからだったか分からないことの両方を材料にして、長く続いてきた困り方を確かめます。過去を尋ねる意味については「生育歴を尋ねられる意味」と「大人のASDの診断の流れ」で取り上げています。

家族が心配しているのに、本人が助けを求めないのはなぜですか。

宮岡等・内山登紀夫の対談では、中高年以降に一人で暮らし、周囲が心配していても本人から相談が出てこない例が語られています。助けを求めること自体に難しさがあるのではないか、という臨床上の見方です。相談がないことだけで、暮らしに困っていないとは判断できません。

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執筆・監修

精神保健指定医 野口晋宏

春日メンタルクリニック院長。精神科・心療内科の診療経験をもとに、受診前の不安や制度の疑問を整理しやすい情報提供を心がけています。

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