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はじめに

「夫が私の話をちっとも聞いてくれない」「妻はいつも不機嫌で、何を考えているか分からない」「親が自分のことを全然分かってくれない」「職場の人と、どうしても噛み合わない」。身近な人ほど、こうしたすれ違いはつらく感じられるものです。

そして多くの方が、すれ違うたびに「悪いのは相手だ」と腹を立てたり、逆に「私がいけないのだ」と自分を責めたりして、どんどん苦しくなっていきます。考えても考えても答えが出ず、心がすり減っていく。そんなふうに悩むのは、あなただけではありません。人間関係のつらさは、誰にでも起こるごくありふれたものです。

この記事では、心理療法のひとつである「対人関係療法(IPT)」の考え方をもとに、人間関係のすれ違いを「どちらが悪いか」ではなく「お互いへの期待のずれ」としてとらえ直す視点を紹介します。あわせて、すれ違いがどの段階にあるかを見分けるヒントや、伝え方を少し変えるためのコツもまとめました。なお、つらさの背景に病気が隠れていないかどうかの診断は、必ず医師が行います。この記事は、気持ちを整理するきっかけとしてお役立てください。

「どちらが悪いか」ではなく「役割期待のずれ」として見る

人間関係のつらさを抱えると、私たちはつい「悪いのはどっちか」を裁判のように考えてしまいます。けれども、白黒をつけようとするほど、相手を責めるか自分を責めるかのどちらかに行き着き、気持ちは余計に重くなりがちです。

対人関係療法では、こうした摩擦を「役割をめぐる不和」と呼び、その正体を「お互いへの期待のずれ」としてとらえます。たとえば「夫は家事を手伝ってくれるはず」「妻は私をねぎらってくれるはず」「親なら理解してくれるはず」。私たちは相手にさまざまな期待を持っていて、それが満たされないときに「すれ違い」を感じます。

ここで大切なのは、「あの人は悪い人だ」と人そのものを決めつけないことです。「悪い人」だと評価してしまうと、もう打つ手がなくなってしまいます。そうではなく、「私が期待していた行動を、いまはとってくれていない」ととらえてみる。行動は変えられる余地がありますし、自分の期待のほうを見直せることもあります。つまり、人とその行動を切り離して見ることで、すれ違いは「修正できる課題」に変わっていくのです。

すれ違いには3つの段階がある

すれ違いを整理するとき、それがいまどの段階にあるかを知っておくと、向き合い方の見当がつきやすくなります。対人関係療法では、役割をめぐる不和を大きく3つの段階に分けて考えます。

1. 再交渉

関係を変えようと努力しているけれど、それがうまくいっていない段階です。言い合いやけんかも、ここに含まれます。うまく伝われば解決に向かうはずなのに、伝え方がかみ合わないと、言えば言うほどお互いを傷つけたり、自分の不満がふくらんだりしてしまいます。裏を返せば、まだお互いが関係を変えようと向き合っている段階だとも言えます。

2. 行き詰まり

「どうせ言っても変わらない」「もう疲れた」と、話し合いそのものをやめてしまった段階です。いわゆる「家庭内別居」のような状態がこれにあたります。仲直りにも、関係の解消にも進めないまま、すれ違いが止まってしまっている状態です。

3. 離別

どちらかが関係を終わらせようと決めている、あるいは期待の隔たりが大きすぎて埋められず、関係を続けるのが難しい段階です。「別れたほうがよい状態なのに、まだ別れられていない」ような場合も含まれます。

どの段階にあっても、「自分が悪い」「相手が悪い」という話ではありません。まずは「いま、どの段階にいるのだろう」と眺めてみることが、次の一歩を考える助けになります。

なぜ小さなずれが大きな不和に育つのか

期待のずれそのものは、誰の間にもあります。問題は、そのずれをうまく伝え合えないときです。伝え合うコミュニケーションが乏しいと、小さなずれがどんどん大きな不和に育ってしまうのです。

たとえば、相手の言葉や態度の真意が分からないとき、私たちは頭のなかで勝手に解釈を作り、しかもその中から最悪のものを選んでしまいがちです。「返事が素っ気ない=私を嫌っている」「約束を忘れた=私を軽く見ている」といった具合です。けれども実際に相手の真意を確かめてみると、自分が思い描いていたストーリーとはまるで違う現実が見えてくることが、とても多いものです。「ただ疲れていただけ」「忙しくて気づかなかっただけ」かもしれません。

すれ違いがこじれて、自分の力では解きほぐせないほど大きくなってしまった状態は、心にも大きな負担になります。だからこそ、ずれが小さいうちに気づき、手をつけられるようになることが大切です。これは、つらさがぶり返すのを防ぐうえでも役立つ考え方です。

すれ違いを伝えるときのコツ

ここからは、すれ違いを相手に伝えるときに役立つ、具体的なヒントを紹介します。どれも「相手を変えさせる技術」ではなく、自分の気持ちを誤解なく届けるための工夫です。

「私は…」を主語にして話す

「直接伝えると角が立つのでは」と心配される方は多いのですが、直接的に話すことと、角が立つことはイコールではありません。コツは、主語を「あなた」ではなく「私」にすることです。

「あなたはいつも私を無視する」と言われれば、たいていの人は身構えて反発します。けれど「私は、話を聞いてもらえないと悲しい」「私は、こうなると心配になる」という言い方なら、責められたとは感じにくく、受け取ってもらいやすくなります。自分の領域に踏み込まれると人は反発しますが、相手の気持ちそのものを語る分には、腹を立てる人は少ないのです。これを対人関係療法では「私を主語にした伝え方(Iステートメント)」と呼びます。

「いつも」「全然」を避ける

「あなたはいつもこうだ」「全然分かってくれない」。こうした決めつけの言葉は、一見すると事実を述べているようでいて、実は感情をぶつける言い方になっています。言われた側は反発するばかりで、解決には近づきません。そもそも「いつも」「全然」と言い切れることは、そうそうないものです。「この前の◯◯のとき」と、具体的な場面に絞って話すほうが、ずっと伝わりやすくなります。

良いタイミングを選ぶ

同じ話でも、いつ切り出すかで届き方は大きく変わります。「夫は私の話を聞いてくれない」という方が、よく聞くと、相手が出かける直前の一番あわただしい時間に話しかけていた、ということもあります。相手が落ち着いて耳を傾けられるのはいつかを考えて、その時間を選ぶだけでも、すれ違いはぐっと減ります。

火は小さいうちに消す

不和は、こじれてからでは扱うのに大きな勇気とスキルがいります。「これくらい言わなくても」とためらっているうちにずれが積み重なると、手をつけにくくなってしまいます。違和感を覚えたら小さいうちに言葉にしておくこと。これも大切な技術のひとつです。

目的は「仲直り」ではなく「納得できる結論」

すれ違いに向き合うとき、ゴールを「仲直り」だと思い込まないことも大切です。対人関係療法では、目指すのは必ずしも「もとどおり仲よくなること」ではなく、お互いが納得できる結論にたどり着くことだと考えます。

期待のずれに向き合った結果、たどり着く形はいくつもあります。お互いの期待や行動が少しずつ変わって関係が改善することもあれば、自分の見方が変わって相手を受け入れやすくなることもあります。ときには、ほどよい距離をとる、関係を見直すという選択が、もっとも納得できる結論になることもあります。どの道を選ぶかを決めるのは、ほかの誰でもなくご自身です。心理療法は、後悔のない選択ができるよう、整理を手伝う役割にすぎません。

そして、話し合いを始めると、今まで見ないようにしてきた問題が表に出てきて、一時的につらくなることがあります。「始めないほうがよかったのでは」と感じる時期が来るかもしれません。けれど、それはしばしば前進している途中のサインであり、そこを抜けると「話してよかった」と思えるようになることも少なくありません。つらいときに一人で我慢する必要はなく、いつでも立ち止まって振り返ってよいのです。

受診の目安

以下に当てはまるときは、一人で抱え込まず、専門家への相談を考えてみてください。

  • 家族や夫婦、職場の人とのすれ違いがつらく、気分の落ち込みや不眠、食欲の変化が続いている
  • 何度伝えようとしても行き詰まり、自分の力ではどうにもできないと感じる
  • 「自分が悪い」と責め続けてしまい、気持ちが晴れない日が続いている
  • 人間関係の悩みが、仕事や家事、日常生活に支障を及ぼしている
  • 気分の落ち込みやつらさが、ほぼ一日中・ほとんど毎日、2週間以上続いている

なお、つらさの背景にうつ病などの病気が隠れていないかどうかの診断は、医師が行います。気になるときは早めにご相談ください。

まとめ

人間関係のつらさは、「どちらが悪いか」ではなく「お互いへの期待のずれ」として見ると、ずっと整理しやすくなります。すれ違いには再交渉・行き詰まり・離別の段階があり、いまどこにいるかを知ることが次の一歩につながります。伝え方は、「私は…」を主語にする、「いつも」「全然」を避ける、良いタイミングを選び、火は小さいうちに消す、といった小さな工夫で変えられます。目的は仲直りそのものではなく、お互いが納得できる結論にたどり着くこと。すれ違いは、向き合い方を少し変えるだけで、ほぐれていく余地のあるものです。一人で抱えきれないと感じたときは、どうぞ気軽にご相談ください。


参考にした書籍(要約・再構成。原文の転載ではありません):

  • 対人関係療法入門ガイド

よくある質問

相手とすれ違ってつらいとき、どちらが悪いのかを考えてしまいます。考え方を変えられますか。

「どちらが悪いか」を決めようとすると、相手を責めるか自分を責めるかのどちらかになりやすく、つらさが増えてしまいがちです。対人関係療法では、人間関係の摩擦を「善悪」ではなく「お互いへの期待のずれ」としてとらえ直します。「あの人は悪い人だ」ではなく「私が期待していた行動を、たまたまとってくれていない」と見方を変えると、修正できる余地が見えてくることがあります。

話し合いを始めたら、かえって気持ちがつらくなりました。やめたほうがよいのでしょうか。

今まで見ないようにしてきた問題に向き合うと、一時的につらさを感じることがあります。これは必ずしも悪化のサインではなく、前進している途中であることも少なくありません。とはいえ、一人で抱え込む必要はありません。つらさが強いときや、何度試しても行き詰まると感じるときは、主治医や当院とつながりながら進めていくと安心です。

伝え方を変えるだけで、本当に関係はよくなりますか。

伝え方を整えると、小さなずれが大きな不和に育つのを防ぎやすくなります。ただし、目的は必ずしも「仲直り」ではありません。お互いが納得できる結論にたどり着くことが大切で、その結論が「ほどよい距離をとる」「関係を見直す」になることもあります。どの道を選ぶかはご自身が決めることで、心理療法はその整理を手伝うものです。なお、つらさの背景にうつ病などが隠れていないかの診断は医師が行います。

執筆・監修

精神保健指定医 野口晋宏

春日メンタルクリニック院長。精神科・心療内科の診療経験をもとに、受診前の不安や制度の疑問を整理しやすい情報提供を心がけています。

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