「どうして別れないの?」
パートナーから暴力を受けている人の話を聞くと、そう思うことがあるかもしれません。本人も、離れたほうがよいと分かっていることがあります。
それでも、家を出ると伝えたら何が起きるか分からない。生活費を握られている。相談できる相手も減っている。別れを考えると、相手がよくしてくれたことまで思い出してしまう。
こうした事情が重なると、外からは簡単に見える一歩が、とても難しくなります。
そして、離れることができたとしても、それですべての気持ちが片づくわけではありません。
「話し合えば分かり合える」が通用しない関係
この夫婦・パートナー関係のシリーズでは、これまで14回にわたって、期待の伝え方や頼み方、話し合いの工夫を紹介してきました。
ただし、パートナーからの暴力や強い支配がある関係には、こうした方法は当てはまりません。
相手の反応が怖くて本音を言えない状況では、お互いの期待をすり合わせる話し合いが成り立たないからです。
暴力というと、殴る、蹴るといった身体への暴力を思い浮かべるかもしれません。しかし、手を出さずに相手を支配することもあります。
たとえば、次のような関係です。
- 逆らうと怒鳴られたり、物に当たられたりします。
- 口をきかず、相手が折れるまで無視を続けます。
- 正しいことを言っているという理由で、一方的に責め立てます。
- 昔の失敗を何度も持ち出して、逆らえないようにします。
- 病気を理由に、相手を思いどおりに動かそうとします。
- 頼んでも生活費を渡さず、お金の使い道を管理します。
- 出かける場所や連絡する相手を、いちいち確かめます。
ここで問題にしているのは、相手を従わせるために力が使われていることです。
そうした関係では、言葉の選び方を変えても、対等な話し合いになるとは限りません。
また、機嫌を損ねてしまったことも、言い返してしまったことも、その場を離れられなかったことも、暴力の理由にはなりません。
それでも「自分がもっと気をつけていれば」と思うことがあります。何が起きたのかを自分なりに理解しようとして、自分の行動に理由を探してしまうのです。
自分の行動を振り返り、これから身を守る方法を考えることと、暴力の責任を自分で背負うことは違います。危険を作り出しているのは、力をふるう側です。
安全について相談できる場所があります
暴力や強い支配がある場合は、関係を改善するための話し合いよりも、身の安全を確保することが先になります。
差し迫った危険があるときは警察(110番)、けがや体調の急変があるときは救急(119番)に連絡してください。通院中の方は体調の変化について主治医にも相談してください。
これからのことを考えるための公的な相談先には、配偶者暴力相談支援センターがあります。
DV相談ナビ(#8008)に電話すると、お近くの都道府県の配偶者暴力相談支援センターにつながります。
センターでは、相談やカウンセリングのほか、被害を受けている方と同伴者の緊急時の安全確保や一時保護、自立した生活に向けた情報提供と援助を行っています。保護施設や保護命令の制度についても相談できます。
#8008は各機関の受付時間内につながる仕組みで、24時間ではありません。
DV相談+(0120-279-889)では、電話相談を24時間受け付けています。チャット相談は12時から22時までで、10か国語に対応しています。
これらは、すでに別れると決めた人だけの窓口ではありません。どうすればよいか迷っている段階でも相談できます。
「離れればいい」と言うほど簡単ではありません
外から見れば、暴力を受けているなら離れるしかないと思えるかもしれません。
しかし、実際に離れるには、いくつもの問題を乗り越えなければなりません。
まず、相手への恐れがあります。
「出ていく」と伝えたら何をされるか分からない状況では、離れるための計画を立てること自体が危険になります。
何も行動できていないように見えても、その人は相手の反応を予測しながら毎日を過ごしているのかもしれません。決意が足りないから動けないとは言えないのです。
次に、お金の問題があります。
生活費を渡してもらえない。使い道を細かく管理される。働くことを許されない。自分の貯えがない。
こうした状況では、離れたあとに生活が成り立つのか、見通しを立てることさえ難しくなります。子どもを育てていく場合は、その不安も重なります。
そして、相談できる人が減らされていることがあります。
友人や家族との連絡を確かめられ、出かけることを制限されていると、自分の置かれた状況について外の人の意見を聞く機会が少なくなります。
孤立した状態では、これから先もずっと一人で生きていくことになるのではないかという不安が、現実味を持って迫ってきます。
もう一つ、相手から繰り返し言われた言葉も関係します。
「一人ではやっていけない」という言葉を何度も聞いているうちに、自分でもそう思うようになることがあります。
相手の言葉を信じてしまう背景には、その関係のなかで自尊心が低くなっていることがあります。
こうして見ると、離れにくさは一つの原因で説明できるものではありません。恐れ、お金、孤立、自分に対する見方が重なっています。
だからこそ、暴力のある関係を離れるときは、一人だけで計画を立てるのではなく、公的な相談窓口や専門家の力を借りることが大切です。
別れるために人の力が必要になることは、前回の記事でも扱いました。
離れようとすると、よかった記憶が浮かんでくる
別れを考え始めると、不思議なことが起きる場合があります。
それまで嫌だったことをたくさん思い出していたのに、いざ離れようとすると、相手のよかったところばかりが浮かんでくるのです。
一緒にいて楽しかったこと。自分を助けてくれたこと。関係がうまくいっていた頃のこと。
一方で、嫌だった出来事の印象が薄くなり、これから始まる生活の難しさばかりが大きく感じられることがあります。
水島広子氏は、別れによる役割の変化への不安が、このような気持ちの動きに関係すると説明しています。
慣れ親しんだ生活には、嫌なこともあった一方で、よい面もありました。新しい生活については、まだ経験していないため、不安なことばかりが目につきます。
お金は足りるだろうか。子育てを一人でできるだろうか。周囲の人に何と言われるだろうか。もう二度とパートナーができず、一人で生きていくことになるのではないか。
そう考えていると、たとえ不満の多い関係でも、いまの生活のほうがまだよいように思えてくることがあります。
離れようとした途端に相手のよいところが思い出されても、それまでの暴力や支配がなかったことになるわけではありません。
別れに伴う大きな変化への不安と、相手への気持ちが入り混じっている場合があるのです。
周囲から「早く決めたほうがいい」と言われても、簡単には答えが出ないことがあります。
自信を取り戻してから離れる、という順番ではありません
暴力のある関係では、自尊心についても考えておきたいことがあります。
自尊心の低さは、育ってきた過程で形づくられた場合も多いものです。しかし、暴力や強い支配のある関係にいるあいだに、さらに低くなっていくことがあります。
自分の考えを伝えるたびに責められる。何をしても間違っていると言われる。相手の機嫌を損ねないよう、自分の気持ちを抑え続ける。
そうした毎日を重ねるなかで、自分の判断に自信を持てなくなることがあります。
すると「自信がないから離れられない」と考えてしまうかもしれません。
しかし、ここでは順番が逆になっている面もあります。
その関係にいるあいだに自尊心が削られ、関係から離れていく過程で少しずつ戻ってくるのです。
自信を十分に取り戻してからでなければ、離れることを考えられないわけではありません。
これは、自分の弱いところを克服するために、相手の要求に合わせ続けるべきだという話とも違います。
繰り返し力をふるう相手のもとで、自分の思いを抑え込んで従うことは、自分の弱さを乗り越えることにはなりません。
関係が変わっていく過程で、自分の判断を少しずつ取り戻していくことがあります。
離れたのに寂しい。それもおかしなことではありません
もう一つ、別れについて知っておきたいことがあります。
暴力のある関係から離れることができたとしても、必ずしも晴れ晴れとした気持ちになるわけではありません。
別れたくて仕方がなかった相手でも、いざ離れてみると寂しさや喪失感が生じることがあります。
これは矛盾したことではありません。
どれほどつらい関係だったとしても、別れることは、それまで続いてきた一つの関係が終わるということです。
また、死別とは異なり、別れた相手はその後も生き続けます。連絡を取らないという形も含め、これまでのパートナーとの関係が変わることでもあります。
別れは新しい生活を選ぶことであると同時に、それまでの関係を失う体験でもあるのです。
そのため、離れたあとに相手を懐かしく思ったり、寂しさを感じたりしても、それだけで離れる判断が間違っていたとは言えません。
相手との間にあったよい記憶が残っていることと、暴力を受けていたという事実は、どちらもありえます。
別れたらすぐに気持ちがすっきりするはずだと考えると、寂しさを感じた自分に戸惑ってしまうかもしれません。
しかし、関係を終えることと、そこで経験したことへの気持ちが落ち着くことは、同時に起こるとは限りません。
子どものために、まず親自身の手当てを
暴力のある関係を離れるとき、子どものことが大きな心配になる場合があります。
暴力による別れでは、親自身が精神的に傷つき、うつ病などの心の病を抱えていることも少なくありません。
親の心の不調は、子育ての場面にも影響することがあります。
子どもを優先したいと思うほど、自分のつらさを後回しにしてしまうかもしれません。しかし、専門家を頼り、親自身の心の手当てをすることが、結果として子どものためにもなります。
一人で子どもを育てていくのは、ただでさえ骨が折れることです。
任せられることは人に任せ、困ったときに打ち明けられる相手を持っておくことも大切です。これまで相談できる人を減らされていた場合は、頼れる人とのつながりを作り直すところから始まるかもしれません。
ひとり親という家庭の形そのものが問題なのではありません。親の心の状態と子育ての関係については、シリーズの第13回でも説明しています。
子どもには、暴力をふるった親のことをどう説明するか
子どもに何と説明すればよいのかも、難しい問題です。
水島広子氏の著書では、暴力をふるった親について、人格そのものを否定する説明を避け、病気という形で説明する例が挙げられています。
たとえば、いまは自分の気持ちをうまく抑えられない病気の状態にあるので、よくなるまでは離れて暮らす、という説明です。
こうした言い方が紹介されているのは、子どもの自尊心を守るという観点からです。
親の人格そのものを否定する言葉を聞くと、子どもは「自分はそういう人の子どもなのだ」と受け止め、自分自身への感じ方まで傷つけられる可能性があります。
ただし、これは書籍が示している説明の一例であり、暴力をふるう人すべてに病気の診断があるという意味ではありません。
また、病気という言葉で説明したからといって、暴力をふるった責任がなくなるわけでも、将来関係が元に戻ると約束するわけでもありません。
子どもに何をどう伝えるかと、大人同士がこれからどのような関係を持つかは、分けて考える必要があります。
何があったのか、すべて話さなくても相談できます
暴力や強い支配の影響は、最初から「DVについて相談したい」という形で表れるとは限りません。
眠れない。気分が落ち込む。動悸がする。食欲が変わる。思い出したくない出来事が不意に戻ってくる。外に出るのがつらい。
まず、こうした体調の変化に困って受診することもあります。
トラウマを踏まえたケアでは、つらい経験について尋ねられること自体が、本人にとって負担になる場合があると考えます。
恥ずかしさや自責感、相手を信頼できない気持ちから、経験したことを話せない人もいます。詳しく尋ねられることで、一時的に症状が強まる可能性もあります。
さらに、よかれと思って一方的に指示や助言をすると、かえって本人の無力感を強めてしまうおそれがあります。
厳しい環境のなかで身を守るために身についた反応を、単にその人の弱さや問題として扱わないことが大切です。
何を話すか、どの質問に答えるか、これからどうするか。その人自身が選べることを尊重するという考え方です。
こうした支援の考え方については、トラウマインフォームドケアとはでも説明しています。
こんな変化が続いているときは
次のような状態が続いている場合は、ご自身の心身の状態について精神科や心療内科で相談することも選択肢になります。
- 相手の機嫌をうかがうことに、一日の大半を使っています。
- 何かを言う前に、そのあとの反応を考えて言葉を飲み込んでいます。
- 眠れない、食べられない、体調がすぐれない状態が2週間以上続いています。
- 思い出したくない出来事が、自分の意思とは関係なく戻ってきます。
- 自分の判断を信用できず、何かを決めるたびに消耗します。
- 離れたほうがよいと思っても、考え始めると何も決められなくなります。
これらに当てはまるからといって、必ずしも心の病気があるとは限りません。診断は医師が診察したうえで行います。
長く続く暴力や支配による心への影響については、複雑性PTSDとはや対人トラウマとはでも扱っています。
当院で相談できること
春日メンタルクリニックでは、暴力や強い支配のある関係のなかで生じた、不眠、気分の落ち込み、動悸、食欲の変化などについて、ご本人からのご相談をお受けしています。診療対象は18歳以上の方です。
何があったのかを話さないままでも受診できます。関係をどうするか決めていない段階でも、ご自身の体調についてお話しいただけます。
なお、当院には心理士がおらず、心理士によるカウンセリング、カップル療法、構造化された対人関係療法、トラウマ焦点化認知行動療法やEMDRなどの専門治療は行っていません。これらをご希望の場合、実施している医療機関はご自身でお探しいただくことになりますが、紹介状(診療情報提供書)は必要に応じて作成します。
当院では初診前にWEB問診をご記入いただきます。初診は問診を含めて30分程度、再診は5分前後で、通院は2週間に一度が基本です。
暴力のある関係をどうするかについて、初めから答えが用意されているわけではありません。
よく考えたうえで別れることを選び、不安を抱えながらも自分で納得できる道を歩き出したときに、初めて自分に力があると感じる方もいます。
相手に向かって自分の考えを言えない事情があるなら、その事情も含めて考えていく必要があります。
どの道を選ぶかは、ご自身が決めてよいことです。
参考にした資料
この記事は、次の書籍・論文の内容を要約・再構成して作成しました。原文の転載ではありません。
- 水島広子『対人関係療法で改善する 夫婦・パートナー関係』創元社(刊行年未確認)
- 亀岡智美「トラウマインフォームドケアの意義と広がり―見逃されがちなトラウマへのケアに向けて―」『精神科治療学』第35巻第6号、星和書店、2020年
公的な相談窓口の名称・電話番号・受付時間・業務内容は、内閣府男女共同参画局「配偶者暴力相談支援センター」「DV相談について」および内閣府「DV相談プラス」の案内を2026年10月29日に確認しています。制度や受付時間は変わることがありますので、実際に利用される際は各窓口の案内をご確認ください。
よくある質問
身体的な暴力がなくても、DVとして相談できますか。
手が出ていなくても、怒鳴られる、物に当たられる、生活費を渡してもらえない、外出先を繰り返し確認されるなど、相手を従わせるために力が使われている関係があります。身体的な暴力がないから相談の対象外とは限りません。そうした支配についても、公的な相談窓口で話せます。
別れると決めていなくても、DV相談窓口を利用できますか。
利用できます。配偶者暴力相談支援センターでは、安全の確保だけでなく、今後の生活や利用できる制度についても相談できます。別れるかどうか決めかねている段階で、どのような支援があるかを聞くこともできます。
DV相談ナビの#8008につながらないときはどうすればよいですか。
一部の固定電話やIP電話などでは、#8008につながらない場合があります。その場合は都道府県または市町村の配偶者暴力相談支援センターへ直接電話してください。#8008の受付時間は機関ごとに異なりますが、DV相談+(0120-279-889)の電話は24時間受け付けています。
男性がDVの被害を受けている場合も相談できますか。
DV相談+では男性の被害についても相談を受け付けています。毎週日曜の15時から21時には男性の被害者向けの専用回線があります。電話相談自体は24時間受け付けており、被害を受ける側を性別で限定するものではありません。
初診前のWEB問診には、何があったのか詳しく書く必要がありますか。
詳しく書きにくい場合は、眠れない、気分が落ち込むなど、いま困っている症状を簡単に記載するだけでも差し支えありません。何があったのかを話さないままでも受診できます。初診はWEB問診を含めて30分程度で、診察のなかで体調について伺います。