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はじめに

「あんなに信じていた人が、どうして」。恋人や家族、親しかった相手から傷つけられた経験は、地震や事故とはまた違う、独特の重さを心に残します。

たとえば、優しそうに見えた交際相手が、ある日突然に豹変して暴力をふるった。家族から長く理不尽な扱いを受けてきた。そうした出来事のあと、「もう誰のことも信じられない」「自分にも悪いところがあったのではないか」という思いから抜け出せなくなる方は少なくありません。

そして多くの方が、こう感じています。「こんなふうに引きずっているのは、自分が弱いからだ」と。

でも、それは違います。身近な人から受けた傷つきが深く長引くのには、はっきりとした理由があります。あなたが弱いからでも、おおげさだからでもありません。

この記事では、人から受けるトラウマ(対人トラウマ)がなぜ特別なのか、なぜ被害を受けた人ほど自分を責めてしまうのか、そして回復はどのように進んでいくのかを、できるだけやさしくお伝えします。読み終えるころには、今のつらさが「あなたのせいではない」と少し思えるようになることを願っています。

人から受けるトラウマは、災害や事故とは違う

心の傷(トラウマ)につながる出来事には、地震や台風などの災害、交通事故のほか、人からの暴力や裏切り、虐待などがあります。このうち、人がもたらしたトラウマを「対人トラウマ」と呼びます。

私たちがふだん落ち着いて暮らせるのは、心のどこかに「まあ、何とかなるだろう」という感覚があるからです。これは大きく分けて、次の3つの信頼感に支えられています。

  • 自分への信頼感:「自分は何とかやっていける」
  • 身近な人への信頼感:「困ったら誰かが助けてくれる」
  • 世界への信頼感:「これまでも大丈夫だったから、これからも大きな危険は起きないだろう」

トラウマとは、この信頼感が深く揺らぎ、「まあ大丈夫」と思えなくなってしまった状態だと考えると分かりやすくなります。

ここで大切なのは、どんな出来事かによって、傷つく信頼感の場所が変わるということです。災害や事故の場合、主に揺らぐのは「世界への信頼感」です。「いつ何が起こるかわからない」という不安が中心になります。つらい体験ではありますが、「人が自分を裏切った」わけではないので、人を信じる気持ちそのものは比較的保たれます。

ところが、人から、それも身近な人から受けたトラウマでは、事態はより深刻になります。傷つくのが「人を信じる感覚」そのものだからです。

「信頼していた人に裏切られた」という最大の問題

身近な人から傷つけられたとき、いちばんの問題になるのは「信頼していた人から裏切られた」という事実です。

赤の他人ではなく、好きだった人、守ってくれるはずだった人から傷つけられる。この経験は、「人を信じる」という気持ちの土台そのものを根こそぎにしてしまいます。

そして、人への信頼感と自分への信頼感は、実は表裏一体の関係にあります。「自分が働きかければ相手はこたえてくれる」という手ごたえは、相手を信じる気持ちと、自分を信じる気持ちの両方を育てます。ところが、相手の機嫌だけが頼りで、いつ何が起きるか読めない関係に置かれると、この土台が壊れてしまいます。結果として、「人も信じられないし、自分も信じられない」という状態になってしまうのです。

常に相手の顔色を読んでしまう苦しさ

こうなると、「どうやって人を信じたらいいのか分からない」状態が続きます。

本来なら自分を助けてくれるはずの周りの人たちまで、「いつまた自分を傷つけてくるか分からない危険な存在」に見えてしまう。だから、いつも相手の表情や声色をうかがい、機嫌をそこねないように気を張り続ける。これはとても消耗することです。

ある女性は、交際相手から突然の暴力を受けたあと、職場で男性が近くを通るだけで体が震え、上司が注意のために話しかけてきただけで「殴られるのではないか」と体がこわばってしまうようになりました。本当に危険なのはその相手だけのはずなのに、警戒の網が人間全体に広がってしまっていたのです。

これは気の持ちようの問題ではなく、傷ついた心が「もう二度と傷つかないように」と過剰に身を守ろうとしている反応です。危険な状況では身を守る働きですが、安全な場所に戻ったあとも続いてしまうと、暮らしそのものをつらくしてしまいます。

自分を責めてしまうのも、実は症状です

対人トラウマでとくに苦しいのが、「自分にも非があったのではないか」という自責の念です。

被害を受けた人ほど、なぜか自分を責めます。「あんな人と関わった自分が悪い」「自分が相手を怒らせたのかもしれない」「うまく立ち回れなかった自分のせいだ」。客観的に見れば本人に責任のない状況でも、これはとてもよく起こります。

先ほどの女性も、相手の暴力という明らかに異常な出来事を、「知り合ったきっかけや関わり方がいけなかった自分のせいだ」と感じ、家族にも打ち明けられずにいました。打ち明けないことで、「それはあなたのせいではないよ」と誰かに気づかせてもらう機会まで失われ、自責の気持ちがさらに強まっていく。この悪循環が、心の傷を深めてしまいます。

ここで知っておいてほしいのは、この自責そのものがトラウマの症状の一つだということです。あなたの判断力が足りなかったからではありません。傷ついた心が、揺らいだ「自分への信頼感」のあらわれとして、繰り返し自分を責めてしまうのです。

性被害で「自分が汚れた」と感じることについて

性被害を受けた方では、「自分は汚れてしまった」「永遠に損なわれてしまった」と感じることが少なくありません。自分の話をすることで、相手にまで悪いものが伝わってしまうように感じる方もいます。

これも、消えない傷がついたということではなく、ダメージを受けた「自分への信頼感」が生み出している症状です。とてもつらく、口に出しにくい感覚ですが、決してあなたが本当に損なわれてしまったわけではありません。回復とともに、この感覚はやわらいでいきます。

なお、こうした状態がトラウマによるものかどうか、どう対応していくのがよいかの診断は、医師が丁寧にお話を伺ったうえで行います。一人で「これは自分が悪いだけだ」と決めつけてしまう前に、ぜひ専門家に頼ってください。

回復は「新しい安全のルール」を見つけ直すプロセス

では、対人トラウマからどう回復していくのでしょうか。

トラウマからの回復とは、「ここを歩いていけば自分は大丈夫」と思える安全な道を、もう一度見つけ直すことだと言えます。一度壊れた信頼感を、時間をかけて少しずつ取り戻していく長いプロセスです。

そのために手がかりになるのが、「新しい安全のルール」を見つけ直すという考え方です。

これまで信じていた「人は信じても大丈夫」という前提が、つらい体験によって壊れてしまった。だからといって、「もう誰も信じない」という極端なルールで生きていくのは、安全ではあっても、とても孤独で窮屈です。そうではなく、「この人は安全」「この場面では身を守る」というように、現実に合った新しい線引きを、安心できる関係の中で少しずつ見つけ直していきます。

大切なのは、これを一人でやろうとしないことです。安心して話せる相手に受け止めてもらう体験は、「身近な人への信頼感」を回復させ、「そんな自分を受け入れてもらえた」という「自分への信頼感」にもつながっていきます。信頼感は、人との安全なつながりの中でこそ取り戻されていくものだからです。

回復は一足飛びには進みませんし、波もあります。それでも、トラウマは消えない傷ではなく「信頼感とのつながりが断たれた状態」だと考えると、つながりは取り戻せます。回復は十分に可能です。

受診の目安

以下のような状態が続いているときは、無理をせず一度ご相談ください。

  • つらい出来事の場面が、急に頭によみがえったり、悪夢に出てきたりする
  • 特定の人や場所、状況を強く避けてしまい、生活や仕事に支障が出ている
  • 常に気を張っていて、寝つけない、小さな物音にひどく驚く、イライラが続く
  • 「自分が悪い」「自分は汚れた・損なわれた」という思いから抜け出せない
  • 誰のことも信じられず、人と関わるのがこわい状態が続いている
  • つらさを一人で抱え込み、誰にも打ち明けられていない

これらは、あなたが弱いからではなく、心が傷を受けたときに起こりうる自然な反応です。当てはまるものがあれば、それは相談してよいサインです。

まとめ

人から、特に信頼していた身近な人から受けたトラウマは、「人を信じる感覚」そのものを傷つけるため、災害や事故とは違う深さと長さを持ちます。「自分が悪かった」「自分は損なわれた」という自責もまた、あなたの落ち度ではなく、トラウマの症状の一つです。回復は、新しい安全のルールを、安心できるつながりの中で少しずつ見つけ直していくプロセスです。一人で抱えず、まずは話せる範囲からご相談ください。今のつらさは、必ず和らげていくことができます。


参考にした書籍(要約・再構成。原文の転載ではありません):

  • 水島広子『対人関係療法でなおす トラウマ・PTSD』

よくある質問

人から受けたトラウマは、災害や事故のトラウマと何が違うのですか?

災害や事故では主に『世界は安全だ』という感覚が揺らぎますが、人から、特に信頼していた身近な人から傷つけられた場合は『人を信じる感覚』そのものがダメージを受けます。そのため誰を頼ってよいかわからなくなり、苦しさが長引きやすい特徴があります。

『自分にも悪いところがあった』と責めてしまいます。本当に自分のせいでしょうか?

被害を受けた方ほど自分を責めてしまうのは、よく見られるトラウマの症状の一つです。あなたの落ち度のせいではありません。一人で抱え込むほど自責の気持ちは強まりやすいため、安心できる相手や医療機関に話してみることをおすすめします。

つらい体験を誰にも話せないのですが、受診してもよいのでしょうか?

話せないこと自体がトラウマのよくある反応で、無理に詳しく話す必要はありません。話せる範囲から始められますし、何から伝えればよいか一緒に整理することもできます。診断や治療方針は医師が丁寧に判断しますので、安心してご相談ください。

もう何年も前の出来事なのですが、今からでも相談していいのでしょうか?

はい、時間が経っていても問題ありません。何年も『戦時下』のように気を張り続けている状態が続くこともあり、そこから回復していくことは十分に可能です。きっかけがいつであっても、つらさが続いているなら相談する意味があります。

執筆・監修

精神保健指定医 野口晋宏

春日メンタルクリニック院長。精神科・心療内科の診療経験をもとに、受診前の不安や制度の疑問を整理しやすい情報提供を心がけています。

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