はじめに
つらいできごとから時間がたっているのに、ふとした瞬間にあの場面がよみがえる。眠ろうとすると体がこわばる。人と会うのがおっくうで、気づけば家にこもりがち。そして「いつまでも引きずる自分は、心が弱いのではないか」と、ご自身を責めてしまう。そんなふうに感じている方は少なくありません。
まず知っていただきたいのは、長引くのは「あなたが弱いから」ではない、ということです。トラウマ後の症状の多くは、本来なら時間とともに自然に和らいでいきます。にもかかわらず一部の方で症状が固定してしまうのには、はっきりとした「構造」があります。
この記事では、自然に治る人と、長引いて治療が必要なPTSD(心的外傷後ストレス障害)になる人がいるのはなぜか、その「自然回復を妨げるもの」を整理します。あわせて、エクスポージャーと対人関係療法という二つの治療が、どう回復を助けるのかもご説明します。読み終えたときに、「自分が弱いのではなく、抜け出せる悪循環にはまっているだけだ」と感じていただけたらと思います。なお、PTSDかどうかの診断は医師が行います。
多くの症状は、数か月で自然に和らぐ
衝撃的な体験のあとに、眠れない、思い出して動揺する、警戒心が強くなるといった反応が出ること自体は、決して異常ではありません。むしろ、危険から身を守るために心と体に備わった、ごく自然な反応だと考えられています。「またいつ傷つけられるかわからない」という状況では、心身は危険を察知することに全力を注ぎます。眠りが浅くなるのも、人に心を許せなくなるのも、「敵にやられないように生き延びる」ためには理にかなった働きなのです。
大切なのは、こうした反応は、平穏な日常に慣れていくにつれて、少しずつ薄れていくべき性質のものだということです。実際、トラウマ後に症状を経験する方の多くは、数か月のうちに自然に回復していくことが知られています。
ただし、症状が1年以上続いている場合には、治療を受けずに自然によくなる見込みは少なくなるとされています。「いつか治るはず」と待ち続けるより、長引いているなら一度ご相談いただくほうが、回復への近道になることがあります。
自然回復のカギは「身近な人の支え」
では、自然に回復する人としない人の違いは、どこにあるのでしょうか。
PTSDを発症するかどうかを左右するもっとも大きな要因のひとつとして、「身近な人による支えがあるかどうか」が知られています。つらい体験を誰かに話し、受け止めてもらい、「あなたは悪くない」と言ってもらえる。そうしたやりとりの積み重ねが、「もう戦時下ではなく、平時に戻ったのだ」という実感を取り戻させてくれます。
ところが、トラウマを抱えた方ほど、この支えを得にくくなります。ひとつは「回避」です。思い出すのがあまりにつらく、その話題そのものを避けてしまう。もうひとつは「対人不信」で、人を信じたり頼ったりすること自体が怖くなってしまう。さらに「こんな自分を見せるのは恥ずかしい」「自分が悪かったのだから」という気持ちから、身近な人にすら打ち明けられないこともあります。
その結果、本当は支えてくれるはずの人が近くにいるのに、「支えのない状態」を自分で作り出してしまう。これが、回復を妨げる最初の落とし穴です。
「避ける」ことが、症状を固定させる
支えを得にくくなることと並んで、もうひとつの大きな要因が「回避」そのものの働きです。
私たちはふだん、強い衝撃を受けたとき、それを何度も思い出したり人に話したりすることで、少しずつ消化していきます。専門的には「情動処理」と呼ばれる働きです。強い感情を引き起こすできごとに少しずつ慣れ、いろいろな角度から見直していくうちに、受け止め方が変わり、圧倒される感覚が薄れていくのです。
ところが、思い出すことがあまりに怖いと、思い出すこと自体を避けるようになります。すると「情動処理」が進まず、体験は最初に受けたときの生々しい感覚を保ったまま、心の中にとどまってしまいます。
つまり、回避は一時的には心を守りますが、長い目で見ると症状をその場に固定させてしまうのです。「思い出さないようにするほど、いつまでも消化されない」という皮肉な仕組みです。これは意志の弱さではなく、こうした構造に入ってしまっているだけなのです。
自責と「戦時下の対人関係」が悪循環を生む
ここに「自責」と対人関係のすれ違いが加わると、悪循環は一段と深まります。
トラウマを抱えると、本来は自分に非のないことまで「自分が悪かったのではないか」と感じてしまうことがよくあります。「もっとうまく対応できたはずだ」とご自身を繰り返し責める。こうした自責は「自分への信頼感」をさらに失わせ、心の傷を深くしていきます。
さらに、トラウマ症状は対人関係にも影響します。常に警戒的になり、相手の何気ない一言を「責められた」と受け取ってしまうことがあるのです。たとえば、よかれと思って言われた言葉が脅威に聞こえ、つい強く反応してしまう。相手はなぜ怒られたのかわからず距離を置く。その反応がさらに「やはり人は信じられない」という思いを強める——。本来は「二度と傷つかないため」に働いていたはずの症状が、かえって新たな傷を呼び込んでしまうのです。
これは本人がわざとやっているのではありません。「戦時下」の感覚を抱えたまま「平時」を生きているために起こる、症状によるすれ違いです。ここを「性格の問題」「考え方が未熟」と捉えてしまうと、お互いがますます苦しくなってしまいます。
治療の本質は「今は平時だ」と実感すること
ここまで見てきた回避・孤立・自責・対人関係のすれ違いは、バラバラの問題ではなく、ひとつの悪循環としてつながっています。だからこそPTSDの治療は、この「悪循環をきたしている構造」を変えることを目標に行われます。核心をひとことで言えば、「今はもう戦時下ではなく平時なのだ」と、頭だけでなく実感として取り戻していくことです。
これを助ける代表的な治療が二つあります。性質はちょうど逆方向ですが、向かう先は同じです。
エクスポージャー(曝露療法)
エクスポージャーは、つらい記憶にあえて少しずつ向き合っていく治療です。「思い出しても自分は安全だ」「向き合えば、わき上がる不安や苦痛はやがて和らいでいく」ということを、体験を通して学んでいきます。回避によって止まっていた「情動処理」を、意図的に前へ進めるアプローチだと言えます。記憶に耐えられるようになることで、生活全般への自信を取り戻していきます。
ただし、エクスポージャーは誰にでも向くわけではありません。つらい記憶に向き合うこと自体が怖くて耐えられない方や、感情への対処が苦手な方には負担が大きく、向かないこともあります。どの治療を選ぶかは、医師と相談しながら慎重に決めていきます。
対人関係療法
対人関係療法は、過去のトラウマそのものではなく、「今の人間関係」に焦点をあてる治療です。現在の対人関係のどこにつまずきがあるのかを一緒に整理し、その質を整えていきます。
身近な人による支えが増し、その中で「自分・身近な人・世界への信頼感」を取り戻す体験を重ねると、症状はやわらいでいきます。エクスポージャーが怖くてできない方、今の「生きづらさ」がいちばんの悩みである方にとって、よい選択肢となります。興味深いことに、対人関係療法で生活への自信を取り戻した方は、促されなくても自然に、つらい記憶へ自分から向き合えるようになっていくことが観察されています。
つまり、エクスポージャーは「記憶に耐えられるようになることで生活への自信をつける」道、対人関係療法は「生活への自信をつけることで記憶に耐えられるようになる」道です。入口は逆でも、同じゴールへ向かう二つの道なのです。
なお、症状によっては抗うつ薬などの薬物療法が役立つこともあり、これらの治療と組み合わせることもできます。どの方法が合うかは一人ひとり異なりますので、医師にご相談ください。
「医学モデル」で自分を責めなくてよい理由
最後に、回復に向けて大切な考え方をひとつお伝えします。それが「医学モデル」です。今抱えている苦しさを「あなたの性格や欠点」ではなく「治療できる病気の症状」として見る捉え方です。「怪我」としてのトラウマの多くは数か月で自然に治りますが、それが悪循環に陥って自然に回復しなくなった状態が、病気としてのPTSDだと考えられます。
症状を症状として認めずに「気にしすぎ」「もっと心を開いて」と片づけてしまうと、かえってご自身を責める気持ちが強まり、回復に必要な「自分への信頼感」が損なわれてしまいます。逆に「これは症状なのだ」と捉えられると、罪悪感が和らぎ、限られたエネルギーを治療に向けやすくなります。
これは「病気だから仕方がない」と開き直ることではありません。症状そのものに責任を負わなくてよい代わりに、自分の状態を認め、治療に取り組んでいく——その前向きな姿勢とセットの考え方です。
受診の目安
以下に当てはまる場合は、一度ご相談ください。
- つらい記憶がよみがえる、悪夢を見る、思い出すと体が反応するといった状態が続いている
- つらいできごとから1年以上たっても、症状が和らいでこない
- 人と会う、外出する、以前楽しめていたことをするのがつらく、生活の幅が狭まっている
- 「自分が悪かった」と繰り返し責めてしまい、つらさが抜けない
- 警戒心やイライラが強く、身近な人との関係がぎくしゃくしている
- お酒や薬などに頼ることが増えている、気分の落ち込みが続いている
まとめ
トラウマ後の症状の多くは、数か月のうちに自然に和らいでいくものです。それが長引くのは、回避・孤立・自責といった「自然回復を妨げる構造」に入ってしまうためであり、決して「あなたが弱いから」ではありません。
治療の本質は、「今はもう戦時下ではなく平時なのだ」と実感し、悪循環から抜け出すことにあります。エクスポージャーと対人関係療法は、入口こそ逆方向ですが、同じゴールへ向かう二つの道です。
苦しさを「治療できる症状」として捉え直せたとき、自分を責める気持ちは少しずつ軽くなっていきます。お一人で抱え込まず、どうか早めにご相談ください。回復への道は、ちゃんと用意されています。
参考にした書籍(要約・再構成。原文の転載ではありません):
- 水島広子『対人関係療法でなおす トラウマ・PTSD』
よくある質問
つらい記憶を引きずる自分は、心が弱いということでしょうか。
いいえ。トラウマ後の症状は誰にでも起こりうる正常な反応で、心の強さや弱さの問題ではありません。長引くのは、回避や孤立といった「自然回復を妨げる構造」に入ってしまったためと考えられます。診断は医師が行います。
トラウマ症状は時間がたてば自然に治りますか。
多くの方は数か月のうちに自然に和らいでいきます。ただし、症状が1年以上続いている場合は、治療を受けることが望ましいとされています。お一人で抱え込まず、早めにご相談ください。
エクスポージャーと対人関係療法は何が違うのですか。
エクスポージャーはつらい記憶に少しずつ向き合う治療、対人関係療法は今の人間関係を整える治療です。入口は逆方向ですが、どちらも「悪循環から抜け出す」という同じ目標に向かいます。どちらが向くかは医師と相談して決めます。
治療を受ければ必ず治りますか。
回復の道のりは一人ひとり異なり、効果や期間をお約束することはできません。ただ、適切な支えと治療によって、悪循環から抜け出していかれる方は多くいらっしゃいます。希望を持って、まず一歩ご相談いただければと思います。
自分の症状がPTSDかどうか、どう確かめればよいですか。
ご自身で判断する必要はありません。診断は医師が、お話をうかがいながら行います。気になる症状があれば、その内容を医師にお伝えいただくところから始めましょう。