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はじめに

つらいできごとを体験したあと、こんなふうに感じていませんか。

  • 「こんな体験をした自分は、もう元には戻れない」
  • 「心の傷は一生消えないのだから、治療を受けても意味がないのでは」
  • 「回復には一生かかると言われた。それは結局、一生治らないということではないか」

この記事を読んでくださっているあなたは、もしかすると「自分はもう損なわれてしまった」という重い感覚を抱えているかもしれません。

まずお伝えしたいのは、その感じ方は決してあなただけのものではない、ということです。トラウマ(心に深い傷を残すような、強い恐怖や無力感をともなう体験)を負った直後は、多くの方が「もう哀れな被害者として生きていくしかない」と感じます。それは、衝撃の大きさからくる自然な反応であって、あなたが弱いからでも大げさだからでもありません。

この記事では、「回復とはそもそも何か」を整理します。回復を「傷を消すこと」ではなく「途切れた人生の道のりをつなぎ直すこと」としてとらえ直すと、見える景色が少し変わってきます。怒りの時期も含めた回復のプロセス、そして回復が長くかかってもそれが「治らない」ではないこと、さらには回復に成長の側面があることをお伝えします。なお、診断や治療方針は医師が行いますので、ここでは「考え方の地図」を持ち帰っていただければと思います。

回復とは「傷を消す」ことではなく「つなぎ直す」こと

「心の傷は消えるのか」と問われると、私たちはつい「傷が消えるか、消えないか」だけに目を向けてしまいます。トラウマを文字どおり「傷」としてとらえると、「一生続く回復」は「一生消えない傷」という重い言葉に聞こえてしまうのです。

けれども、別の見方があります。トラウマを「人生の道のりが、ある日とつぜん途切れてしまった体験」としてとらえると、回復とは「いったん離れてしまった自分・身近な人・世界とのつながりを、もう一度見つけてつないでいく作業」だと考えることができます。

この見方に立つと、回復は「マイナスをゼロに戻す」作業ではなくなります。傷そのものを消そうとするのではなく、途切れたつながりを一本ずつ結び直していく。だとすれば、回復は「毎日つながりが増えていく」前向きなプロセスとしてとらえ直せるのです。

実際、治療を始める前の方は「どんな治療を受けても、心の傷は一生消えないと思う」とおっしゃることが少なくありません。ところが回復が進むと、そうした言葉は自然と減っていくといわれています。起こった事実や記憶が消えるわけではありません。けれども、「傷は一生消えない」という感覚に支配される度合いが、少しずつやわらいでくるのです。

回復は「悲哀のプロセス」と同じ構造をたどる

トラウマからの回復は、大切な人を失ったあとの「悲哀のプロセス(悲しみを受け止めていく心の道のり)」とよく似た構造をたどると考えられています。

おおまかには、次のような時期を通っていきます。

  • 否認の時期:何が起こったのかうまく受け止められず、「たいしたことではない」「自分には関係ない」と感じる時期
  • 絶望の時期:トラウマに正面から直面し、つらさや無力感を強く感じる時期
  • 脱愛着の時期:少しずつ体験を乗り越え、いまの生活や人間関係に、また心から向き合えるようになっていく時期

ここで大切なのは、「絶望」の時期をきちんと通り抜けることが回復に必要だ、という点です。大切な人と死別したあと、悲しみや怒り、罪悪感といった複雑な感情をしっかり味わわないと、かえって心の不調につながることがあります。それと同じで、トラウマも「トラウマ前の自分を失った」ことへの悲しみを含んでいます。だからこそ、つらい時期を飛ばすのではなく、自分のペースで通り抜けていくことに意味があるのです。

つらい最中には「後退している」「悪くなっている」と感じられるかもしれません。けれども、トラウマを思い出し、それに直面していく時期は、後退ではなくむしろ前進であることが多いと考えられています。しばらく大変でも、必ず落ち着いてきます。そのことを、どうか心のどこかに置いておいてください。

「加害者への怒り」も回復の一部です

回復のプロセスには、「自分をこんなふうにした相手への怒り」が強くあらわれる時期が含まれることがよくあります。

「私をこんなふうにして、どうしてくれるのか」——そうした激しい怒りが出てくると、ご本人もご家族も戸惑い、「こんなに怒ってばかりの自分はおかしいのではないか」と不安になるかもしれません。けれど、この怒りは多くの場合、「自分は永遠に損なわれてしまった」という絶望感と表裏一体になって出てくるものです。怒りは、その絶望から生まれる叫びでもあるのです。

そして、「脱愛着」の時期に近づき、新しい自分を少しずつ受け入れられるようになると、相手への怒りもやわらいだり、距離を置いて見られるようになったりしていくことが一般的だといわれています。つまり、怒りはずっと続くものではなく、回復の途中に立ち現れて、やがて変化していくプロセスの一部なのです。

身近な方がこの怒りを向けられたときは、「そんなことを言っても過去は取り返せない」と返したり叱ったりするよりも、「そんなふうに感じさせてしまって、つらいですね」と温かく受け止めるほうが、回復を支える助けになります。もし聞くのがつらいときや、暴力をともなうようなときには、そのまま耐える必要はありません。「あなたの話を心から聴きたい。でも、こわいと感じてしまってうまく聴けなくなる」と、自分の気持ちだけを正直に伝えてよいのです。抱え込まず、医療機関に相談することも一つの方法です。

「長くかかる」は「治らない」ではありません

トラウマ体験が深いものであるほど、回復のプロセスには時間がかかります。場合によっては、人生の長い時間をかけて回復していくこともあります。

けれども、ここでぜひ区別していただきたいことがあります。それは、「長くかかる」ということと「回復しない」ということは、まったく別だということです。

時間がかかるのは、つながりを結び直す道のりが長いからであって、つながりが結べないからではありません。トラウマを「一生消えない傷」と見れば絶望に聞こえますが、「途切れた道をつなぎ直していく作業」と見れば、毎日少しずつつながりが増えていく、というとらえ方ができます。

自分のペースで、こつこつと

この回復にとって、何よりも大切にしていただきたいのが「自分のペース」です。回復の本質は、損なわれた「自分への信頼感」を取り戻すことにあります。そのためには、自分のペースでこつこつと進んでいくことが欠かせません。

ここで、ある精神科のたとえ話が助けになるかもしれません。山で霧に包まれたとき、たしかに道は見えなくなります。けれど、道がなくなったわけではありません。あわてて右往左往すると、かえって危なくなってしまう。落ち着いて待っていれば、やがて霧は晴れて道が見えてきます。回復も同じで、いまは先が見えなくても、道そのものは確かにある、と考えてみてください。

「世間ではそんなにのんびりできない。今のうちから慣れさせたほうがよいのでは」と思う方もいるかもしれません。けれど、足元がぐらついているうちは、少しの揺れも大きく感じてしゃがみ込んでしまいます。足場が固まってからなら、多少の揺れも落ち着いて受け止められるようになります。だからこそ、急がず、自分の足場を固めることを優先してよいのです。

回復には「成長」の側面もあります

ここまで「つなぎ直す」という言葉を使ってきましたが、回復は単なる「元どおり」ではありません。

トラウマからの回復は、「失われたものを取り戻す」だけでなく、「新しい自分や新しい役割になじんでいく」プロセスでもあります。そこには、元に戻ることを超えた「成長」という要素を見いだすこともできます。

たとえば、これまで人を信頼するという経験をうまく持てなかった方が、回復の道のりのなかで、生まれて初めて「自分を信頼する」「人を信頼する」という体験を得ていくことがあります。これは「元に戻る」では説明しきれない、新しく育つ何かです。

回復が進むと、トラウマは「自分一人が抱える消えない傷」から、「身近な人と一緒に取り組んでいくテーマ」へと位置づけが変わっていきます。課題そのものは、場合によってはずっと残るかもしれません。けれど、それは「自分は永遠に損なわれた」という無力感とはまったく違う感じ方です。「まあ、何とかなるだろう」——その感覚にたどり着いていくことこそが、回復なのだと考えられています。

受診の目安

以下のようなことが続いていれば、一度ご相談ください。

  • つらいできごとのあと、再体験や緊張、気分の落ち込みなどが1か月以上続いている
  • 「自分はもう損なわれた」という感覚が強く、日常生活や仕事に支障が出ている
  • 怒りや絶望の波が強く、自分や周囲との関係がつらくなっている
  • 回復のプロセスを、信頼できる人と一緒に進めたいと感じている
  • 期間の長さにかかわらず、いまのつらさを誰かと分かち合いたいと思っている

期間が短くても、生活がつらいと感じるなら相談して問題ありません。診断は、経過や背景を含めて医師が行います。

まとめ

トラウマからの回復は、「傷を消す」ことではなく、「いったん途切れた人生の道のりをつなぎ直していく」プロセスです。否認から絶望、そして脱愛着へと向かう悲哀のプロセスと同じ構造をたどり、怒りの時期もその大切な一部です。回復に長い時間がかかることはあっても、それは「治らない」という意味ではありません。霧に包まれて道が見えなくても、道そのものは確かにあります。自分のペースでこつこつと進むなかで、つながりは毎日少しずつ増えていき、ときに「元に戻る」を超えた成長も見つかります。先が見えないと感じるときこそ、どうか一人で抱え込まず、わたしたちと一緒に歩んでいきましょう。


参考にした書籍(要約・再構成。原文の転載ではありません):

  • 水島広子『対人関係療法でなおす トラウマ・PTSD』
  • 『精神科診療におけるたとえ話の効用』(精神科治療学 第37巻7号)

よくある質問

心の傷は一生消えないのでしょうか。

起こったできごとそのものや記憶が消えるわけではありません。ただ、回復が進むと「傷は消えない」という感覚に支配される度合いが少しずつ減ってくるといわれています。傷を消すことではなく、途切れたつながりを取り戻していくことが回復の中心です。

回復に長い時間がかかると言われました。もう治らないということですか。

いいえ、「長くかかる」ことと「回復しない」ことは別のものです。深い体験ほどプロセスは長くなることがありますが、自分のペースで進めば、つながりは毎日少しずつ増えていくと考えられています。

加害者への怒りがおさまりません。自分はおかしいのでしょうか。

怒りがあらわになる時期は、回復のプロセスに含まれることの多い自然な反応とされています。おかしいことではありません。つらさが強いときや向ける先に困るときは、抱え込まず医療機関でご相談ください。

トラウマを思い出してしまい、かえって不安定になりました。悪化したのでしょうか。

思い出してつらくなる時期は、後退ではなくむしろ前進であることが多いと考えられています。しばらく大変でも、多くの場合は落ち着いてきます。その時期こそ、一人で抱えず周囲の支えや治療を頼ってよいタイミングです。

この記事で自分が回復しているかどうか判断できますか。

この記事は、回復の「考え方の地図」を持っていただくためのものです。いまどの時期にいるか、どんな支えが必要かは、経過や背景を含めて医師が一緒に確認します。気になる点があれば、自己判断で決めつけず、ご相談ください。

執筆・監修

精神保健指定医 野口晋宏

春日メンタルクリニック院長。精神科・心療内科の診療経験をもとに、受診前の不安や制度の疑問を整理しやすい情報提供を心がけています。

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