福岡県春日市須玖北4丁目34 2階
休診日: 水曜・木曜・日曜・祝日

はじめに

「あんなことくらい、もう忘れなきゃいけないのに」「いつまでも引きずっている自分は弱いのではないか」。つらい出来事のあと、こんなふうにご自身を責めてしまう方は少なくありません。一方で「トラウマなんて誰にでもある、甘えではないか」という言葉に傷つき、誰にも打ち明けられずにいる方もいます。

「トラウマ」という言葉は今ではすっかり日常語になりましたが、それが本当はどういう状態を指すのかは、あまり正確には知られていません。普通の「傷つき」と、心や体に不調まで引き起こす「トラウマ」とは、実は性質が違うものです。

この記事では、診断や症状の話に入る前に、まず「トラウマとは何か」という考え方そのものを、できるだけやさしく整理します。普通の傷つきとの違い、心の中で何が揺らぐのか、そして「トラウマは消えない傷ではなく、回復していけるもの」という見方をお伝えします。読み終えたとき、ご自身の体験を少しだけ違う角度から眺められるようになれば幸いです。

私たちは衝撃をどう乗り越えているか

私たちは毎日、大小さまざまなショックを受けながら暮らしています。失敗をして落ちこんだり、人間関係でいやな思いをしたり。それでも多くの場合、いつのまにか立ち直っているのは、心と体に「衝撃を乗り越えるしくみ」が備わっているからです。

たとえば、こんな「いつものやり方」を、多くの方が自然に使っています。

  • しばらくくよくよ考える … 何度も思い出すうちに記憶に慣れ、最初ほど強く心が揺さぶられなくなります。違う角度から見て「思っていたほど大ごとではなかったかも」と気づくこともあります。
  • 気分転換に何かをする … いつもの自分の感覚を取り戻し、ショックで崩れた態勢を立て直す助けになります。
  • 早く寝てしまう … 体力が回復し、すっきりした頭で振り返ると、前日とは違う見え方ができることがあります。
  • 親しい人に話を聞いてもらう … 「それは大変だったね」と受け止めてもらえるだけで、ずいぶん心が軽くなります。話すこと自体が記憶に向き合う練習になり、何より「今の自分を受け入れてもらえている」と実感できます。

※「くり返し思い出すうちに反応がやわらいでいく」現象は、心理学では「馴化(じゅんか)」と呼ばれます。同じ刺激にくり返し触れるうちに、反応が少しずつ小さくなっていくはたらきです。

こうして態勢を立て直し、自分の力(人に頼る力も含めて)を使えるようになると、たいていの変化は乗り越えられます。そしてそれは、単に元に戻るだけでなく、人としての成長につながっていくこともあります。

「いつものやり方」が使えなくなるとき

ところが、あまりにも大きな衝撃を受けると、この「いつものやり方」が使えなくなってしまいます。

衝撃に圧倒されて、考えるどころではなくなる。思い出すのが怖くて「くよくよ考える」「人に話す」ことを避けてしまう。気分転換する気力もわかず、眠ろうとしても眠れない。やっとの思いで誰かに打ち明けても、相手にとっても想像を絶する話だと、落ち着いて聞いてもらえず「話さなければよかった」と、かえって傷つくこともあります。

つまり、衝撃が大きすぎると、それを乗り越えるための道そのものが見つけられなくなります。この、道に迷ってしまったような状態が「トラウマ(心的外傷)」と呼ばれるものです。言いかえれば、トラウマとは「対処できないほどの衝撃を受けたときにできる心の傷」です。

イメージとしては、いつもの道を歩いていたら、突然足元が地割れして下に落とされてしまった、という感じに近いかもしれません。落ちた痛みもありますし、何が起きたのか最初はわかりません。見回しても見知らぬ景色ばかりで、どこを歩けばいいのか、どうすれば二度と落ちずにすむのかもわからない。「また落ちるのではないか」という恐怖でいっぱいになります。

トラウマからの回復とは、ふたたび安全に歩ける道を見つけ、「ここを歩いていけば自分は大丈夫」と思えるようになっていくことです。治療も、そのために行われます。

「自分・身近な人・世界への信頼感」が揺らぐということ

私たちが落ち着いて暮らしていけるのは、心の奥に「まあ、何とかなるだろう」という感覚があるからです。

考えてみれば、私たちはこの先に何が起こるかを本当は知りません。それでも不安にのまれずにいられるのは、次のような信頼感が土台になっているからです。

  • 自分への信頼感 … 「まあ、自分は何とかできるだろう」
  • 身近な人への信頼感 … 「まあ、困ったら誰かが助けてくれるだろう」
  • 世界への信頼感 … 「まあ、今までも大丈夫だったし、これからもひどいことは起きないだろう」

衝撃を受けると、この三つの信頼感が一時的に揺らぎます。小さな衝撃なら、先ほどの「いつものやり方」で立て直せます。慣れることや受け止め直すことは「世界への信頼感」を、自分の力を思い出すことは「自分への信頼感」を、人に支えてもらうことは「身近な人への信頼感」を取り戻すことにつながります。

けれど衝撃が強すぎると、信頼感が失われたところに留まってしまいます。自分の感じ方も力も信じられず、出来事によっては身近な人も信じられなくなり、世界がとても危険な場所に思えてくる。この状態が続いていることが、トラウマの本質です。

ここで大切なお話があります。「トラウマ」と聞くと、まるで消せない傷が刻まれてしまったかのように感じる方がいるかもしれません。けれど、そう固定的にとらえるよりも、**「自分・身近な人・世界への信頼感から、一時的に切り離されてしまった状態」**と考えるほうが、ずっと前向きで役に立ちます。切り離された状態であれば、つながりを取り戻すことができます。つまり、回復は可能なのです。それはトラウマの性質によっては長く続くプロセスになることもありますが、常に前へ進んでいける道のりです。

同じ出来事でも、衝撃の大きさが違う理由

トラウマは「対処できないほどの衝撃」によって生じるため、出来事のひどさそのものだけでなく、「それに対処できたかどうか」という条件も大きく関わります。次のような特徴があると、同じ出来事でも衝撃が大きくなりやすいことが知られています。

  • 予測できなかった … 心の準備ができていれば多少は身構えられますが、無防備なときに突然起これば、衝撃はそのぶん大きくなります。
  • 自分でコントロールできなかった … ただ衝撃を受けるしかなかった、という体験は「対処できなかった」という感覚を残します。
  • 自分にも責任があったように感じる … 出来事による衝撃に加えて「自分がだめだったからだ」という衝撃も重なり、いっそう抱えきれなくなります。

これらはいずれも、先ほどの「自分・身近な人・世界への信頼感」を揺るがします。だからこそ、トラウマを抱えた方が「客観的には自分のせいではないのに、くり返し自分を責めてしまう」ということが、とても多く見られます。

そして、もうひとつ知っておいていただきたいことがあります。「もっとひどい経験をした人もいるのに、病気になっていない人もいる。自分は弱いのではないか」「自分はたいした体験をしていないから、トラウマと呼ぶほどではないのでは」。そう感じてご自身を否定する方は少なくありません。

けれど、衝撃の大きさを決めるのは、出来事のひどさだけではありません。その人がもともと安心できる関係の中にいたか、そして体験のあとに支えてくれる味方がいたか、ということが大きく影響します。出来事のひどさを他人と比べることに、実はあまり意味はありません。**「その人がその出来事をどう体験したか」**こそが、いちばん大切なのです。ですから、ご自身の苦しみを他人と比べて打ち消す必要はありません。

受診の目安

以下のようなことが続いていれば、一度ご相談ください。

  • つらい出来事のあと、気分の落ちこみや不眠、不安が長く続いている
  • その出来事を思い出させるものを避けるようになり、生活に支障が出ている
  • 「自分が悪い」「自分は損なわれてしまった」という気持ちから抜け出せない
  • 人や世界が信じられず、いつも気が張って疲れてしまう
  • つらさを誰にも打ち明けられず、一人で抱えこんでいる

なお、トラウマに関連する状態かどうか、また治療が必要かどうかの診断は、医師が行います。気になることがあれば、自己判断で抱えこまず、早めにご相談いただくことが回復への近道です。

まとめ

小さな衝撃は「考える・気分転換・睡眠・人に話す」といった「いつものやり方」で乗り越えられますが、衝撃が大きすぎるとそれが使えなくなり、その状態がトラウマと呼ばれます。トラウマは「自分・身近な人・世界への信頼感」から一時的に切り離された状態であり、消えない傷ではなく、つながりを取り戻していける回復可能なプロセスです。衝撃の大きさは出来事のひどさだけで決まらないので、ご自身の苦しみを他人と比べて否定する必要はありません。一人で抱えこまず、安心して頼れる場を少しずつ取り戻していきましょう。


参考にした書籍(要約・再構成。原文の転載ではありません):

  • 水島広子『対人関係療法でなおす トラウマ・PTSD』創元社

よくある質問

トラウマと普通の傷つきは何が違うのですか。

小さな傷つきは、考えたり眠ったり人に話したりする『いつものやり方』で乗り越えられます。トラウマは、衝撃が大きすぎてその『いつものやり方』が使えなくなった状態を指します。傷つきの大きさそのものより、対処できたかどうかが分かれ目です。

『もっとつらい経験をした人もいるのに』と感じてしまいます。

つらさは出来事のひどさだけで決まるものではありません。予測できたか、自分で対処できたか、支えてくれる人がいたかなど、多くの要素が関わります。ご自身の苦しみを他人と比べて否定する必要はありません。

トラウマは一生消えないのでしょうか。

トラウマは固定した傷ではなく、自分・身近な人・世界への信頼感から一時的に切り離された状態と考えられます。回復は可能で、信頼感とのつながりを少しずつ取り戻していくプロセスです。診断や治療方針は医師がご一緒に考えます。

出来事をはっきり思い出せないのですが、それでもトラウマと言えますか。

つらい体験は、思い出すこと自体が苦しいため、記憶があいまいになることがあります。はっきり思い出せなくても、心や体に影響が残ることはあります。気になる場合は、無理に思い出そうとせず、専門家にご相談ください。

家族から「甘えだ」と言われてしまいます。

普通の傷つきとトラウマの違いは、周囲にも理解されにくいものです。これはご本人の弱さの問題ではありません。安心して話せる場として、医療機関を活用していただくこともできます。

執筆・監修

精神保健指定医 野口晋宏

春日メンタルクリニック院長。精神科・心療内科の診療経験をもとに、受診前の不安や制度の疑問を整理しやすい情報提供を心がけています。

WEB予約