はじめに
満員電車に乗ると、人の話し声や車内アナウンス、まわりのにおいで頭がいっぱいになり、降りる頃にはぐったりしてしまう。掃除機や踏切の音が、人より何倍もうるさく感じる。蛍光灯やお店の照明がまぶしくて、長くいると疲れてしまう。香水や柔軟剤のにおいが強すぎて、その場にいるのがつらい——。
こうした感じ方を、「自分が神経質なだけ」「我慢が足りない」と思い込み、誰にも言えずに過ごしてきた方は少なくありません。職場や家庭で「大げさだ」と言われた経験があると、なおさら口にしづらくなります。
でも、これらは「わがまま」でも「気のせい」でもないかもしれません。ASD(自閉スペクトラム症)という発達特性のある方には、音・光・におい・味・肌ざわりなどに対する感覚過敏(かんかくかびん)——感覚を人より強く受け取りやすい特性——がみられることが知られています。
この記事では、ASDの感覚過敏とはどういうものか、大人ではどんな形であらわれやすいか、診察でどう伝えればよいか、日常でできる工夫は何かを整理します。なお、ASDかどうかの診断は医師が総合的に行うものです。この記事が「自分を責めなくていい」と感じ、必要なときに相談へ踏み出すきっかけになればと思っています。
感覚過敏はASDの特性のひとつ
感覚過敏とは、ふだんの生活にあふれている音や光、におい、肌への刺激などを、人より強く・つらく感じやすい状態をいいます。多くの人が気にも留めない刺激が、本人にとっては避けたくなるほどの不快さや苦痛になることがあります。
この感覚の特性は、ASDを理解するうえで大切なポイントとして注目されてきました。世界的に使われている診断の手引き(DSM-5)でも、感覚への過敏さや、逆に気づきにくさ(鈍さ)が、ASDの特徴のひとつとして位置づけられています。つまり感覚過敏は、本人の心がけや性格の問題ではなく、特性として理解できるものなのです。
ここで強調したいのは、感覚過敏それ自体が「悪いもの」ではない、ということです。困るのは、まわりの環境がその感じ方に合っていないときです。「自分の感じ方が間違っている」のではなく、「環境との相性が合っていない」と捉え直すと、対処の発想が見えてきます。
音・光・におい——大人ではこんな形であらわれる
感覚過敏は人によってあらわれ方がさまざまですが、大人の例で見ると、いくつかの典型的な場面があります。
聴覚(音)の過敏——いちばん多くみられる
感覚の中でも、音に対する過敏さはとくに多くみられ、本人が悩みやすい部分です。すべての音がつらいというより、特定の音が苦手というケースがよくあります。たとえば掃除機の音だけが耐えられない、踏切の音が苦手、といった具合です。
大人では、満員電車が大きな負担になることがあります。体が触れ合い、人のにおいがして、話し声やアナウンスがうるさい——複数の刺激が一度に押し寄せるため、通勤そのものが消耗の原因になってしまうのです。
視覚(光・見え方)の過敏
光をまぶしく感じやすい方もいます。屋外や明るい店内でいつもサングラスが手放せない、という形であらわれることもあります。また、ある特定の看板や模様などに目が強く引きつけられて、つい見入ってしまう、という方もいます。ASDの方は、もともと目から入る情報に注意が向きやすい傾向があるとも言われています。
嗅覚・味覚・触覚の過敏
においに敏感で、香水や柔軟剤、食べ物のにおいがつらい方もいます。味覚では、ある食べ物の細かな味の違いが気になって、特定のメーカーの商品しか食べられない、という形であらわれることがあります。
たとえば、こんな例があります。コンビニのおにぎりは食べられるのに、母親の手作りおにぎりは食べられない。一見すると不思議ですが、コンビニのおにぎりは味や塩加減が毎回ほぼ一定なのに対し、手作りは日によって少しずつ違うため、その違いがつらく感じられる、というわけです。本人の中には、ちゃんとした理由があるのです。触覚では、衣類のタグや特定の生地の肌ざわりが苦手、という方もいます。
「過敏」と「鈍さ」が同居することもある
感覚過敏というと「何でも敏感」とイメージしがちですが、実際には逆のことも起こります。ある感覚にはとても敏感なのに、別の感覚には気づきにくい——つまり過敏さと鈍さ(鈍麻:どんま)が、同じ人の中に同居することがあるのです。
たとえば、特定の音には耐えられないほど敏感なのに、痛みや暑さ・熱さには気づきにくい、名前を呼ばれても振り向きにくい、といった組み合わせです。矛盾しているように見えますが、ASDの特性としてはよくみられるもので、けっして珍しくありません。
この点を知っておくと、「自分は敏感なのか鈍いのか、どっちなんだろう」と混乱せずにすみます。感覚の感じ方には、その人なりの「でこぼこ」があるのだと考えてみてください。
診察で伝えるコツと、気をつけたいこと
感覚過敏には、大切な特徴があります。それは、本人が言葉にして訴えないと、まわりにも医師にも気づかれにくいということです。外から見ても分かりませんし、本人にとっては子どもの頃から「当たり前」だったため、つらさを言葉にする習慣がないことも多いのです。
だからこそ、診察では具体的に伝えることが助けになります。「敏感です」だけでは伝わりにくいので、
- どんな場面で(満員電車、職場の照明の下、特定の場所など)
- どんな刺激が(人の話し声、蛍光灯のまぶしさ、香りなど)
- どう感じるか(頭が痛くなる、その場にいられなくなる、ぐったりするなど)
をセットで話すと、状況が伝わりやすくなります。受診前にメモにまとめておくのもよい方法です。
聴覚過敏が幻聴と取り違えられないように
もうひとつ知っておきたい注意点があります。聴覚過敏が、幻聴(げんちょう)と取り違えられることがある、という点です。幻聴は「音がないのに聞こえる」体験ですが、聴覚過敏は「実際に鳴っている音を、人より強く・はっきり感じる」状態です。
たとえば、部屋の外のかすかな物音をはっきり拾ってしまう方が「聞こえる」と表現すると、それが幻聴と受け取られてしまうことがあります。両者は意味も対応もまったく異なります。だからこそ、「その音は実際に鳴っている音なのか」「どんな状況で、どう聞こえるのか」を具体的に伝えることが、正しい理解につながります。診断は医師が、全体像を見ながら慎重に行います。
環境を変えるという発想——日常でできる工夫
感覚過敏とのつき合い方の基本は、「自分を我慢で変える」のではなく、「まわりの環境を整えて、刺激を減らす」という発想です。専門的には環境調整と呼ばれ、支援の場でも大切にされている考え方です。無理に慣れようとするより、ずっとラクになることがあります。
日常でできる工夫の例をいくつか挙げます。
- 聴覚:イヤーマフやノイズキャンセリングのイヤホン、耳栓を使う。混雑の少ない時間帯に移動する。静かに過ごせる場所をあらかじめ決めておく。
- 視覚:サングラスやつばのある帽子を活用する。照明をやわらかいものに替える。作業スペースは余計なものが目に入らないよう整える。
- 嗅覚:においの強い場所を避ける、こまめに換気する、マスクを使うなど。
- 全般:一度にたくさんの刺激が重なる場面(混雑・騒がしい場所など)を避け、こまめに休憩をとる。「刺激が少なくて安心できる自分の居場所」を持っておく。
職場では、座席の位置を相談する、静かな環境で作業できる時間をつくるなど、ちょっとした配慮で負担が大きく変わることがあります。「できないこと」を責めるのではなく、「どうすればラクに過ごせるか」を一緒に考えていく発想が役立ちます。
受診の目安
以下のようなことに思い当たる場合は、一度ご相談いただく目安になります。
- 特定の音・光・におい・味・肌ざわりがつらく、外出や通勤・仕事に支障が出ている
- 感覚のつらさを「わがまま」「気のせい」と思って、一人で我慢し続けてきた
- 工夫をしても刺激による消耗が大きく、疲れやすさや気分の落ち込みが続いている
- 感覚過敏に加えて、対人関係やこだわりの面でも生きづらさを感じてきた
- 自分の感じ方を、誰かにきちんと理解してもらいたいと感じている
つらさが続いて生活に影響しているなら、それだけで相談する十分な理由になります。
まとめ
ASDの感覚過敏は、音・光・におい・味・肌ざわりなどを人より強く受け取りやすい特性で、診断の手引きでも位置づけられています。聴覚の過敏がとくに多く、満員電車や特定の音が大きな負担になることがあり、過敏さと鈍さが同居することも珍しくありません。
大切なのは、感覚過敏は本人が言葉にしないと気づかれにくい、という点です。「どんな場面で・どんな刺激が・どう感じるか」を具体的に伝えることが、正しい理解と適切な対応につながります。聴覚過敏が幻聴と取り違えられないよう、状況を丁寧に伝えることも役立ちます。
そして、自分を我慢で変えようとするより、環境を整えて刺激を減らす工夫が、毎日をずっとラクにしてくれます。あなたの感じ方には、ちゃんと理由があります。一人で抱え込まず、必要なときには気軽にご相談ください。
参考にした書籍(要約・再構成。原文の転載ではありません):
- 大人の発達障害ってそういうことだったのか
- 自閉スペクトラム症の理解と支援
- 大人の発達障害 成人精神疾患の背景に潜む神経発達症 ASD ADHD 精神科治療学
よくある質問
感覚過敏は『気のせい』や『わがまま』なのですか?
いいえ。感覚過敏はASD(自閉スペクトラム症)にみられる特性のひとつとして、診断の手引きであるDSM-5にも位置づけられています。本人にとっては実際に強い不快さや苦痛があり、わがままや気のせいではありません。
感覚が過敏なのに、痛みや呼びかけには気づきにくいことがあるのはなぜですか?
ASDでは、ある感覚にはとても敏感な一方で、別の感覚には気づきにくい『過敏さ』と『鈍さ』が同じ人の中に同居することがあります。矛盾しているように見えても、特性としてはよくみられる組み合わせです。
聴覚過敏と幻聴はどう違うのですか?
聴覚過敏は、実際に鳴っている音を人より強く・つらく感じる状態です。一方、幻聴は音がないのに聞こえる体験を指します。両者は取り違えられることがあるため、診察では『どんな状況で、どんな音が、どのように聞こえるか』を具体的に伝えることが大切です。
感覚過敏があれば必ずASDなのですか?
いいえ。感覚過敏はASD以外の理由でみられることもあり、感覚過敏があるからといってただちにASDとは限りません。診断は、生活全体の様子や他の特性も含めて、医師が総合的に判断します。