はじめに
自分が内因性うつ病だと見ている患者さんに、決まって投げかけている問いがある――ある精神科医が、そう書いています(内因性うつ病が何を指すかは、あとで説明します)。これまでの人生で大きな苦難に見舞われて深く落ち込んだときの憂うつは、いま自分のなかにある憂うつと似ているだろうか。返ってくる答えの多くは、まるで違うのだけれど、言い表しようがない、というものだそうです。
治療は続けている。診断名も伝えられている。それでも、良くなったという手ごたえのないまま時間だけが過ぎていく。そういうとき、「この診断で合っているのだろうか」という思いが、ときどき頭をよぎることがあります。
同じ「うつ」という言葉で語られていても、感じている落ち込みの質まで同じとは限らない。そして、その違いはうまく説明できなくても、診察の手がかりになる。この記事の下敷きは、精神科の専門誌が治療の効きにくいうつ病を特集した号に載った一編で、「治療抵抗性うつ病」という括り方そのものを問い直しています(以下では「論文」、書き手を「著者」と呼びます)。
同じ診断名のなかに、成り立ちの違う落ち込みが入っている
日本うつ病学会がまとめている、うつ病の治療ガイドライン。それが相手にしているのは、「大うつ病」――現在広く使われている診断基準でいう「うつ病」にほぼ相当する区切り――で、そのことはガイドライン自身のなかに明記されている。論文はまずそこを確かめます(論文が読んでいるのは2016年版です)。「治療抵抗性うつ病」の研究も、この大うつ病のほうを相手にしています。
論文が問題にするのは、この区切りの内側です。昔から精神科で「内因性うつ病」と呼ばれてきたのは、体に土台があるはずだと想定されている、内側から起こるうつ病です。大うつ病という区切りはこれと同じものではなく、そこには、何かの出来事や置かれた状況とつながりのある、理由の分かる落ち込みも入ってきます。この種の落ち込みが、いまの基準でうつ病と判断されるほど重くなることは十分に想定できるだろう。つまり大うつ病という枠は、似た言葉で語られていても質の異なる落ち込みを区別しておらず、成り立ちの面ではいろいろなものを一緒くたにしている――というのが著者の見立てです。
ここで「では自分の診断は」と気になったなら、先にこれだけ書いておきます。精神科の見立ては一度で決まるものではなく、症状だけでなく、これまでの経過、体の状態、暮らしの状況を合わせて、通院を続けるなかで確かめ直されていきます。診断がはっきりしないまま治療を進めることについては診断名がつかない・はっきりしない――それでも治療は始められますに書いています。
論文が使っている整理は、三つのまとまりです。病気とは別のものとしての変化。体のほうに原因がはっきり確かめられる、病気による変化。そして、体に土台があるはずだと想定されている変化。著者のいう内因性うつ病は、この最後に置かれます。
一つ、思い違いをしやすいところがあります。病気とは別の側に入るのは、理由の分かる落ち込みだけではない、という点です。これといった理由が指せないまま気分がすぐれない、という揺れも、論文はこちらの側に置いています。その起源も体にあるとされてはいますが、内因性うつ病とは別のものとして区別されている、という整理です。つまり、理由が分かるかどうかが、そのまま病気かどうかの境目になるわけではありません。
病気によるもののうち、体に原因が確かめられるものには、身体の病気や、使っている薬・物質に関係して起こる落ち込みが入ります。こちらはその不調、心だけの問題ではないかもしれない——精神症状の陰に隠れる「体の病気」の領分です。ただ、線引きは理屈のうえほど明快ではない、と著者自身が書いています。たとえば全身性エリテマトーデスやパーキンソン病では、その病気そのものによって起こる落ち込みに、病気を抱えて生きる苦しさから来る落ち込みが重なり、どちらからどれだけ来ているのかをはっきり線で分けるのは難しいだろう、と。治療の最中なら、使っている薬の影響まで考えに入れることになります。
もう一つ、著者が挙げているのは、身体の訴えが前に出るうつ病――かつて「仮面うつ病」と呼ばれてきた形――が、いまの診断の区切りではうつ病の側から外れて、体の症状のほうへ数え入れられてしまうことがありうる、という点です。気分の落ち込みより体の不調のほうが前に出ているとき、それがうつ病として拾われるとはかぎらない、ということでもあります。体の症状が前に出るうつ病そのものは頭痛・倦怠感・胃腸の不調…検査で異常なしのうつ病の身体症状にあります。
理由の分かる悲しみを、本来なら病気にしか使えないはずの「症状」という語で呼ぶわけにはいかないだろう、とも論文は書いています。たとえば大切なものを失ったあとの悲しみなら、どれだけ深く悲しむかは、その人が何を失ったかの重さに応じたものであり、消し去る対象というよりは、越えていくものだろう、と。そのうえで著者は、ここだけは留保なく述べています。きっかけがあって起きたのではないうつ病と、理由の分かる悲しみとは、外から見て似ていたとしても、どうやって生じたのかという点でまるで違う、と。
この記事の側から一つ補っておきます。ここで話題になっているのは、出来事がすでに起きて過ぎたあとの悲しみです。つらい状況がいまも続いているときは、越えていくものとして扱う話にはなりません。
同時に、心にかかった負荷が体のほうに働いて、内側から起こるうつ病を引き起こすことはある、とも著者は書いています(著者はそのうえで、現在の診断基準はそういう働き方までは想定していない、と批判を続けています)。理由が分かるように見えても、うつ病として診ていく必要がある場合があることは、その診断基準のなかで注意が促されています。きっかけに心当たりがあることは、受診をためらう理由になりません。
「効きにくさ」を調べる研究がすくい上げていないもの
「治療抵抗性うつ病」には標準的な定義が確立しておらず、ここでいう治療への反応とは、おもに薬による治療への反応を指しています。この節で見るのは、その研究の対象になっている集団の中身です。
抗うつ薬がどれくらい効くかを調べる研究では、偽の薬との比較が必要になるため、軽い方から中くらいの方が中心になります。落ち込みの程度が軽くなるほど、対象は成り立ちの面で雑多になりがちで、そこには前の節でみた、理由の分かる悲しみが多く混ざってくる。その食い違いから生じる問題が、研究で得られる知見にいろいろな形で影響しているだろう――というのが論文の見立てです。
なぜ、理由の分かる悲しみを抱えた方が、うつ病の研究の対象にまで入ってくるのか。著者は、周囲の側についても書いています。自分の悲しみに向き合って、抱えたままでいこうと思っている。それを周囲が認めない、という事態も起こります。早く元気になることを求められ、うつ病ではないかと言われて、受診をすすめられる。そうやって受診に至った方の多くには、適応障害という診断がつくのではないか、というのです。適応障害という診断がついた場合も、そこから治療は始まります。周りにすすめられて受診されることも、受診の理由として差し支えありません。分かれ目そのものは適応障害とうつ病の違い|診断はどこで分かれるのかに、大切な方を亡くしたあとの悲しみは大切な人を亡くしたあとのこころ――悲しみは病気ではありません。それでも、受診が支えになるときがありますにあります。
そして著者が挙げているのが、いちばん重い状態の方が、研究から外れてしまうという点です。自ら命を絶とうとする考えが差し迫っている、不安や落ち着かなさが強い、自分は罪を犯したという妄想が前に出ている――そういう重い状態の方は、はじめから治験の枠の外に置かれます。そこに、参加の同意が得られないことを理由に外されてしまう心配が重なります。こちらは治験にかぎらず、多くの臨床研究に当てはまる話です。
軽い方から中くらいの方を調べた結果が、重い状態の方にそのまま重なるとはかぎらないのではないか。そう問いかけたうえで著者が置いているのは、もっとも助けを必要としている人ほど、自分からは手を挙げられない状態にあるのではないか、という問いです。病のために自分が病気だという認識(病識)が保てなくなり、治療にも研究にも同意が得られない。そこには、薬が効きにくいというのとは違う意味あいでの治療抵抗性がある――というのが著者の主張です。
読者の側から言い直すと、こういうことになります。どの薬がどれくらい効くかを調べた研究は、いまのご自分と同じ状態にある人を見ていないかもしれない。ただ、研究の枠に収まらないことと、いま続けている治療に意味があるかどうかは、まったく別のことです。
症状の点数や研究上の区切りだけでは、拾えない違いがある。論文の最後は、その違いの中身に踏み込みます。冒頭で紹介した、あの問いの場面です。
言い表す言葉が、そもそも用意されていない
論文の「おわりに」が問うのは、こういうことです。内側から起こるうつ病の落ち込みと、出来事への反応としての落ち込みの違いは、きっかけがあるかないかだけの話ではなく、体験そのものの質からして違っているのではないか。著者が先ほどの問いを、自分が内因性うつ病だと見ている患者さんに投げかけ続けているのは、この文脈でのことです。
「まるで違うのだけれど、言い表しようがない」という答えについて、著者はこう続けます。内因性うつ病で起きている落ち込みは、健康なときの感じ方とは質からして異なっていて、それをうまく言い表す言葉が、そもそも世の中に用意されていないのだろう。患者さんは、言い表しにくいものを、日ごろ使っている言葉で懸命に伝えようとしているのだと思う、と。決まった手順で進める面接や、点数をつけていく尺度では、その質の違いをすくい上げられない、ともしています。
そして著者は、大うつ病を相手にしているかぎり自分たちが本当に知りたいことには手が届かない、と言い切ります。知りたいのは、著者のいう内因性うつ病に起きている治療抵抗の例のほうだ、と。「治療抵抗性うつ病」という括りの見落としはそこにある、というのが論文の結論です。
ここが、この記事でいちばん伝えたい場面です。言葉が見つからないのは、伝える力の問題ではありません。 言い表す言葉のほうが、そもそも用意されていないのです。いまの憂うつが、以前の落ち込みとどこか違う気がするのに、うまく説明できない――それでも、そのまま診察の手がかりになります。
まとめ
診察で使っていただきたい一言があるとすれば、「前の落ち込みとは、どこか違う気がする」です。うまく説明できないままで差し支えありませんし、言えない事情があるときは、その事情のほうをご相談ください。成り立ちを見分けるのは読者の側の宿題ではなく、経過を追いながら診察のなかで確かめていくことです。
自分や他の人を傷つけそうな考えが出ているとき、食事も水分もほとんど取れていないときは、次の診察を待たないでください。通院中であれば主治医に連絡し、命に関わる切迫した状況ではためらわず救急(119)を利用してください。
治療の手ごたえのなさそのものが気になっているなら、次に読むのは治療抵抗性うつ病とは|効かないときに最初に確認すべきことです。
そのほか近いところにあるもの ── うつの治療が長引くとき――診断名に届かない不安が、確かめられないまま残っていることがある/うつの治療が長引くとき――発達特性と暮らしの負担という、もう一つの見直し方/うつの治療が長引くとき――そばで暮らすご家族が抱えているもの/メランコリー型うつ病とは?まじめで責任感が強い人に起こりやすいうつ/うつ病は再発する?経過のたどり方と再発を防ぐために知っておきたいこと
参考にした資料(要約・再構成。原文の転載ではありません):
- 精神科治療学 第37巻8号(2022年)の特集より、「治療抵抗性うつ病」という括り方そのものを問い直した一編(古茶大樹、817〜822頁)
よくある質問
私のうつ病はどのタイプなのでしょうか。いまの診断が間違っているということですか。
ご自身の状態は、症状だけでなく、これまでの経過、体の状態、暮らしの状況を合わせて、診察のなかで医師が見立てていきます。その見立ては一度で決まるものではなく、通院を続けるなかで確かめ直されていきます。この記事が紹介しているのは、研究や診療の対象をどう区切るかという医師の側の議論で、ご自身のタイプを判定していただくためのものではありません。
理由がはっきりしている落ち込みは、病気ではないということですか。
論文の著者は、理由の分かる悲しみを、病気にしか使えないはずの「症状」という語では呼べないだろうと書いています。ただし、心にかかった負荷が体のほうに働いて、内側から起こるうつ病を引き起こすことはあるとも書いています(著者は、いまの診断基準はそういう働き方までは想定していない、と批判もしています)。理由が分かるように見えてもうつ病として診ていく必要がある場合があることは、その診断基準のなかで注意が促されています。きっかけに心当たりがあることは、受診をためらう理由になりません。