「悲しいですか」と尋ねられて、少し考え込む人がいます。
精神科医の原田憲一は、うつ状態の人にこの質問をすると、すぐには答えられない人がかなりいると書いています。日本語の「悲しい」は親しい人を亡くしたときの気持ちにはしっくりきますが、うつ状態の苦しさを表す言葉としては、必ずしもぴったりではないというのです。
では、どんな言葉が出てくるのでしょうか。
「何をするのも億劫です」「頭が働きません」「本を読もうとしても、文字を見ているだけで意味が入ってきません」。
同じうつ状態でも、気持ちの重さ、考えが進まない感じ、何かをしようとしても動けない感じなど、訴え方はさまざまです。原田によれば、「億劫」という言葉は日本人のうつ状態の実感によく合う表現の一つです。
この言葉も面白いものです。「意欲がない」という説明だけでは、本人がどれほど苦しんでいるか分かりません。やらなければいけないと思いながら、どうしても手がつかない。「億劫」というひと言には、その苦しさも含まれています。
一方で、原田はこうした言葉を感情、思考、意欲という別々の症状にきれいに分類することにも慎重です。一つの言葉が複数の意味を含むことがあり、地方ごとに違う表現もあると指摘しています。
同じ言葉でも指している体験が違うことがあり、違う言葉で同じような苦しさを伝えていることもあります。
そして、そもそも言葉が見つからない体験もあります。
「前の落ち込み」と、いまの落ち込みは似ていますか
精神科医の古茶大樹は、ある質問を診察で繰り返していると書いています。
自分が内因性うつ病だと見ている患者さんに、人生で大きな苦難を経験したときの落ち込みと、いま感じている落ち込みが似ているかどうかを尋ねるのです。
内因性うつ病とは、昔から精神科で使われてきた概念で、体に土台があるはずだと想定されている、内側から起こるうつ病を指します。
古茶によると、患者さんから返ってくる答えの多くは、以前の落ち込みとはまるで違うけれど、その違いをどう表現すればよいか分からない、というものです。
以前にも深く落ち込んだ経験はあります。そのときも十分につらかったはずです。それでも現在の苦しさとは何かが違う。程度の差だけでは説明できないようなのです。
この診察場面が紹介されているのは、2022年の『精神科治療学』に掲載された、治療抵抗性うつ病についての論文です。
治療抵抗性うつ病とは、治療への反応が乏しいうつ病を指す言葉ですが、標準的な定義はまだ確立していません。研究で問題にされる治療への反応は、主に薬による治療への反応です。
古茶は、この「治療抵抗性うつ病」という括り方自体に疑問を投げかけています。
同じうつ病として研究されている人たちは、本当に同じ種類の苦しさを経験しているのでしょうか。
「大うつ病」という一つの名前に、何が入っているのか
日本うつ病学会の治療ガイドラインは、「大うつ病」という区切りを対象にしています。古茶が論文で参照しているのは2016年版で、ガイドラインにもその対象が明記されています。
大うつ病は現在広く使われている診断基準の「うつ病」にほぼ相当します。しかし、古茶が重視している内因性うつ病と同じ範囲を指す言葉ではありません。
古茶が問題にしているのは、大うつ病という一つの診断上の区切りに、成り立ちの異なる落ち込みが含まれうることです。
論文では、人の気分の変化を大きく三つに分けて考えています。
まず、病気とは別のものとして起こる変化です。大切なものを失ったときの悲しみや、つらい状況に置かれたときの落ち込みが含まれます。何か特別な理由がなくても気分がすぐれないという日常の揺れも、こちらに置かれます。
次に、身体の病気や薬、物質など、体のほうに原因を確かめられる変化です。
最後が、体に土台があるはずだと想定されている変化です。古茶のいう内因性うつ病はここに入ります。
この整理は、理由が分かれば病気ではなく、理由が分からなければ内因性うつ病だという単純な分け方ではありません。理由を指せない気分の揺れもありますし、何かをきっかけとして内因性うつ病が起こる場合もあると、著者は考えています。
身体の病気が関係している場合も、話は複雑です。
たとえば全身性エリテマトーデスやパーキンソン病では、病気そのものによって生じる落ち込みと、その病気を抱えて暮らす苦しさによる落ち込みが重なることがあります。両者を明確に分けるのは難しく、使っている薬の影響も考える必要があります。
体の病気と精神症状の関係は、その不調、心だけの問題ではないかもしれないでも取り上げています。
反対に、うつ病であっても身体の不調ばかりが前に出る場合があります。
かつて「仮面うつ病」と呼ばれたような形です。気分の落ち込みが目立たず、体の症状として扱われ、うつ病の診断上の区切りから外れてしまう可能性を古茶は指摘しています。
原田の著書にも、こうした体の訴えを詳しく聞く場面があります。
「頭が痛い」と言っていても、尋ねてみると、ズキズキする痛みというより頭を押しつけられるような感覚だったりします。「体がだるい」という言葉も、運動したあとの疲れとは違い、気持ちの重さが中心になっていることがあります。
同じ「頭痛」「疲労」という言葉でも、本人が何を感じているかは一様ではありません。
うつ病に伴う体の変化については頭痛・倦怠感・胃腸の不調…検査で異常なしのうつ病の身体症状でも説明しています。
さらに古茶は、別の著書『臨床精神病理学』で、内因性うつ病の体験を具体的に描いています。
食卓に食べ物が並んでも空腹を感じず、口にしてもおいしいという感覚がわかない。食べなければと思うので、義務感でなんとか食べています。体はひどく疲れているのに自然な眠気が訪れず、眠っても休まった感じがありません。
食欲や睡眠欲求そのものが失われていくような変化です。同書では、1〜2か月の間に体重が5kg以上減少することもまれではないと記されています。
これらは古茶が内因性うつ病について描いた特徴であり、個々の症状からその診断を決められるという話ではありません。
ただ、「気分が落ち込む」という言葉だけでは説明しきれない変化があることは、こうした描写からも伝わってきます。
朝がつらく夕方に楽になる。それだけで何が分かるでしょうか
朝になると気分がひどく落ち込み、夕方には少し楽になる。
うつ病について見聞きしたことがある方なら、こうした日内変動を知っているかもしれません。
古茶は内因性うつ病で、はっきりした理由がないまま朝に症状が重く、午後から夕方にかけて軽くなることが多いと書いています。
ところが、同じような一日の変化が、別の理由でも起こります。
たとえば上司とのトラブルで仕事がつらくなっている人です。出社しなければならない朝は具合が悪く、仕事を終える人が増える夕方には少し楽になります。翌日は出社できそうだと思うこともあります。
どちらも「朝がつらく、夕方に楽になる」という言葉で表せます。しかし後者には、職場の出来事と結びついた理由があります。
また、原田は周囲の出来事によって気分があまり変わらないうつ状態と、出来事に応じて軽くなったり重くなったりする状態を区別して描いています。前者のような反応の乏しさは、かつて内因性うつ病の特徴としても指摘されてきました。
だからといって、朝のつらさや周囲への反応だけで判断できるわけではありません。
古茶が重視するのは、その人の生活を時間の経過に沿って確かめることです。
職場を離れて休養していても、嫌だった出来事を何度も思い返していれば、気持ちが晴れないことがあります。物理的に距離を置くことと、気持ちの中で出来事から離れられることは同じではありません。
逆に、本人が原因だと思っている出来事が、実際には落ち込みが始まったあとに起きている場合もあります。すでに乗り越えたはずの昔の悩みに、あとから原因を求めていることもあると、古茶は指摘しています。
自分を責める気持ちにも、時間の順序があります。
最初から自分には価値がないと思っていたのではなく、何もできない、何も楽しめない状態が続くうちに、そんな自分を責めるようになることがあります。古茶は内因性うつ病で、そのようにあとから罪責感や無価値感が加わる場合を説明しています。
目の前に現れている症状だけでなく、何が先に起きて、そのあと何が変わったのかを聞く意味がここにあります。
では、何かを失った悲しみと、うつ病はどう違うのでしょうか。
論文で古茶は、大切なものを失ったあとの悲しみについて、その深さには失ったものの重みが関わっており、消し去るというより、時間をかけて越えていくものだと述べています。
ただし、これは出来事がすでに過ぎ去ったあとの悲しみについての話です。つらい状況が現在も続いている場合に、ただ乗り越えるべきものだと扱う話ではありません。
また、心にかかった負荷が体のほうに働き、内側から起こるうつ病を引き起こすこともあると著者は書いています。その働き方を現在の診断基準が十分に想定していないことも、著者の批判の一つです。
理由が分かるように見えても、うつ病として診ていく必要がある場合があることは、診断基準でも注意されています。
きっかけがあるから病気ではないとも、きっかけがないから内因性うつ病だとも言い切れません。
こうした診断上の違いについては適応障害とうつ病の違い|診断はどこで分かれるのかでも取り上げています。
研究の数字には、最も重い人が入っていないことがあります
ここからが、古茶の論文のもう一つの興味深いところです。
うつ病の治療に薬がどれくらい効くのかを調べる研究では、偽薬と比べることがあります。そのため、研究対象は比較的軽症から中等症の人が中心になります。
古茶は、症状の程度が軽くなるほど、その集団には成り立ちの異なる落ち込みが混ざりやすくなると考えています。
そこには、出来事への反応として生じた悲しみも含まれてくるだろうというのです。
論文では、本人が悲しみを抱えながら生きていこうとしているのに、周囲が早く元気になることを求める場面も取り上げています。
周りからうつ病ではないかと言われ、受診をすすめられる。そうして受診した人の多くには、適応障害という診断がつくのではないかと著者は考えています。
適応障害と診断された場合にも治療は始まりますし、周囲にすすめられて受診すること自体に問題があるわけではありません。
ここで問われているのは、研究に参加する人たちがどのような経緯で落ち込みを抱えるようになったのか、その違いです。
そして、研究の対象について、もう一つ問題があります。
最も重い状態にある人が、初めから研究対象に入っていないことがあるのです。
差し迫った自殺念慮、強い不安や焦燥、自分は罪を犯したという妄想などが前に出ている重症例は、治験から除外されることがあります。
さらに、研究参加には本人の同意が必要です。
病気のために、自分が病気であるという認識、いわゆる病識が失われている人では、治療にも研究にも同意が得られないことがあります。家族が代わりに同意する仕組みがあっても、うまくいくとは限りません。
これは薬の治験だけでなく、多くの臨床研究に関わる問題です。
その結果、軽症から中等症の人を対象にして分かったことが、重症の人にもそのまま当てはまるとは限らないのではないか。古茶はそう問いかけています。
ここで「治療抵抗性」という言葉の意味が変わります。
通常の研究では、主に薬を使っても十分な反応が得られないことが問題になります。
しかし古茶が考えるもう一つの治療抵抗性は、病気のために本人が助けを求められず、治療を受けることへの同意さえ難しくなっている状態です。
薬が効きにくいという話とは、別の問題です。
もっとも助けを必要としている人が、自分からは助けを求められない。その人たちを研究対象から外したままでは、知りたいことに十分に迫れないのではないかというのが著者の問題提起です。
もちろん、研究対象に自分と同じ状態の人が含まれていない可能性があることと、現在受けている治療に意味がないことは別です。
ただ、論文に書かれた平均的な結果や症状の点数から、そのまま一人ひとりの治療の見通しが分かるとは限りません。
「うまく説明できない」は、診察で伝えてよい言葉です
古茶の論文は最後に、冒頭の診察場面へ戻ります。
以前、人生の大きな苦難に直面したときの落ち込みと、いまの落ち込みは似ていますか。
多くの患者さんが、全然違うけれど説明できないと答えるあの問いです。
古茶は、内因性うつ病の体験が健康なときの感覚とは質からして異なるため、それを的確に表す言葉がそもそも世の中にないのではないかと考えています。
患者さんは普段使っている言葉を頼りに、それまで経験したことのないような感覚を伝えようとしているのだろう、というのです。
決まった質問を順に尋ねる面接や、症状に点数をつける評価尺度では、その主観的な違いを十分に捉えられないとも述べています。
たとえば、同じように気分の落ち込みを訴えていても、食欲や睡眠欲求まで変わっている人もいれば、つらい出来事との関係で気分が変動する人もいます。
その違いを一つの点数にまとめれば、何が違うのかは見えにくくなります。
古茶が本当に研究したいと述べているのは、著者のいう内因性うつ病で、治療に抵抗を示している人たちです。大うつ病という広い区切りだけを対象にしていては、その人たちに起きていることを十分に知るのが難しいという結論です。
この考え方は、現在のうつ病の診断がすべて間違っているという意味ではありません。うつ病をどう分類し、何を研究対象にするかについての、一人の精神科医による問題提起です。
診察では一度の症状だけでなく、これまでの経過、体の状態、暮らしの状況を合わせて見立て、通院を続けるなかで確かめ直していきます。診断がはっきりしない段階については診断名がつかない・はっきりしない――それでも治療は始められますでも説明しています。
当院では初診前のWEB問診に、気になっていることを簡単に記入していただいて差し支えありません。文章に整理しにくい場合は、診察で詳しく伺います。メモを作って、スマートフォンの画面をそのまま見せていただくこともできます。
「悲しいのかと聞かれても、よく分からない」「疲れているのに眠くならない」「前に落ち込んだときとは、何かが違う」。
そんな言葉から、これまでの経過や体験の違いを一緒に確かめていくことができます。
何もかも正確に説明しようとする必要はありません。何がどう違うのか、自分でも分からないということ自体が、診察で伝える価値のある情報です。
治療を続けても手ごたえが乏しいと感じている方には、治療抵抗性うつ病とは|効かないときに最初に確認すべきことも関連する記事です。
言葉にしにくい感覚が残っているなら、次の診察で「前とはどこか違う気がします」と話してみてください。そこから聞けることが、まだあるかもしれません。
参考にした資料(要約・再構成。原文の転載ではありません):
- 精神科治療学 第37巻8号(2022年)の特集より、「治療抵抗性うつ病」という括り方そのものを問い直した一編(古茶大樹、817〜822頁)
- 古茶大樹「『治療抵抗性うつ病』の盲点―我々が本当に知りたいのは内因性の治療抵抗性うつ病―」『精神科治療学』第37巻8号、星和書店、2022年、817〜822頁
- 原田憲一『精神症状の把握と理解』中山書店、2008年
- 古茶大樹『臨床精神病理学――精神医学における疾患と診断』日本評論社、2019年
よくある質問
うつ病なのに、悲しいと感じないことはありますか。
「悲しい」という言葉が実感に合わず、「億劫」「頭が働かない」などと表現する人もいると、紹介した著書には書かれています。うつ状態では気分だけでなく、考えることや何かをすることにも変化が現れます。悲しいと感じるかどうかだけで、うつ病かどうかが決まるわけではありません。
落ち込む理由が分かるなら、うつ病ではないのでしょうか。
理由の分かる悲しみと、著者のいう内因性うつ病は成り立ちが異なるというのが論文の主張です。ただし、心にかかった負荷が体のほうに働き、うつ病を引き起こすこともあると著者は述べています。きっかけの有無だけで判断する話ではありません。
朝につらく、夕方に楽になるのは内因性うつ病の特徴ですか。
内因性うつ病では理由のはっきりしない日内変動がみられることがあると、紹介した著書には書かれています。一方、仕事に行く朝がつらく、仕事から離れる夕方に楽になるという変化もあります。症状が変わる時刻だけでなく、周囲の出来事との関係や、それまでの経過を確かめる必要があります。
薬が効きにくいと感じるときは、治療抵抗性うつ病なのでしょうか。
治療抵抗性うつ病には標準的な定義が確立しておらず、論文が問題にしている治療への反応は主に薬物療法への反応です。治療の手ごたえだけで、ご自身のうつ病の成り立ちを判定することはできません。治療の見直しについては「治療抵抗性うつ病とは|効かないときに最初に確認すべきこと」も参考になります。
今の落ち込みが以前と違うのに、うまく説明できません。どう伝えればよいですか。
「前とは違う感じがする」という言葉から、診察で詳しく確かめていくことができます。当院のWEB問診も簡単な記載で差し支えありません。伝えたいことをメモに整理し、診察でスマートフォンの画面を見せていただいても大丈夫です。