薬を飲み、通院も続けています。それでも良くなった実感がありません。
診察では眠れないことも、気分が落ち込むことも話しています。ただ、最近増えてきた寝酒のことは、一度も口にしていません。
「そんなに飲んでいるんですか」と言われそうで、聞かれないなら黙っておこうと思ってしまいます。
たとえば、こんな状況があったとします。
うつ病の治療が思うように進まないとき、これまで診察で話していなかった習慣が、経過を見直す手がかりになることがあります。
精神科の専門誌『精神科治療学』には、治療が長引くうつ病を扱った特集があります。その中の一編では、お酒、タバコ、賭け事の問題がうつ病と重なることを取り上げています。
こうした問題が重なると、落ち込みものめり込みも長引き、ぶり返しやすくなり、一般的なうつ病の治療も効きにくくなることがあります。
もちろん、寝る前にお酒を飲んでいるというだけで、治療が進まない原因が決まるわけではありません。
ただ、診察で話していないことがあるなら、そこに目を向ける価値はあります。
仕事が終わると、なぜか飲みたくなる
忙しい一日が終わりました。今日はずいぶん疲れたので、早く眠りたいと思っています。
ところが、疲れすぎているのか、なかなか眠れません。明日も仕事があるのに眠れないと思うと、ますます焦ってきます。
そこで一杯飲みます。
仕事を頑張った自分へのご褒美という気持ちもあります。嫌なことがあった日は、気分を紛らわせるために飲むこともあります。
依存症からの回復支援を扱ったワークブックには、こうした仕事の疲れや寝酒につながる場面が紹介されています。
興味深いのは、お酒が目の前になくても、飲みたくなることがあるという点です。
有名なパブロフの実験では、犬に餌を与えるたびにベルを鳴らしました。これを繰り返すと、犬は餌を見せられなくても、ベルの音だけで唾液を出すようになりました。
もともとは餌と関係のなかったベルが、餌を予想させる合図になったのです。
お酒や薬物でも、似たことが起こります。
いつも飲んでいた場所、一緒に飲んでいた人、そのときによく聴いていた音楽。そうしたものに触れるだけで、飲みたい気持ちが生じることがあります。
回復支援では、こうしたきっかけを「引き金」と呼びます。
仕事が終わっていつもの場所に座ると飲みたくなる場合、そこには疲れだけでなく、繰り返してきた習慣も関係しているかもしれません。
もう一つ、回復支援で使われるのが「H.A.L.T.」という考え方です。
- Hungry:お腹がすいている
- Angry:怒っている、イライラしている
- Lonely:孤独で寂しい
- Tired:疲れている
これらは、お酒や薬物を再び使いたくなりやすい状態を思い出すための言葉です。
飲みたい気持ちが強まったとき、意志の強さだけを問題にするよりも、その日の疲れや怒り、寂しさ、いつもの習慣を振り返るほうが、具体的な手がかりを得られることがあります。
回復支援のワークブックでも、飲酒につながる状況を知り、そうした状況から距離を取ることが重視されています。
うつが先か、お酒が先か
うつ病とお酒の問題は、どのくらい重なっているのでしょうか。
複数の研究をまとめた報告では、うつ病のある方について、次のような割合が示されています。
- 約6人に1人が、現在お酒の問題を抱えています。
- 約3人に1人が、生涯のどこかでお酒の問題を経験しています。
うつ病の診察で飲酒について尋ねられるのは、特別に疑われているからとは限りません。これだけ重なりが見られるため、治療の経過を考えるうえで確かめる意味があります。
では、うつ病がつらくて飲むようになったのでしょうか。それとも、お酒の問題が先にあったのでしょうか。
「つらい気持ちを紛らわせるために飲み始めた」という説明は、理解しやすいものです。依存を苦痛への対処として捉える「自己治療」という見方もあります。
この考え方については、依存は『自己治療』かもしれない|つらさを薬や行動でしのぐしくみで紹介しています。
ところが、今回取り上げた論文では、研究を重ねるなかで、お酒の問題のほうがうつ病より先に始まった例が多いことが分かってきたと説明されています。
つらいから飲み始めるという一方向の説明だけでは、十分ではないのです。
ただし、これは多くの人を調べたときに見えてくる傾向です。
実際には、お酒の問題が先だった方も、落ち込みが先だった方も、ほぼ同じ時期に両方が始まった方もいます。
一人ひとりについては、どちらが先だったのかを個別に確かめる必要があります。
治療の経過にも違いがあります。
うつ病の治療で落ち込みが軽くなると、飲酒の問題も目立たなくなることがあります。逆に、お酒の問題に取り組んでいるうちに、落ち込みが軽くなる場合もあります。
お酒を断つだけで抑うつが改善することは臨床でも経験され、研究でも報告されています。
一方、うつ病を併せ持つ方は、うつ病のない方と比べて、断酒を続けられている割合が低いことも知られています。
うつの治療を続けても落ち込みが変わらず、お酒への働きかけもうまく進まない場合もあります。
だからこそ、飲酒量が変わった時期と、落ち込みが強くなった時期を照らし合わせることには意味があります。
なお、お酒は急に断つと体調が大きく乱れることがあります。減らすのか、やめるのか、どの順番で進めるのかは、ご自分だけで決めず主治医と相談してください。
元気になった頃に、また飲みたくなることもある
お酒をやめてしばらくすると、体調が良くなり、気分も明るくなってくることがあります。
そこで「もう大丈夫そうだから、たまには飲んでもいいかな」と考えることがあります。
依存症からの回復を扱ったワークブックでは、こうした比較的調子の良い時期にも、再び使ってしまう危険があると説明されています。
さらに、回復の途中で退屈さを強く感じる時期が訪れることも紹介されています。
同書では、アルコールや薬物をやめて3か月ほどたった頃、以前の刺激的だった生活を懐かしく感じたり、何をしてもつまらないと感じたりする場合があるとされています。
退屈なのか、寂しいのか、自分でも区別しにくくなることがあります。落ち込んだり、周囲からの助言がわずらわしく感じられたりすることもあります。
こうした経過は、すべての人が同じ順番で経験するという意味ではありません。
ただ、回復が進んで気分が良くなったからといって、その後もずっと飲みたい気持ちが出ないとは限らないことが分かります。
そして、やめようとしていたのに飲んでしまったとき、その出来事を隠してしまうと、何がきっかけだったのかを振り返る機会も失われます。
回復支援では、再び使ってしまったことを責める材料にするより、その前に何があったのかを話し、次の対策を考えることが重視されています。
診察でも「しばらくやめていたのに、昨日飲んでしまいました」という話は、経過を見直すための情報になります。
タバコをやめた人に、別の変化も起きている
タバコとうつ病にも、無視できない関係があります。
うつ病の方の喫煙率は、一般の人口と比べて2倍近くにのぼります。
喫煙が心の健康を損なう方向と、心の不調が喫煙を後押しする方向の、両方の関係が指摘されています。
タバコは日本でも世界でも広く使われている依存性のある物質ですが、精神医学の領域では、これまで十分に目が向けられてこなかった問題でもあります。
ここで興味深い研究結果があります。
うつ病のある方は、うつ病のない方に比べて禁煙に成功する割合が低くなります。
ところが、禁煙できた方では、落ち込みの改善が見込めることが複数の研究で示されています。
その改善効果の大きさについては、抗うつ薬による治療に引けを取らない、あるいはそれ以上だという指摘もあります。
もちろん、禁煙すれば誰でもうつ病が改善するという意味ではありません。
それでも、うつ病の治療を考えるときに、喫煙を別の問題として切り離しておくのは惜しい結果です。
一方、禁煙に取り組む時期も重要です。
研究を踏まえた考え方として、やめてみようという気持ちが育ってきたところで、禁煙の治療につなげることが大切だとされています。
「最近、本数が増えました」という話と、「そろそろやめてみたいと思っています」という話では、診察で考えられることも変わってきます。
賭け事の治療で、落ち込みまで変わった
賭け事とうつ病にも、研究で確認されている重なりがあります。
ギャンブル障害のある方のうち、現在うつ病にかかっている方、あるいは過去にかかったことのある方は、3〜4人に1人にのぼります。
その重なりは、女性でとりわけ強い傾向がうかがわれています。
ここでも、一方への治療がもう一方に関係するという研究があります。
賭け事の問題を対象とした認知行動療法を受けた方たちを調べた研究です。
治療後には、賭け事についての指標が改善しただけでなく、落ち込みの指標も改善していました。
特に、うつ病を併せ持っていた方たちでは、抑うつの点数の改善が目立っていました。
賭け事を対象にした治療で、気分の状態にも変化が見られたのです。
この結果だけで、賭け事の問題に取り組めば必ずうつ病も良くなるとは言えません。
それでも、うつ病と賭け事の問題を別々に考えるだけでは、見落とすものがあると分かります。
落ち込みについて診察を受けている方が、賭け事に使うお金や時間が増えていることを話すのにも意味があります。
診察で話すのは、きれいに整理できてからでなくていい
最初の場面に戻ります。
薬は飲んでいます。診察にも通っています。それでも調子が良くならず、寝る前にお酒を飲む日が増えています。
次の診察で、そのことを話すとしたら、どんな言葉になるでしょうか。
たとえば、こんな一言です。
- 「正確な量は分からないのですが、寝る前に飲む日が増えました」
- 「最近、タバコの本数が増えています」
- 「賭け事に使うお金が増えてきました」
- 「一度やめようとしたのですが、また飲んでしまいました」
こうした話が出れば、いつ頃から変化したのか、眠りはどうだったのか、落ち込みの強さと前後関係があるのかを確かめられます。
必ずしも、その場で断酒や禁煙を決めるわけではありません。お酒やタバコ、賭け事の問題が、うつ病の治療が進まない原因だと決まるわけでもありません。
これまで分からなかった生活の経過を、一緒に考える材料が増えます。
言いにくいことほど、話すには勇気が要ります。
依存症からの回復支援を扱ったワークブックでも、使ってしまったことを正直に伝えるのは、怒られたり、悪く思われたりするのではないかという不安があるため、簡単ではないと説明されています。
それでも、うまくいかなかったときに何が起きたのかを話せれば、次にどうするかを考えられます。
春日メンタルクリニックでも、うつ病や不安、不眠のご相談は、お酒を飲んでいることだけを理由にお断りしていません。アルコール依存症そのものが主なお困りごとの場合は専門治療を行っておらず、実施している医療機関をご自身でお探しいただくことになりますが、紹介状(診療情報提供書)は必要に応じて作成します。
初診はデジスマからWEB予約を行い、事前のWEB問診にお答えいただいています。問診に詳しく書きにくい場合は、短い記載でも差し支えありません。
うつ病の治療が長引いているとき、薬の調整や通院の経過だけでなく、診察でまだ話していないことに手がかりがあるかもしれません。
「最近、飲む日が増えました」
その一言から、これまでとは違う話が始まることがあります。
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参考にした資料(要約・再構成。原文の転載ではありません):
- 精神科治療学 第37巻8号(2022年)の特集より、うつ病に重なるお酒・タバコ・賭け事の問題と、その治療について論じた一編(吉村淳、843〜849頁)
- 『薬物・アルコール依存症からの回復支援ワークブック』/松本俊彦・小林桜児・今村扶美/金剛出版/2011年(2018年第8刷)
よくある質問
お酒を飲む日が増えました。うつが悪くなったからでしょうか。
飲酒とうつのどちらが先に変化したのかは、人によって異なります。飲む日が増えた時期、眠りの変化、落ち込みが強くなった時期を診察で確かめると、経過を整理する材料になります。
飲んだ量を正確に覚えていないと、診察で話せませんか。
正確な量が分からなくても、寝る前に飲む日が増えたといった変化から話せます。いつ頃から増えたのかも分かる範囲で伝えると、うつの経過と合わせて考える材料になります。
しばらく断酒できていたのに、また飲みたくなるのはなぜですか。
依存症の回復支援では、体調が良くなった頃や退屈を感じる時期にも、再び飲みたい気持ちが出ることがあると説明されています。いつもの場所や疲れなど、飲みたくなるきっかけを振り返ることが、次の対策を考える手がかりになります。
禁煙に成功したら、うつも治りますか。
禁煙できた方では落ち込みの改善が見込めるとする研究があります。ただし、誰でも同じように改善するとは限りません。禁煙の治療は、やめてみたい気持ちが育ってきた時期につなぐことが大切だと考えられています。
うつ病の診察で賭け事のことも話していいのでしょうか。
賭け事に使うお金や時間が増えているなら、うつの経過を考える手がかりになります。ギャンブル障害を対象とした治療を受けた方で、抑うつの指標も改善した研究があります。