はじめに
夜になると、お酒の量が止められない。市販の咳止めや風邪薬を、決められた量よりずっと多く飲んでしまう。気づけば何時間もスマホやゲームを手放せず、それなしでは一日をやり過ごせない——。こうした自分の姿に気づいて、「自分は意志が弱いのではないか」「快楽に流されるだらしない人間なのではないか」と、ひそかに自分を責めている方は少なくありません。
ご家族の立場でも、「どうしてやめられないの」「もっとしっかりして」と言いたくなり、そう言ってしまっては後悔する、というくり返しに疲れている方もいるでしょう。本人もまわりも、自分や相手を責めながら、出口の見えない思いを抱えていることがよくあります。あなただけが特別なわけではありません。
実は、依存について「快楽を求める弱さ」とはまったく違う捉え方があります。それは、依存を「心の痛みや生きづらさへの自己治療(じこちりょう)」とみなす考え方です。この記事では、お酒・市販薬・ゲームなど、物質にも行動にも共通するこの「自己治療仮説」をやさしく紹介し、本人も家族も自分を責めずに回復へ向かっていくための視点をお伝えします。なお、診断や治療方針は医師が行います。ここで紹介するのは、相談の前に知っておくと気持ちが少し楽になる「考え方の地図」とお考えください。
「自己治療仮説」とは ― 人は快楽より「つらさ」のために使う
依存というと、「気持ちよさ(快楽)を求めて、どんどんのめり込んでしまう状態」というイメージが一般的かもしれません。けれど、精神医療の世界では、それとは異なる見方が広く受け入れられてきました。
それが「自己治療仮説」です。これは、アメリカの精神科医エドワード・カンツィアンが提唱した考え方で、ひとことで言えば「人がアルコールや薬物にはまるのは、快楽を追い求めているからではなく、心理的な苦痛に対処するために、いわば自分で自分を手当てするように使っているのだ」というものです。
つまり、お酒や薬は「楽しむための道具」というより、「つらさを一時的にやわらげるための手段」になっている、という見方です。不安で眠れない夜をしのぐため、消えてしまいたい気持ちをまぎらわせるため、人とうまくつき合えない苦しさを忘れるため——そうした切実な理由で、人は物質に手を伸ばしていることが多いのです。
この見方に立つと、依存している人を「意志が弱い」「快楽に負けた」と決めつけることが、いかに実態とずれているかが見えてきます。むしろ、その人なりに、なんとか生き延びようとしてきた工夫の結果である、とも言えるのです。
市販薬の使いすぎも、多くは「つらさへの対処」から
この「自己治療」という視点は、近年問題になっている市販薬の使いすぎ(オーバードーズ)を考えるうえでも役立ちます。
処方箋がなくても薬局やドラッグストアで買える市販薬を、決められた量を大きく超えて飲んでしまう。とくに若い世代でこうした問題が広がっていることが報告されています。ここで注目したいのは、その「動機」です。専門の実態調査では、市販薬を使いすぎてしまう人の多くが、その理由として「対人関係のストレス」や「つらい気持ち・ネガティブな感情への対処」を挙げていることが分かっています。
「いやなことを忘れたい」「学校やバイトの両立がつらくなって」——そうした言葉とともに、薬に手を伸ばす姿は、まさに自己治療的な使い方の典型と言えます。快楽のためというより、抱えきれない心の痛みを、なんとかやり過ごそうとしているのです。
ですから、市販薬の問題を「だらしない若者の問題」として片づけてしまうと、本質を見失います。その背後には、誰にも言えないストレスや、孤立した気持ちが隠れていることが多いのです。
ゲームやネットも「包帯のような自己治療」
自己治療という考え方は、お酒や薬といった「物質」だけでなく、ゲームやインターネットといった「行動」にも当てはまると考えられています。
物をともなわない行動が依存の対象になることを、医学では「嗜癖(しへき/アディクション)」と呼びます。長い時間ネットやゲームから離れられない子どもや若者を見ると、まわりは「遊びたいだけ」「快楽に流されている」と感じがちです。けれど児童精神科の知見では、彼らは抱えている苦痛や困難への自己治療として、長い時間ネットやゲームを使っているのかもしれない、と考えられています。
ここで、ある専門家が使う印象的なたとえがあります。それは、ネットやゲームを「包帯」にたとえる見方です。けがをした人にとって、包帯は傷を守る大切なものです。同じように、つらさを抱えた子どもにとって、ゲームやネットは、痛みから一時的に身を守ってくれる「包帯」のような役割を果たしていることがあるのです。
そう考えると、ゲームやネットは「悪者」ではなく、その子なりの避難場所であり、心を守る道具になっている、という側面が見えてきます。
つらさを放っておいて、対象だけ取り上げる危うさ
ここまで読んでいただくと、「では、なぜ取り上げるだけではうまくいかないのか」が見えてくるはずです。
もし、お酒や薬、ゲームが「つらさをしのぐための自己治療」であり、傷を守る「包帯」だとしたら——その大元にある苦痛や困難をやわらげないまま、包帯だけを無理やりはがしてしまえば、どうなるでしょうか。守られていた傷が、むき出しのまま放り出されてしまいます。
実際、つらさをそのままにして対象だけを取り上げる対応は、大きな苦痛と、ときには危険をともなうことがあると指摘されています。たとえばゲーム機やスマホを急に取り上げたことで、はげしい対立が起きたり、状況がかえってこじれてしまったりすることは、決して珍しくありません。
依存している対象は、たしかに本人の生活を脅かしているかもしれません。けれど、それは同時に、その人にとって「数少ない、あるいは唯一の心の支え」になっていることもあるのです。だからこそ、「やめさせること」だけを目標にするのではなく、「この人は今、何に苦しんでいるのだろう」と、その奥にあるつらさへ目を向けることが欠かせません。
本当に求めているのは「酔い」ではなく「つながり」
依存からの回復を考えるとき、もう一つ大切な気づきがあります。それは、依存している人が本当に求めているのは、お酒や薬による「酔い」そのものではないかもしれない、ということです。
市販薬を使い続けてきたある若者は、「自分が乱用するために買っていたことは、たぶん店も薄々分かっていたと思う。でも、僕をしかってくれる人は誰もいなかった」と語っています。専門家は、こうした若者たちが本当に求めているのは、薬による酔いではなく、「人と人とのつながり」であり、「何か困っていることはありませんか」という、ちょっとした声かけなのかもしれない、と述べています。
依存(アディクション)は「孤立の病」とも言われます。そして、その反対側にあるのが「つながり(コネクション)」だと言われます。つまり、つながりを取り戻していくことで、依存がやわらいでいくことがあるのです。これは、お酒や薬物だけでなく、ゲームのような行動の依存についても同じように言えると考えられています。
回復の核は「安心して気持ちを話せる場」と「つながり」
では、回復のために何がいちばん大切なのでしょうか。さまざまな依存に共通して言えるのは、回復の核になるのは「安心して自分の気持ちを話せる場所を持つこと」と、「他者との意味のあるつながりを続けていくこと」だ、という点です。
これは、たとえば過食嘔吐のような食行動の問題からの回復を考えるうえでも、ヒントになる考え方です。一人で家にこもったまま、つらさを処理できてしまう手段にたよっている人にとって、回復のためには、その手段に「替わるもの」が必要になります。そして、その替わりになりうるのが、安心して気持ちを表に出せる場であり、人とのあたたかい関わりなのです。
ここで大切なのは、これは「自分一人の頑張り」で抱え込むものではない、ということです。安心して話せる場も、人とのつながりも、誰かと一緒に少しずつ取り戻していくものです。医療機関への相談は、その「安心して気持ちを話せる場」の一つになりえます。「やめられない自分」を責めるのではなく、「何に苦しんできたのか」を一緒に言葉にしていくところから、回復は始まります。
受診の目安
以下に当てはまるときは、一人で抱え込まず、一度ご相談ください。
- お酒・市販薬・薬の量が自分でコントロールできず、本人も困っている
- 決められた量を超えて市販薬や薬を飲んでしまうことがある
- ゲームやネット以外の楽しみや、人とのつながりへの関心が薄れてきた
- やめようとすると、強い不安・イライラや、はげしい対立が起きてしまう
- 背景に、強い落ち込み・不安・不眠や、対人関係のつらさが続いている
- 「消えてしまいたい」という気持ちや、自分を傷つける行為がある
とくに、気分の落ち込みが強い、眠れない、「消えてしまいたい」という言葉が出るときは、依存の問題とは切り離して、できるだけ早く相談してください。命に関わる緊急のとき(大量に薬を飲んでしまった、意識がもうろうとしているなど)は、ためらわず救急(119)に連絡してください。
まとめ
依存は、「快楽を求める弱さ」ではなく、「心の痛みや生きづらさへの自己治療」かもしれない——この自己治療仮説という見方に立つと、本人もまわりも、自分や相手を責める気持ちが少し軽くなります。
お酒・市販薬・ゲームやネットは、その人なりにつらさをしのぐための手段であり、傷を守る「包帯」のような役割を果たしていることがあります。だからこそ、奥にあるつらさを放っておいて対象だけを取り上げる対応は、かえって危ういのです。
依存から本当に求められているのは「酔い」ではなく「人とのつながり」であり、回復の核になるのは、安心して気持ちを話せる場と、他者との温かい関わりです。「やめられない自分」を責める必要はありません。何に苦しんできたのかを、これから一緒に言葉にしていきましょう。不安なときは、いつでもご相談ください。
参考にした書籍(要約・再構成。原文の転載ではありません):
- 精神科診療におけるたとえ話の効用(星和書店「精神科治療学」)
- ゲーム・ネットの世界から離れられない子どもたち(吉川徹/合同出版)
よくある質問
依存は、意志が弱い人や快楽に弱い人がなるものではないのですか?
そうとは限りません。「人は快楽を求めて物質や行動にはまるのではなく、心の痛みや生きづらさに対処するために使っている」という自己治療仮説という考え方があります。お酒・薬・ゲームなどは、つらさを一時的にやわらげる手段になっていることが多く、意志の弱さだけで説明できるものではありません。診断や評価は医師が行います。
依存の対象を取り上げれば、解決するのではないですか?
対象だけを取り上げても、その奥にあるつらさが消えるわけではありません。つらさを抱えたまま「包帯」だけをはがすような対応は、かえって本人の苦痛や危険を強めてしまうことがあります。大切なのは、対象を奪うことより、つらさそのものに一緒に向き合うことです。
回復のために、いちばん大切なことは何ですか?
安心して自分の気持ちを話せる場所があること、そして人とのつながりを取り戻していくことが、回復の核になると考えられています。依存(アディクション)は「孤立の病」とも言われ、その反対側にあるのがつながりです。一人で抱え込まず、相談できる相手を持つことが第一歩になります。
家族として、まず何をすればよいですか?
「なぜやめられないの」と責める前に、「この人は何に困っているのだろう」と関心を向けてみることが出発点になります。とはいえ、家族だけで抱えるのはとても難しいことです。早い時期に、家族の外に相談できる相手を確保することをおすすめします。本人がすぐに動けない場合、まずは家族だけで相談に来ていただいて大丈夫です。