はじめに
「市販薬なら病院でもらう薬とちがって安全だろう」——そう思っている方は多いかもしれません。けれど近年、ドラッグストアや薬局で買える咳止めや風邪薬を、定められた量をはるかに超えて一度に大量に飲んでしまう「オーバードーズ(OD)」が、特に10代〜20代の若い世代で問題になっています。
「つらいことを忘れたくて」「眠れない夜をやり過ごすために」「SNSで見かけてなんとなく試したら、やめられなくなった」。そんな声が、決して特別な人だけのものではなくなってきています。もしあなたやご家族が、市販薬を手放せなくなっていることに気づいて不安を感じているとしても、それはあなただけが抱えている問題ではありません。
この記事では、市販薬の乱用・オーバードーズがどのような状況にあるのか、咳止めや風邪薬のどんな成分に注意が必要なのか、そしてなぜ「市販薬なら」と手が伸びてしまうのかを、国の実態調査をもとにやさしく整理します。早く気づくための知識として役立てていただければ幸いです。なお、診断や治療の判断は医師が行います。ここで紹介するのは受診の前に知っておきたい「目安」とお考えください。
市販薬の乱用・オーバードーズ(OD)とは
ここでいう「市販薬」とは、処方箋がなくても薬局やドラッグストアで買える薬のことです。もともとカウンター越しに売られていたことから「OTC薬(市販薬)」と呼ばれることもあります。咳止めや風邪薬、解熱鎮痛薬など、多くの方が一度は手に取ったことのある身近な薬です。
「オーバードーズ(OD)」とは、こうした薬を、説明書に書かれた用量を大きく超えて一度に飲むことを指します。SNSでは市販薬の名前や「OD」といった言葉とともに、たくさんの錠剤を手のひらに載せた画像が日々投稿されている状況があります。「飲むと嫌なことを忘れられる」「やめたいのに毎日飲みたくなる」——そうした書き込みからは、心のつらさを抱えた人が市販薬に頼ってしまっている様子がうかがえます。
国内には6万を超える薬局があり、その数はコンビニエンスストアを上回るとも言われます。インターネットでも購入できる薬があり、「手に入りやすい」ことが問題を複雑にしています。一部の市販薬は販売個数を制限する対策が取られていますが、それだけでは十分とは言えないのが現状です。
若い世代・女性で増えている実態
市販薬の乱用が増えていることは、国の実態調査からも読み取れます。国立精神・神経医療研究センターは、全国の精神科の医療施設を対象に、薬物に関連する精神疾患の実態を調べる調査(NMH調査)を長年続けています。
この調査では、市販薬を「主な薬物」(今の精神的な症状にもっとも関わりが深いと考えられる薬物)とする患者さんの割合が、2012年から2020年にかけて大きく増えたと報告されています。その伸びは数倍規模に及び、近年では市販薬が、覚醒剤、睡眠薬・抗不安薬に次いで3番目に多いグループになっています。
年齢別に見ると、10代〜20代の若い世代で市販薬の割合が高いことが特徴です。とりわけ10代では、薬物に関連する症例の中で市販薬が大きな割合を占めると報告されています。また、女性の割合が高いことも特徴のひとつです。
注目したいのは、こうした方々の多くが「違法なものは使いたくない」という強い思いを持っている点です。覚醒剤などの違法薬物の使用経験が少ない一方で、心のつらさを抱え、薬物問題に関連した入院を経験している方も少なくないと指摘されています。「合法だから」「身近だから」という安心感が、かえって手を伸ばしやすくしている面があるのです。
咳止め・風邪薬に潜む依存と身体のリスク
では、どんな市販薬が乱用の対象になりやすいのでしょうか。国の調査によると、主に「鎮咳去痰薬(咳止め・痰切り)」「総合感冒薬(風邪薬)」「鎮静薬」「解熱鎮痛薬」の4種類が挙げられています。
なかでも報告が多いのが、一部の咳止めです。こうした薬には、弱いオピオイド(医療用の鎮痛・鎮咳成分の一種)である「ジヒドロコディン」が含まれていることがあります。これは続けて使ううちに依存を生じることがあり、急にやめると、あくび・くしゃみ・涙や汗・吐き気・腹痛・頭痛・不眠・不安・震えなど、つらい離脱症状(薬が抜けるときの体の反応)が出ることがあります。さらに大量に飲むと、呼吸が浅くなる(呼吸抑制)、意識がもうろうとする、けいれん、血圧が下がるといった危険な状態を引き起こすおそれがあります。
また、こうした咳止めには抗ヒスタミン薬の「クロルフェニラミン」が一緒に含まれていることがあります。動物の実験では、この組み合わせによって精神的な依存が強まる可能性が報告されています。さらに、眠気覚ましなどに使われる「無水カフェイン」が含まれている製品もあります。市販薬を極端に大量に飲むと、カフェインのとり過ぎによる中毒(動悸や吐き気、けいれんなど)を起こす危険もあり、救急の現場では、市販薬による急性中毒で問題になる成分としてカフェインが多いという報告もあります。
日本の市販薬は、海外に比べて一つの薬にいくつもの成分が配合されている傾向があります。そのため「どの成分が体に害を及ぼしているのか」を見分けるのが難しく、それも市販薬の乱用問題を複雑にしている要因のひとつです。「市販薬だから軽い」とは決して言えないことが、おわかりいただけると思います。
なぜ「市販薬なら」と手が伸びてしまうのか
市販薬の乱用を理解するうえで大切なのが、「なぜそれを使ってしまうのか」という背景です。
精神医学には「自己治療仮説」という考え方があります。人が薬物に頼ってしまうのは、必ずしも快楽を求めているからではなく、心の苦しさに自分なりに対処するため——いわば「自分で自分を手当てしようとして」薬を使っている、という考え方です。実際、市販薬を乱用する方の動機としては、対人関係のストレスや、つらい・苦しいといったネガティブな感情への対処を挙げるケースが多いと報告されています。
つまり、市販薬のオーバードーズは「酔いたいから」というより、「目の前のつらさをなんとかやり過ごしたいから」起きていることが少なくないのです。学校やアルバイトの両立に疲れてしまった、人間関係で傷ついた、眠れない夜が怖い——そんなときに、違法薬物には抵抗があっても、ドラッグストアで買える薬には手が伸びてしまう。「違法なものは使いたくない」という気持ちと、「手に入りやすい」という現実が重なって、市販薬が選ばれやすくなっているのです。
だからこそ、市販薬の問題は「意志が弱いから」「だらしないから」という話ではありません。その背景には、本人が抱えきれずにいる生きづらさやつらさがあることがほとんどです。ある当事者は「僕を叱ってくれる人は誰もいなかった」と語ったと伝えられています。本当に必要なのは責めることではなく、「何か困っていることはない?」というささやかな声かけと、つながりなのかもしれません。
受診の目安
以下に当てはまるときは、早めの相談をおすすめします。
- 咳止めや風邪薬を、説明書の用量を超えて飲むことが続いている
- 「やめよう」と思ってもやめられない、飲む量や回数が増えている
- 薬が切れると、不安・落ち着かなさ・吐き気・震えなどの不調が出る
- つらい気持ちや眠れなさを紛らわすために薬に頼っている
- 大量に飲んだあと、息苦しさ・けいれん・意識のもうろうなどがあった(このような身体症状があるときは、ためらわず救急(119)を利用するか、すぐに医療機関を受診してください)
- 家族や周囲が「最近薬の減りが早い」と心配している
これらは目安であり、当てはまるからといって直ちに病気というわけではありません。最終的な判断は医師が行いますので、迷ったらまず主治医や当院にご相談ください。
まとめ
市販薬の乱用・オーバードーズは、「市販薬なら安全」という思い込みの陰で、特に若い世代を中心に広がっています。咳止めや風邪薬に含まれる成分には依存性があり、大量に飲めば身体にも大きな危険が及びます。けれど、その背景にあるのは多くの場合、本人が抱えきれずにいるつらさや生きづらさです。
大切なのは、責めることでも一人で我慢することでもなく、早く気づいて適切な助けにつながることです。依存は、適切なサポートのもとで回復に向かっていける状態です。あなたやご家族が「もしかして」と感じているなら、それはもう回復への大切な一歩を踏み出しているということです。どうか一人で抱え込まず、いつでもご相談ください。
参考にした書籍(要約・再構成。原文の転載ではありません):
- 精神科診療におけるたとえ話の効用(カレント・トピックス「市販薬乱用とセルフメディケーション」)
よくある質問
市販薬は処方薬より安全だから、たくさん飲んでも大丈夫ですか?
いいえ。市販薬でも、咳止めや風邪薬には依存性のある成分が含まれていることがあります。大量に飲むと呼吸が浅くなる、けいれん、意識がもうろうとするなどの危険があり、決して「安全だから大丈夫」とは言えません。気になるときは医師にご相談ください。
なぜ市販薬のオーバードーズ(OD)が若い世代で増えているのですか?
国の実態調査では、市販薬を主な薬物とする患者さんの割合が、近年大きく増えていると報告されています。背景には『違法な薬は使いたくない』という気持ちや、ドラッグストアで手に入りやすいこと、そして対人ストレスやつらい気持ちへの対処として使ってしまう『自己治療』があると考えられています。
やめたいのにやめられません。これは「依存」なのでしょうか?
「やめたいのにやめられない」「使う量や回数が増えている」と感じるなら、依存の状態に近づいているサインかもしれません。診断は医師が行いますが、一人で抱え込まずに相談することが回復への第一歩です。叱られる場所ではなく、一緒に考える場所として受診を考えてみてください。
家族が市販薬を大量に飲んでいるかもしれません。どう声をかければよいですか?
責めたり叱ったりするより、「何か困っていることはない?」とそっと気にかける言葉が支えになります。本人も「このままではいけない」とわかっていることが多いものです。心配なときは、ご本人だけでなくご家族からのご相談も歓迎しています。