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はじめに

長いあいだ忘れていた子どものころの場面が、ある日ふいに浮かんでくる。夢がきっかけだったり、似た匂いや景色がきっかけだったりします。浮かんだ場面がつらいものであるほど、「これは本当にあったことなのだろうか」という問いが頭を離れなくなります。

この記事は、その問いに向き合うための、記憶の仕組みの話です。下敷きにしたのは、精神科の専門誌が心理学の理論を臨床向けに解説した特集のうち、蘇った記憶と過誤記憶を扱った一編です。同じ特集から書いてきた心理学理論のシリーズの一本です。以下では「解説」と呼びます。

先に結論を言えば、後から蘇った記憶は、正確なこともあれば、本人に嘘のつもりがまったくなくても事実と違っていることもあります。そして、そのどちらなのかは、記憶の側からだけでは決められません。これは被害を語る人に特有の話ではなく、誰の記憶にも起こる、記憶というものの性質です。

記憶は録画ではありません

記憶というと、出来事をそのまま撮った映像が頭のどこかにしまってあり、思い出すときはそれを再生している、というイメージを持ちやすいものです。けれども、脳の中にそういう一本の映像はありません。

ある出来事を覚えるとき、そのときの景色、音、匂い、体の感覚、湧いた気持ちは、脳のあちこちに分かれて記録されます。思い出すとは、散らばった断片をもう一度呼び集めて、一つの場面に組み直すことです。

組み直すたびに、そのとき近くにあった別の情報が入り込むことがあります。似た場面の記憶、あとで人から聞いた話、写真で見た景色、自分なりに考えた筋書き。連想でつながったものが混ざり、混ざったまま一つの場面としてまとまります。

さらに、思い出した記憶はしばらくのあいだ、形が変わりやすい状態になり、それから改めて定着し直すと考えられています。動物の研究では、思い出させたあとの条件しだいで、記憶が強まることも、弱まることもあると報告されています。人の記憶も、思い出すたびに少しずつ手が入っている可能性があります。

身近な例で言えば、家族で同じ旅行を振り返ったとき、細部が人によって食い違うことがあります。誰かが嘘をついているわけではありません。それぞれが、それぞれの思い出し方で場面を組み直してきた結果です。幼いころの写真を何度も見ているうちに、写真に写っていない部分まで「覚えている」ように感じる、ということもあります。

とはいえ、多くの記憶は、大筋では実際の出来事に基づいています。そのうえで、細部や組み立て方は、思い出すたびに変わりうる、ということです。

「偽りの記憶」ではなく「過誤記憶」と呼ぶ理由

事実と違う内容をもった記憶は、英語では false memory と呼ばれ、日本語では「偽りの記憶」と訳されることがよくあります。下敷きにした解説の題にも、この言い方が入っています。

ところが解説の本文で、著者は「過誤記憶」という言葉を選んでいます。理由ははっきりしています。「偽りの」という言葉には、本人がわざと嘘をついているような、道徳的な響きがある。けれども、事実と違う記憶をもっている本人は、嘘をついていない。本人にとっては、それが思い出した通りの過去だからです。

この言葉の選び方に、この記事でいちばん伝えたいことがあります。正確な記憶と事実と違う記憶は、内側から感じられる手ざわりでは見分けがつかないことがあります。どちらも「思い出した」という実感をともない、本人には本当のことに感じられうるからです。だから、正直であることと正確であることは別のことであり、その人がどれだけ誠実かを見ても、記憶の正確さは分かりません。

この区別は、二つの方向に効いてきます。事実と違うかもしれない記憶を語る人を、嘘つき扱いする理由はない。そして、周りの人が、確信の強さだけを根拠に事実と決めることもできない。

記憶が組み変わりやすい場面

記憶は日常的に組み直されていますが、なかには、事実と違う方向へ組み変わりやすい条件があります。解説は、実験や研究をもとに、いくつかの場面を挙げています。

一つは、出来事のあとに外から入ってくる情報です。見た場面について、あとから誤った情報を聞かされたり、答えを含んだ形で質問されたりすると、その内容が記憶の中に取り込まれることがある。こうした実験は、条件がそろえば、実際にはなかったものを見たという記憶ができうることを示してきました。ただし、同じ働きかけを受けた全員にそれが起きるわけではありません。

たとえば、問いかけ方にはこういう違いがあります。「小学校はどんな雰囲気でしたか」「そのころ、家ではどう過ごしていましたか」と尋ねることは、本人が自分の言葉で答えを探す余地を残しています。一方で「何かひどいことをされたのではありませんか」「そういう症状があるなら、きっと何かあったはずです」と問うことは、答えの中身を先に差し出しています。後者を繰り返されると、その中身に沿って記憶が組まれていくことがあります。同じことは、「あの症状があるのだから、きっと何かあったはずだ」と自分に問いかけ続けるときにも起こりうると考えられます。

意外なところでは、体験を言葉にする作業も挙げられています。解説が紹介する研究では、見せられた写真を言葉で説明した人たちのほうが、説明しなかった人たちより、あとで同じ写真を見分ける成績が低くなりました。目で見たものを言葉にすると、言葉に乗らなかった見た目の細部が抜け落ち、記憶が言葉のほうに寄っていくことがあるのです。

解説はほかにも、記憶が事実から離れていく場面を挙げています。催眠で幼いころに戻ったように見える状態をつくっても、それが当時の記憶を正確に取り出した証拠にはなりません。

周りの集団でいったん受け入れた考えを、人は手放しにくくなります。その考えに沿って、思い出す内容が組まれていくこともあります。

自分は正直な人間だと思っていたいという、誰にでもある心の働きも、事実の扱いを変え、記憶の誤りにつながりうるものとして解説は数えています。

鮮明さも、確信の強さも、正確さの保証にはなりません

記憶が鮮明であること、思い出すと強い感情がわき上がること、本人が強く確信していることは、どれも、その記憶が正確であることの保証にはなりません。鮮明さや確信は、何度も思い出し、組み直しを重ねるうちに強まることもあるからです。細かいことまでよく覚えているほうだという人でも、はっきり覚えていることが、細部まで出来事どおりだとはかぎりません。

記憶がないほうから考えても、同じことが言えます。ある時期のことを思い出せない、記憶にところどころ抜けがある、気分の落ち込みや不安がある。そうしたことだけを手がかりに、確かめられていない出来事がそこにあったと推し量ることはできません。記憶の抜けは、トラウマの影響として起こることもありますが、それ以外の理由でも起こります。抜けがあることから、その中身を逆算することはできないのです。

蘇った記憶が、正確であることもあります

ここまで読むと、後から戻ってくる記憶は当てにならないのかと思われるかもしれません。そうではありません。断片的に戻ってきた記憶が、のちに周囲の証言や記録と照らし合わされ、実際の出来事と合っていた例を、解説ははっきり挙げています。ただし、すべてがそうとは限らない。片方の可能性だけに傾けない、というのがこの節の話です。

306人を対象にした研究(ポーターとバート、2001年)では、いったん忘れていて後から戻ったという記憶は少数にとどまり、その多くは無意識に押し込められたものというよりも、本人が意識して考えないようにしていたものとして説明されています。一方で著者は、臨床の場では一時的に失われていた記憶が後から戻ることは珍しくないと補っています。

著者はさらに、トラウマにまつわる記憶の抜けは、昔から言われてきた「抑圧」よりも、つらい体験のさなかに心がその場から切り離される「解離」という見方で整理したほうが筋が通りやすくなるのではないかと提案しています。ただし、解離という現象そのものもまだ十分には解明されていません。解離を経て戻ってきた記憶にも、証拠と合うものがある一方で、確かめようのないものや、実際にあったとは考えにくい内容が含まれることもある。記憶がどの経路で戻ったかということと、その内容が事実と一致しているかということは、別の問題です。 解離そのものの仕組みは解離とはで詳しく扱っています。

二つの危うさのあいだで

解説は、蘇った記憶をめぐる難しさを、二つの危うさとして描いています。

一つは、実際にあった被害を「思い違いだろう」と退けてしまう危うさです。被害を受けた人がようやく語ったことを疑われれば、それ自体が新たな傷になりかねません。もう一つは、確かめられていない記憶をそのまま事実として扱い、身に覚えのない人を加害者として責めてしまう危うさです。

解説の背景には、1980年代以降の米国で、治療のなかで「回復」したとされる記憶をめぐって深刻な対立が起きた経緯があります。どちらの危うさも、現実に起こりうるものとして論じられてきました。

著者は、一つひとつの例について、どちらなのかを決める普遍的な方法は示せないとしています。ここから言えるのは、この記事で紹介した仕組みは、誰かの記憶の真偽を判定する道具にはならない、ということです。家族や周りの人が、身近な人の語る過去を「過誤記憶だ」と言い切ることもできませんし、逆に「そこまで鮮明なら本当にあったのだ」と言い切ることもできません。

身近な人が過去のつらい記憶を語りはじめたとき、周りにできることは、出来事が事実かどうかを判定することではなく、いまその人がどれだけ苦しんでいるかを受け止めることです。苦しさは認めながら、語られた内容にはその場で同意も否定もしない。トラウマを抱える人のそばにいる家族の接し方全般はトラウマを抱える人の家族へにまとめています。

治療が扱うのは、過去の証明ではなく、いまの苦しさです

蘇った記憶に苦しんでいる人にとって、「それが本当にあったのか」は切実な問いです。けれども、診察や治療の目的は、過去に何があったかを証明することではありません。治療が扱うのは、その記憶を抱えたいま、眠れない、気持ちが沈む、場面が勝手に浮かんで仕事や家事が手につかない、といった現在の苦しさです。

精神科医が子どものころのことを尋ねるのは、見立てを考えるための材料を得るためで、記憶の正確さを試すためではありません。見立ては仮説であり、話を重ねるなかで変わっていきます(精神科医はなぜ子ども時代のことを聞くのか)。何があったのかを話さないままでも受診していただけますし、話したくないことを話す必要はありません。話していないことが体調に響いているなら、その体調のほうを診察で扱えます。

また、記憶をはっきりさせようとして、一人で過去を掘り起こすのはおすすめしません。準備のないまま記憶に向き合うと、かえって症状が強まるおそれがあります(PTSDに薬は効く?)。

受診の目安

次のようなことが続いているときは、記憶が正確かどうかの答えを出すより先に、ご相談をお考えください。

  • 思い出した場面が、意図しないときに何度も浮かび、そのたびに強い苦しさや体の反応が出る
  • 寝つけない、夜中に目が覚める、悪い夢を見る日が続いている
  • 「本当にあったのか」を考えはじめると止まらず、仕事や家事が手につかない
  • 気分の落ち込みや不安が続き、以前は楽しめていたことに気持ちが向かない
  • 記憶の話をきっかけに、家族や身近な人との関係が張りつめたままになっている

当てはまるかどうかで、ご相談いただけるかどうかが決まるわけではありません。WEB問診には「気になる感じがある」程度の簡単な記載で構いません。自分を傷つけてしまいそうな考えが出ているときは、待たずに、通院中であれば主治医に連絡し、命に関わる切迫した状況では救急(119)を利用してください。いま暴力や、相手からの強い支配のある関係のなかにいるときは、相手が家族であっても、身の安全の確保が先になります。安全が脅かされているときをご覧ください。そうした関係のなかで出てきた症状についてのご相談は、当院で承っています。

当院での実際

当院は福岡県春日市の精神科・心療内科です。ご相談は、WEB予約(デジスマ)でご予約のうえ、初診前のWEB問診にお答えいただく形です。初診の所要時間の目安は問診を含めて30分程度で、通院を始めた場合は2週間に一度が基本、再診は5分前後です。

どうするかを決めかねている段階でも、そのままお話しいただいて構いません。決心がついてから受診する必要はなく、何があったのかを話さないままでも受診していただけます。話さないでいることが体調に響いているようなら、そのことのほうを診察で扱えます。

当院には心理士がおらず、カウンセリングは行っていません。トラウマに特化した専門治療(EMDR、トラウマ焦点化認知行動療法など)も行っていません。実施している医療機関はご自身でお探しいただくことになりますが、紹介状(診療情報提供書)は必要に応じて作成します。当院の診療対象は18歳以上の方です。

ご家族のみの相談はお受けしていません。ご家族が心配されている当のご本人が受診され、同席に同意されている場合には、ご家族に同席していただけます。そのご本人がどうしても受診できない状況の場合は、お住まいの地域の保健所、市区町村の精神保健相談、精神保健福祉センターなどの公的相談先、または受診を予定している医療機関への問い合わせをご案内しています。

まとめ

記憶は、出来事を撮った映像の再生ではなく、思い出すたびに組み直されるものです。そのため、後から蘇った記憶が実際の出来事と合っていることもあれば、本人が少しも嘘をついていないのに事実と違っていることもあります。下敷きにした解説が本文で「偽りの記憶」ではなく「過誤記憶」という言葉を選んだのは、事実と違う記憶をもつ本人も、嘘をついてはいないからでした。

鮮明さや確信の強さは正確さを保証せず、記憶の抜けから出来事を逆算することもできません。そして、過去を確かめきれないことは、いまの苦しさを相談できない理由にはなりません。治療が扱うのは、過去の証明ではなく、いまの苦しさのほうです。

そのほか近いところにあるもの ── 学習性無力感とは?・被害を受けた人が自分を責めてしまうのは、なぜか・「落ち着いたら行きます」で止まってしまうのは、なぜか・認知的不協和とは?・精神科医はなぜ子ども時代のことを聞くのか


参考にした資料(要約・再構成。原文の転載ではありません):

  • 精神科治療学 第37巻4号(2022年)特集「精神科臨床に役立つ心理学理論」より、蘇った記憶と過誤記憶を論じた解説(岡野憲一郎)

よくある質問

最近になって、子どものころのつらい出来事を思い出しました。これは過誤記憶かもしれないのでしょうか。

どちらなのかは、思い出したときの手ざわりからも、周りからも決められません。後から戻ってきた記憶が実際の出来事と合っていることもあり、下敷きにした解説も、その可能性をはっきり残しています。確かめきれないことがあっても、いま眠れない、気持ちが沈む、その場面が浮かんで苦しいといったことは、そのまま相談していただけます。

家族が、私たちの覚えていない出来事を「あった」と言い出しました。過誤記憶だと伝えたほうがよいでしょうか。

この記事の知識で、誰かの記憶を「過誤記憶だ」と判定することはできません。記憶の正確さは、鮮明さや話しぶりからは分からないからです。事実がどうだったかの判断はいったん脇に置き、本人がいまどれだけ苦しんでいるかのほうを受け止めてください。苦しさを認めることは、その場で出来事に同意することとも、否定することとも別のことです。

はっきり覚えているし、思い出すと体がこわばります。それでも不正確なことがあるのですか。

あります。記憶の鮮明さや感情の強さ、確信の強さは、正確さと必ずしも一致しません。ただし、不正確な部分があることと、その出来事がなかったことは同じではありません。体がこわばるほどの苦しさは、記憶の細部がどうであれ、それ自体が診察で扱えるものです。

思い出せない時期があります。何かあったのではないかと不安です。

記憶の空白だけから、そこで何があったかを推し量ることはできません。思い出そうとして一人で掘り起こすことは、かえって苦しさを強めるおそれがあります。不安や体調への影響が続いているなら、そのことのほうをご相談ください。何があったのかを話さないままでも受診していただけます。

暴力や強い支配のある関係のなかにいます。この記事は当てはまりますか。

当てはめないでください。手が出ていない場合も同じです。怒鳴られる、物を壊される、黙り込まれて折れるまで待たれる、「あなたが悪い」と正しさを盾に責め立てられる、過ぎたことを何度も持ち出される、病気であることを持ち出して思いどおりに動かされる、暮らしのお金を渡してもらえない、どこへ行くのかをいちいち確かめられる、怖くて向き合えない――そういう形で相手を思いどおりに動かすために力が使われている関係も含みます。とくに、「あのことは思い違いだ」「そんなことは起きていない」と言われ続けて、ご自身の記憶や感覚を信じられなくなっているとき、この記事の内容をそのやりとりの道具にしないでください。そこで続いているつらさは記憶の正確さの問題ではなく、身の安全の確保が先になります。相談先を含めて「安全が脅かされているとき ── 関係改善の話が当てはまらない場面」にまとめてあります。そのうえで、そうした関係のなかで出てきた症状についてのご相談は、当院で承っています。ご自身の受診としてお話しください。なお、保護命令や離婚の調停といった法的な手続きのご相談は、当院ではお受けしていません。

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執筆・監修

精神保健指定医 野口晋宏

春日メンタルクリニック院長。精神科・心療内科の診療経験をもとに、受診前の不安や制度の疑問を整理しやすい情報提供を心がけています。

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