はじめに
「昔から心配性で、些細なことが気になって仕方ない」「体のちょっとした不調が大きな病気ではないかと頭から離れない」「考えすぎだとわかっているのに、不安をぐるぐると繰り返してしまう」——そんなふうに感じて、「これはもう自分の性格だから仕方ないのか、それとも受診したほうがいいのか」と迷っていませんか。
周りから「気にしすぎ」「神経質なだけ」と言われたり、ご自身でも「これくらいで病院に行くのは大げさだ」と思って我慢を続けている方は、とても多くいらっしゃいます。その一方で、「性格だから」と割り切ろうとしても不安がやわらがず、かえって苦しさが積み重なっていく方もいます。
この記事では、「だれもが感じる正常な不安」と「治療の対象になる不安」がどう違うのかを整理し、心配性・神経質という気質と不安症の関係を、なるべく二者択一にせずにお話しします。性格か病気かは、白か黒かではありません。生活への支障の大きさという「ものさし」で考えると、ご自身の状況を見つめやすくなります。なお、最終的な診断は医師が行います。ここで紹介するのは、受診の前に役立つ「考え方の目安」とお受け取りください。
だれもが感じる「正常な不安」
まず大切なのは、不安そのものは病気ではない、ということです。不安は、気分の落ち込みと並んで、私たちが日常的にもっとも多く体験する感情のひとつです。
試験に合格できるか不安でたまらない、留守中に何かなかったか気になる、将来の生活設計が心配だ——こうした不安は、だれにでも起こります。むしろ不安には、危険に備えて準備したり、慎重に行動したりするための大切な役割があります。心配性の人は、リスクに早く気づける、準備を怠らないといった長所をあわせ持っていることも少なくありません。
つまり、「不安を感じること」自体は人として自然なことであり、性格の一部です。それを病気と切り離して考える必要はありません。問題になるのは、その不安が日常の範囲を超えて、生活を乱しはじめたときです。
「治療の対象になる不安」の見分け方
では、ふだんの不安と、相談したほうがよい不安(病的な不安と呼ばれます)は、どこで線を引けばよいのでしょうか。古典的な精神医学では、次の3つのいずれかに当てはまるとき、その不安は日常の範囲を超えていると考えられてきました。
- 強さが不釣り合いに激しい:心配の「もと」になっている出来事の大きさに比べて、不安があまりにも強い。
- 持続が長い・繰り返す:その不安がいつまでも続いたり、何度も同じところに戻ってきたりする。
- 性質が特別で日常と異なる:ふだんの心配とは質的に違う、説明しづらい不安が現れる。
そして、こうした不安によって生活が乱され、仕事・家事・人づきあい・睡眠などに支障が出てくると、医療として援助を考える対象になります。
ここで覚えておきたいのは、正常な不安と病的な不安は、はっきり別の場所にある二つの箱ではない、ということです。両者は地続きで、強さ・長さ・生活への影響が増していくにつれて、少しずつ「相談したほうがよい側」へ近づいていきます。だからこそ、性格か病気かを白黒で決めようとするより、「いま生活にどれくらい支障が出ているか」で考えるほうが現実的なのです。
「心配性・神経質」という気質と不安症 ―― 森田正馬の考え方
不安と性格の関係を考えるうえで、日本の精神医学者・森田正馬(もりた まさたけ)が提唱した「神経質」という考え方が、ひとつのヒントになります。
森田は、ある種の人たちには共通する気質があると考えました。それは、自分の内面や体の状態をよく観察し(内省的)、物事を完全にやり遂げたいという気持ちが強く(完全欲)、心や体の些細な変化にとらわれやすいという傾向です。専門的には「ヒポコンドリー(性)基調」と呼ばれます。むずかしい言葉ですが、ざっくり言えば「まじめで内省的、体や心の小さな変化に敏感に気づきやすいタイプ」とイメージしてください。
気質が「悪循環」を生むしくみ
この気質を持つ人は、たとえば心臓がいつもより少し速く打ったと感じると、そこに注意が集中します。注意を向けるほど感覚はさらに敏感になり、敏感になるからまた気になる——という具合に、「注意」と「感覚」が互いに強め合っていきます。森田はこれを「精神交互作用」と呼びました。
たとえば、「動悸が気になる→もしや心臓の病気では→さらに胸に意識が集中→ますます動悸を感じる」というように、注意と不安がぐるぐると回り続けます。完璧でありたい気持ちと、「こうあるべきなのに現実はそうでない」というギャップも、この悪循環を後押しします。
大切なのは、この気質そのものは「病気」ではなく、あくまで性格の傾向だという点です。同じ気質を持っていても、悪循環に入らずに過ごせている人はたくさんいます。気質は不安症の「なりやすさ」に関わる一因ではありますが、気質イコール病気ではありません。
「性格だから」と我慢を続けると ―― 起こりやすい悪循環
ここで注意したいのが、「これは自分の性格だから」と考えて我慢を続けることが、かえって苦しさを長引かせてしまう場合があることです。
不安を「気にしないようにしよう」と打ち消そうとすると、かえってそのことに注意が向き、感覚が強まってしまうことがあります。不安だから外出や人付き合いを避ける、確認を繰り返す、体の不調を何度も調べる——こうした行動が一時的に安心をくれても、長い目で見ると「不安→回避→さらに不安に弱くなる」という流れを強めてしまうことがあります。
「性格だから治らない」と思い込んで我慢し続けるうちに、不安にとらわれる時間が増え、生活の幅がだんだん狭くなっていく。これは、決して気合いや性格の弱さの問題ではありません。だれにでも起こりうる、不安のしくみそのものなのです。
だからこそ、「性格か病気か」を一人で決めようとして我慢し続けるより、生活への支障が大きくなってきたと感じた時点で、一度専門家に相談してみることをおすすめします。
受診の目安
以下に当てはまるものが多いほど、一度ご相談いただくことをおすすめします。最終的な診断は医師が行います。
- 不安や心配が、状況の大きさに対して強すぎると自分でも感じる
- 同じ不安が一日中・ほぼ毎日のように続いたり、何度も繰り返したりする
- 不安のために、仕事・家事・外出・人付き合い・睡眠に支障が出ている
- 体の些細な変化が気になって、何度も確認したり調べたりしてしまう
- 「気にしないように」と思うほど、かえって不安が強まる
- 「性格だから」と我慢を続けて、つらさが積み重なっている
まとめ
不安は、だれもが感じる自然な感情であり、心配性であること自体は責められるべきものではありません。正常な不安と治療の対象になる不安は、はっきり分かれた別物ではなく、強さ・長さ・生活への支障が増すにつれて少しずつ移り変わる、地続きのものです。心配性・神経質という気質は不安の感じやすさに関わりますが、「気質イコール病気」ではありません。だからこそ、「性格か病気か」を一人で決めて我慢を重ねるより、生活への支障が大きいと感じたら、その悪循環をゆるめる相談先として医療を頼っていただければと思います。あなたの持ち味を否定せず、生活しやすくする方法は、きっと見つかります。
参考にした書籍(要約・再構成。原文の転載ではありません):
- 精神症候学
- 精神症状の把握と理解
よくある質問
不安症は『性格のせい』なのでしょうか?
心配性や神経質といった気質は、不安を感じやすさに関わると考えられています。ただし『性格だから治らない』というわけではありません。性格はそのままでも、不安との付き合い方を変えたり治療を受けたりすることで、生活のしづらさはやわらげられます。性格か病気かは二択ではなく、地続きのものとして考えるのが現実的です。
正常な不安と、治療が必要な不安はどう見分ければよいですか?
ひとつの目安は『不安の強さが状況に不釣り合いに激しい』『同じ不安が長く続く・繰り返す』『そのために生活に支障が出ている』の3点です。これらが当てはまるほど、性格の範囲を超えて相談したほうがよいサインに近づきます。最終的な見極めは医師が行います。
受診すると性格を否定されるのではと不安です。
受診は性格を直すためのものではありません。あなたの気質を否定するのではなく、その気質が今つらさにつながっているなら、その悪循環をゆるめる手立てを一緒に探すのが目的です。心配性であること自体は、責められるべきものではありません。
心配性な性格は、治療で変えられるのですか?
性格そのものを別人のように変えるというより、「不安との付き合い方」を変えていくのが治療の中心です。敏感で慎重という気質は長所にもなります。その持ち味を残しながら、悪循環をゆるめ、生活しやすくしていくことを目指します。