はじめに
電車に乗ろうとすると、「また気分が悪くなったらどうしよう」と思って足がすくむ。人前で話す場面が近づくと、まだ何も起きていないのに「うまく話せなかったらどうしよう」と眠れなくなる。一度つらい経験をしてから、その場面が頭をよぎるたびに体がこわばる。
このような「まだ起きていないのに、起きるかもしれないことが怖くなる」気持ちに、心当たりはありませんか。
これは決して気が小さいからでも、考えすぎだからでもありません。「予期不安(よきふあん)」と呼ばれる、不安のひとつの形です。多くの方が同じように悩んでいて、あなただけが特別というわけではありません。
この記事では、予期不安とはどんなものか、なぜ放っておくと生活がだんだん狭くなってしまうのか、そしてどうすればその流れから抜け出していけるのかを、できるだけわかりやすく解説します。
予期不安とは「また起きるかも」と未来を先取りして恐れること
予期不安とは、ひとことで言えば「また同じことが起きるのではないか」と、まだ起きていない未来の出来事を先取りして恐れる気持ちのことです。
ふつうの不安は、目の前に危険があるときに感じます。しかし予期不安は、いま現実に何かが起きているわけではないのに、「これから起きるかもしれない」という想像に対して強く反応してしまうのが特徴です。頭の中で未来の悪い場面を先回りして思い描き、その想像に体が反応して、動悸や息苦しさ、ふわっとした感じなどが起きることもあります。
たとえば、一度電車のなかで強い動悸や息苦しさを経験すると、次に電車に乗る前から「またあの感じになったらどうしよう」と不安がわいてきます。実際にはまだ何も起きていないのに、その「起きるかもしれない」という予感だけで、すでにつらくなってしまうのです。
予期不安は、特別な人だけに起こるものではありません。つらい体験をしたあとに「また繰り返したくない」と感じるのは、人としてごく自然な反応でもあります。問題は、その不安が強くなりすぎて、生活の幅を狭めてしまうときです。
さまざまな不安症に共通して見られる
予期不安は、ひとつの病気の名前ではなく、いろいろな不安症に共通して見られる「不安の現れ方」です。
たとえば次のような場面で起こります。
- パニックの経験があるとき:突然の動悸や息苦しさ(発作)を一度経験すると、「またあの発作が来たらどうしよう」という不安が続きやすくなります。
- 人前での緊張が強いとき(社交不安):会議での発言や人と話す場面の前に、「失敗したらどうしよう」と何日も前から心配が続くことがあります。
- 特定の場所が怖くなるとき(広場恐怖など):すぐに逃げられない場所や人混みを前に、「そこで具合が悪くなったら」と先取りして不安になります。
- いろいろなことが気になって心配が続くとき:はっきりした対象がなくても、「悪いことが起きるのでは」という漠然とした予感が続くこともあります。
このように、対象や場面は違っても、「これから起きるかもしれないことを先取りして恐れる」という点は共通しています。ご自身がどのタイプに近いのか、あるいはいくつか重なっているのかは、医師が診察のなかで一緒に整理していきます。診断は医師が行いますので、自己判断で決めつける必要はありません。
なぜ「避ける」と不安がかえって強まるのか
予期不安がつらいのは、それ自体の苦しさだけではありません。多くの場合、不安によって行動が変わり、結果として不安がさらに強くなるという「悪循環」が生まれていきます。ここがいちばん大切なところです。
不安な場面に直面しそうになると、私たちは自然とそこを避けようとします。電車を使わずに遠回りする、人の集まる場所に行かない、苦手な場面はいつも誰かに代わってもらう。避けると、その瞬間はたしかにホッとして、不安がすっと引きます。
ところが、ここに落とし穴があります。避けてしまうと、「本当はどうだったのか」を確かめる機会が永遠に来ないのです。
「あのとき逃げたから、大変なことにならずに済んだ」——脳はそう受け取ってしまいます。すると、「やっぱりあの場面は危険だ」という思いだけが強く残り、次はもっと避けたくなります。避けるたびに不安は確かめられないまま大きくなり、避ける範囲も少しずつ広がっていきます。
不安な場面が近づく
↓
「また起きたら」と予期不安がわく
↓
その場面を避ける
↓
一時的にホッとする(不安が引く)
↓
「避けたから大丈夫だった」と脳が学習する
↓
「やっぱり危険だ」という思いが強まる
↓
次はもっと避けたくなる … (くり返し)
この輪が回り続けると、行ける場所、できる行動がじわじわと減っていきます。気づけば生活がずいぶん窮屈になっていた、ということが起こるのです。生活が狭くなるのは、あなたの意志が弱いからではなく、この悪循環の仕組みによるものだと知っておいてください。
「考えないようにする」ほど頭から離れない
「不安なことは考えないようにしよう」とするのは、ごく自然な対処です。けれども、これがなかなかうまくいきません。
ためしに「白いクマのことだけは考えないでください」と言われると、かえって白いクマが頭に浮かんでしまう——そんな経験はないでしょうか。不安も同じで、「忘れよう」「考えまい」と強く意識するほど、その対象に注意が向いてしまい、頭から離れにくくなります。
ですから、予期不安への向き合い方は「不安を頭から消す」ことではありません。不安があることをいったん認めたうえで、それに振り回されすぎずに行動していく、という方向のほうが現実的です。「不安があってもいい、そのうえでどうするか」と考えるほうが、力みが抜けて楽になることが多いのです。
避けてきた行動に少しずつ踏み込むことが回復の方向
では、悪循環から抜け出すにはどうすればよいのでしょうか。
ヒントは、これまで見てきた仕組みの「逆」にあります。避けることで不安が強まっていくのなら、避けてきた行動に少しずつ踏み込んでいくことが、回復に向かう方向になります。
実際の治療でも、不安のために避けてきた行動に、無理のない範囲で一歩ずつ踏み込んでいくことが大切にされます。そうして「思っていたほど大変ではなかった」という経験を積み重ねていくと、「あの場面は危険だ」という思い込みがやわらぎ、不安への過度なとらわれから少しずつ離れていけます。
ただし、ここで大事なのは「いきなり大きく踏み込まない」ことです。怖い場面にいきなり飛び込むと、かえって苦しくなってしまうことがあります。今の自分にとって少しだけ勇気のいる、けれど手の届きそうな一歩から始めるのがコツです。
たとえば、いきなり長距離の電車に乗るのではなく、まずは一駅だけ乗ってみる。最初は安心できる人と一緒に行ってみる。そうした小さな成功を一つひとつ確かめながら進めていきます。どの程度のペースが適切かは人によって違うため、医師や専門スタッフと相談しながら無理のない計画を立てていくと安心です。
「ゼロにする」のではなく「あっても動ける」を目標に
予期不安と向き合うとき、つい「不安を完全になくしたい」と願ってしまいます。けれど、不安は本来、危険から身を守るために誰にでも備わっている感情です。だから、不安をゼロにしようとすると、かえってそのことばかり気になって苦しくなりがちです。
そこで目標を少し置きかえてみます。「不安をゼロにする」のではなく、「不安があっても、やりたいことに少しずつ動けるようになる」を目指すのです。
不安が残っていても、行きたい場所に行けた、やりたかったことができた——そうした経験が増えていくと、不安は「絶対に避けるべき敵」ではなく、「あってもなんとかなるもの」へと位置づけが変わっていきます。自分が大切にしたいこと、こうありたいという気持ちに沿って行動できることのほうが、不安の数字を下げることよりも、暮らしを楽にしてくれることが多いのです。
受診の目安
以下のようなことが続いているときは、一人で抱え込まず相談を考えてみてください。
- 「また起きたらどうしよう」という不安で、特定の場所や場面を避けるようになっている
- 避ける範囲が少しずつ広がり、行ける場所やできることが減ってきた
- 仕事や学校、買い物、外出など、日常生活に支障が出てきている
- 不安を抑えようとするほど、かえって頭から離れず疲れてしまう
- 動悸、息苦しさ、めまいなど、体の症状をともなうことがある
当てはまるものがあっても、それだけで病気と決まるわけではありません。診断や今後の進め方は、医師が診察のうえで一緒に考えていきます。
まとめ
予期不安とは、「また起きるかもしれない」とまだ起きていない未来を先取りして恐れる気持ちで、さまざまな不安症に共通して見られます。怖い場面を避けると一時的に楽になりますが、避け続けることで不安はかえって強まり、生活の幅が狭くなっていきます。
抜け出すための方向は、避けてきた行動に無理のないペースで少しずつ踏み込み、「思ったほど大変ではなかった」という経験を積み重ねていくことです。目標は不安をゼロにすることではなく、不安があっても自分の大切にしたいことに動けるようになること。
一人で抱え込む必要はありません。今のつらさを整理し、無理のない一歩を一緒に考えるところから始められます。気になる方は、どうぞお気軽にご相談ください。
参考にした書籍(要約・再構成。原文の転載ではありません):
- 精神症候学(第2版)
- 精神科臨床ライブ 精神科治療学 増刊号
よくある質問
予期不安とは何ですか?
「また同じことが起きたらどうしよう」と、まだ起きていない未来の出来事を先取りして恐れる気持ちのことです。パニックや人前での緊張など、つらい経験をしたあとに、その再来を心配して不安が続く状態を指します。
予期不安があると、なぜ生活が狭くなっていくのですか?
不安な場面を避けると、その場では一時的に楽になります。しかし避け続けると「やっぱり危なかった」という思いだけが残り、本当は大丈夫だったかを確かめられません。その結果、避ける範囲が少しずつ広がり、行動できる場所や場面が狭まっていきます。
予期不安は自分で治せますか?
工夫で軽くできる部分もありますが、つらさが続くときは一人で抱え込まず相談することをおすすめします。不安を完全にゼロにすることより、不安があっても少しずつ動けるようになることを目標にしていきます。診断や治療方針は医師が個別に判断します。
予期不安と、ふつうの心配の違いは何ですか?
心配は誰にでもありますが、予期不安では「まだ起きていない未来の出来事」を強く先取りして恐れ、その不安のために行動を避けてしまう点が特徴です。避けることで生活の幅が狭まり、つらさが続いているなら、相談を考えてよいサインです。
不安な場面を避けるのは、よくないことなのですか?
避けること自体が悪いわけではありません。ただ、避け続けると「本当は大丈夫だったか」を確かめられず、不安がかえって強まりやすくなります。少しずつ踏み込んでいく取り組みは、無理のないペースで、できれば専門家と一緒に進めると安心です。
受診すると、すぐに怖い場面に挑戦させられますか?
いいえ。いきなり怖い場面に挑戦することはありません。まずはお話をよく聞き、今の状態を一緒に整理します。そのうえで、今できそうな小さな一歩から、ご本人のペースに合わせて進めていきます。