はじめに
提出物の締め切りをいつも先延ばしにしてしまう。会議中に話があちこちに飛んでしまう。大事な約束をうっかり忘れる。デスクの上はいつも散らかっていて、必要なものがすぐ見つからない。頭の中がいつもそわそわして落ち着かず、思いついたことをつい口に出してしまう——。社会人になってから、こうした「困りごと」が積み重なり、「自分はどこかおかしいのではないか」と悩んではいませんか。
学生時代はなんとかなっていたのに、働き始めてから急にうまくいかなくなった、という方は少なくありません。そして多くの方が「自分の努力が足りないだけ」「だらしない性格だから」と長く自分を責めてきます。けれど、その背景に「ADHD(注意欠如・多動症)」と呼ばれる生まれつきの特性が関わっていることがあります。これは、あなただけの特別な弱さではありません。
この記事では、大人のADHDとは何かを、不注意・多動性・衝動性という3つの柱からやさしく整理します。あわせて、子どものADHDとの現れ方の違い、大人になって困りごととして表面化しやすい理由、そして「自分はADHDかも」と思ったときの受診の目安までをお伝えします。なお、診断は医師が行います。ここで紹介するのは、受診の前に知っておくと役立つ「手がかり」とお考えください。
ADHD(注意欠如・多動症)とはどんなものか
ADHDは、日本語では「注意欠如・多動症」と呼ばれます。注意を必要なところに向け続けたり、自分の行動にブレーキをかけたりする働きに、生まれつき偏りがあると考えられている特性です。
近年の精神医学では、ADHDは「神経発達症(しんけいはったつしょう)」というグループの一つに位置づけられています。神経発達症とは、脳の育ち方の偏りに関わる特性をまとめた考え方で、自閉スペクトラム症(ASD)なども同じグループに含まれます。大切なのは、ADHDは「ある日突然かかる病気」ではなく、子どものころから持っている脳の働きの個性に近いものだ、という点です。
ADHDを理解するための柱は、不注意・多動性・衝動性の3つです。これらは誰にでも多少はあるものですが、その程度が年齢や発達のわりに強く、しかも仕事や生活、人づきあいに支障が続いているときに、ADHDという見方が考えられます。逆にいえば、少しうっかりが多い、少し落ち着きがない、というだけでADHDと決まるわけではありません。次から、3つの柱を一つずつ見ていきましょう。
不注意 ― 注意を必要な場所に向け続けにくい
1つめの柱は「不注意」です。注意を必要なものに向け、それを保ち続けることが苦手な傾向をいいます。大人では、次のような形で現れやすいものです。
- 仕事や作業で、細かいところまで注意が行き届かず、ケアレスミス(うっかりミス)が多い
- 一つの作業に集中し続けることが難しく、すぐに気が散ってしまう
- 段取りを立てて物事を順序よく進めるのが苦手で、やるべきことが後回しになる(先延ばし)
- 約束や予定をうっかり忘れる、提出物や持ち物をなくす、忘れ物が多い
- 机の上や書類が片づかず、必要なものを探すのに時間がかかる
これらは「やる気がない」「いいかげん」と誤解されがちですが、本人はむしろ一生懸命取り組んでいることが多いものです。注意を向け続ける働きそのものに負担がかかっているため、努力だけではカバーしきれず、結果としてミスや先延ばしにつながってしまうのです。「気をつけているのに、なぜか同じ失敗をくり返す」という感覚に心当たりのある方は少なくありません。
多動性 ― 大人では「内側の落ち着かなさ」に変わりやすい
2つめの柱は「多動性」です。子どものADHDでは、授業中に席を立ってしまう、走り回る、といった目に見える動きとして現れます。一方、大人になると、この多動性は外から見えにくい形へと変わっていくことが多いといわれています。
大人の多動性は、たとえば次のように現れます。
- 手足をそわそわ動かす、貧乏ゆすりをする、じっと座っているのが苦手
- 会議や長い打ち合わせで、じっとしていることに強い苦痛を感じる
- 必要以上にしゃべりすぎてしまう
- 頭の中が常に動いていて、内側がそわそわと落ち着かない感じが続く
特に大人では、外から見える動きよりも、「自分の中だけで落ち着かなさを感じている」という内的な感覚が中心になることがあります。周囲からは穏やかに見えても、本人は頭の中が休まらず、いつも何かに追い立てられているように感じる——こうした「内側の多動」は、見過ごされやすい大人ならではの特徴です。
衝動性 ― ブレーキをかける前に動いてしまう
3つめの柱は「衝動性」です。思いついたことや感じたことに対して、いったん立ち止まって考える前に、つい行動が出てしまう傾向をいいます。大人では、次のような形で現れやすいものです。
- 順番を待つことが苦手で、列に並んだり結果を待ったりするのがつらい
- 相手が話し終わる前に、つい話をさえぎって話し始めてしまう
- 思いつきで行動してしまい、後から「なぜあんなことを」と後悔する
- 衝動買いをしてしまう、計画していなかった買い物が増える
衝動性は、「決断が速い」「行動力がある」という良い面につながることもあります。けれど、ブレーキが間に合わないために、人間関係でのすれ違いや、お金の管理の難しさにつながることもあります。「悪気はないのに、つい言いすぎてしまう」「あとで考えれば避けられた失敗が多い」と感じる方は、この衝動性が関わっているかもしれません。
なお、ここまで挙げた3つの特徴は、どれも一つひとつは多くの人に多少あてはまるものです。不注意・多動性・衝動性は、それ自体はありふれた現象でもあるため、これらがあるからといってすぐにADHDと決まるわけではありません。だからこそ、自己判断ではなく医師による丁寧な見立てが大切になります。
子どものADHDと大人のADHDの違い
ADHDは生まれつきの特性なので、大人になってから新しく始まるものではないと考えられています。それでも、現れ方は子どもと大人で大きく変わります。
子どものころは、走り回る・席を離れる・大声を出すといった「目に見える動き」が目立ちます。そのため、周囲が気づきやすいのが特徴です。一方、大人になると、こうした動きは落ち着き、代わりに「内側の落ち着かなさ」や「不注意による段取りの難しさ」が前面に出てきます。多動が目立たなくなる分、まわりからは「ただのうっかり屋」「だらしない人」と受け取られ、ADHDの特性が見えにくくなってしまうのです。
また、子どものころは家庭や学校がある程度サポートしてくれたり、課題がはっきりしていたりするため、特性があってもなんとか適応できていることがあります。本人も、子どものころからあった特性を「自分にとっては当たり前のもの」として体験しているため、それを困りごととして意識しにくい、という面もあります。実際、診察の場面で「ケアレスミスが多いのは自分の性格だと思っていた」と振り返る方は珍しくありません。
大人になって困りごととして表面化しやすい背景
「子どものころはそれほど困らなかったのに、なぜ大人になって急に」と感じる方は多いものです。その背景には、大人になってから求められる役割の変化があります。
社会に出ると、自分で締め切りを管理し、複数の仕事を同時に進め、人と細やかに連携することが求められます。子どものころのように、周囲が段取りを整えてくれる場面は少なくなります。そのため、もともと持っていた不注意や段取りの苦手さが、仕事の遅れやミスとして表面化しやすくなります。
特に、転職や昇進、結婚や出産といった生活の変化は、きっかけになりやすいといわれています。たとえば、一人で黙々と進める作業は得意だったのに、人との調整が中心の部署に異動になったとたんにうまくいかなくなる、といったケースです。役割や環境が変わり、求められることのハードルが上がったときに、それまで目立たなかった特性が困りごととして見えてくる——これが、大人になって初めてADHDに気づく方が多い理由です。
困りごとが続くと、気分の落ち込みや不安、不眠といった二次的な不調が重なってくることもあります。「自分はだめだ」と感じる前に、背景にある特性に目を向けてみることが、楽になるための一歩になります。
受診の目安
以下に当てはまるときは、一度相談してみることをおすすめします。
- ケアレスミスや忘れ物、先延ばしが多く、仕事や生活に支障が続いている
- 段取りを立てて物事を順序よく進めることが、いつも難しいと感じる
- じっと座っていることや順番を待つことが苦手で、頭の中がいつも落ち着かない
- 思いつきで動いてしまう、衝動買いが多い、つい話をさえぎってしまう
- 子どものころにも、似たような傾向に心当たりがある
- これらによって自分を責めることが増え、気分の落ち込みや不安、不眠が重なってきている
特に、気分の落ち込みが強い、眠れない、「消えてしまいたい」という気持ちがあるときは、期間を問わず、できるだけ早く相談してください。
まとめ
大人のADHD(注意欠如・多動症)は、不注意・多動性・衝動性という3つの特徴から理解される、生まれつきの脳の働きの個性です。子どものころは目に見える多動が中心ですが、大人になると、不注意による段取りの難しさや、内側の落ち着かなさとして現れやすくなります。
ADHDは大人になって突然始まるものではなく、もともとの特性が、仕事や人づきあいの変化のなかで困りごととして表面化することがほとんどです。「努力が足りない」「だらしない性格だ」と一人で抱え込んできた方も、背景に特性が関わっていると分かるだけで、少し肩の荷が下りることがあります。
不注意・多動性・衝動性は誰にでも多少あるものなので、自己判断で決めつける必要はありません。困りごとが続いてつらいときは、「自分はADHDかも」という手がかりを持って、一度ご相談ください。特性に合った工夫やサポートを一緒に考えていくことで、毎日を少しずつ楽にしていくことができます。
参考にした書籍(要約・再構成。原文の転載ではありません):
- 大人の発達障害ってそういうことだったのか(医学書院)
- ADHDの診断・治療ガイドライン 第4版
- 大人の発達障害 成人精神疾患の背景に潜む神経発達症(精神科治療学)
よくある質問
ADHDは大人になってから発症することがあるのですか?
ADHDは生まれつきの特性で、大人になって突然始まるものではないと考えられています。子どものころから持っていた特性が、仕事や人づきあいの変化で困りごととして表面化し、大人になって気づくことが多いのです。診断は医師が行います。
じっとしていられないわけではないのに、ADHDということはありますか?
あります。子どものころの目に見える多動は、大人になると「頭の中がいつも落ち着かない」「内側がそわそわする」といった感覚に変わることが少なくありません。不注意が目立ち、多動はあまり表に出ないタイプもあります。
不注意やうっかりが多いと、みんなADHDなのですか?
いいえ。不注意・多動性・衝動性は、程度の差はあれ誰にでもあるものです。ADHDとして考えるのは、それが年齢や発達のわりに強く、仕事や生活、人間関係に支障が続いている場合です。見極めは医師が行います。
「自分はADHDかも」と思ったら、どうすればよいですか?
不注意・多動性・衝動性によって仕事や生活、人間関係に支障が続いているなら、一度ご相談ください。ADHDかどうかの判断には、今の様子だけでなく子どものころからの経過を確認する必要があり、診断は医師が行います。