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はじめに

トイレのあと、手を洗い始めると「まだ汚れが残っている気がする」と止まらなくなり、気づけば一時間近く洗い続けている。ドアノブやつり革に触れた手で何かをさわるのが怖くて、家じゅうのものが「汚いもの」と「きれいなもの」に分かれていく。入浴や歯みがきにも自分なりの手順ができ、一つ抜けると最初からやり直してしまう。

こうしたことに、心当たりはありませんか。

これは決して、あなたが極端な潔癖性だからでも、気持ちが弱いからでもありません。「不潔恐怖(ふけつきょうふ)・洗浄強迫(せんじょうきょうはく)」と呼ばれる、強迫症(強迫性障害)の中でもっとも多いタイプの症状です。同じように悩んでいる方はたくさんいて、あなただけが特別というわけではありません。

この記事では、不潔恐怖・洗浄強迫とはどんなものか、なぜ手洗いがやめられなくなるのか、そして「曝露反応妨害法(ばくろはんのうぼうがいほう)」という方法でどのように回復へ向かっていくのかを、できるだけわかりやすく解説します。

不潔恐怖・洗浄強迫とはどんな症状か

不潔恐怖とは、バイ菌や尿・便の汚れ、ねばつくものなどが「自分や周りについてしまうのではないか」と過剰に気になり、強い不安を感じる状態です。そして、その不安を打ち消すために繰り返してしまう手洗いや消毒などの行為を、洗浄強迫といいます。

たとえば、こんな形であらわれます。

  • トイレのあと、汚れが気になって一時間以上も手を洗わないと気がすまない
  • 手洗いや入浴、歯みがきに自分なりの「決まった手順」があり、その通りにしないと終われない
  • 外のもの(手すり、つり革、ボタンなど)を素手でさわるのを避ける
  • 「汚れたもの」をさわった気がすると、服を着がえたり何度もシャワーを浴びたりする

ここで知っておいていただきたいのは、こうした考えや行為を、ご本人も「やりすぎかもしれない」とどこかで感じていることが多い、という点です。それでも止められないのが、この症状のつらいところです。きれい好きであることそのものは病気ではありません。問題なのは、その不安と行為が大きくなりすぎて、生活に支障が出てしまうときです。

なぜ手洗いがやめられなくなるのか――悪循環のしくみ

手洗いがやめられなくなるのには、はっきりとしたしくみがあります。これを知っておくと、「自分の意志が弱いせいだ」という誤解から自由になれます。

きっかけになるのは、ある「ひっかかり」です。たとえばトイレのドアノブにさわる。すると「便や尿の汚れがついて汚い」という考えが頭に浮かびます。これを強迫観念(きょうはくかんねん)といい、強い不安や不快感を引き起こします。その不安を消そうとして、何度も繰り返し手を洗う。これが強迫行為(きょうはくこうい)です。手を洗うと、たしかにその場では一時的に不安が下がって、ほっとします。

問題はここからです。

きっかけ(ドアノブにさわる など)
    ↓
「汚れた、汚い」という強迫観念がわく
    ↓
強い不安・不快感
    ↓
手を洗う(強迫行為)
    ↓
一時的に不安が下がる/ほっとする
    ↓
「洗えば安心できる」と脳が学習する
    ↓
次はもっと洗わないと安心できなくなる … (くり返し)

洗うことで一時的に楽になる経験を重ねるほど、脳は「洗えば安心できる」と覚えてしまいます。すると、次はもっと洗わないと安心できなくなり、回数も時間もエスカレートしていきます。手洗いが「安心の手段」ではなく、「やめられないもの」に変わっていくのです。手洗いがやめられないのは、この悪循環の力によるもので、あなたが怠けているからではありません。

「触れないもの」が増え、生活が狭くなっていく

この悪循環が続くと、もう一つの変化が起こります。それが「回避(かいひ)」の広がりです。

不安や不快感を感じそうな場面を、人は自然と避けようとします。汚いと感じるものにさわらない、外出を減らす、苦手な家事を人に代わってもらう。避けると、その瞬間はたしかにほっとします。しかし避け続けると、「触れないもの」「行けない場所」が少しずつ増えていきます。

気づけば、トイレに行くのも、料理をするのも、外出するのも、ひと苦労になっている。仕事や家事が思うようにできなくなる。家から出られなくなる。こうして生活全般が消極的になり、日常がしづらくなっていくのです。

生活が狭くなるのは、あなたの心がけの問題ではなく、不安を避ける行動が積み重なった結果です。だからこそ、後でお伝えするように、この「避ける流れ」を逆向きに変えていくことが回復のかぎになります。

コロナ禍をきっかけに悪化・顕在化する人も

近年は、新型コロナの流行をきっかけに、手洗いや消毒が止まらなくなった、あるいは以前からの傾向が一気に強まった、という方が目立つようになりました。

感染対策として手洗いや消毒に気をつけること自体は、ごく自然で正当なことです。ただ、もともと汚れや不潔感への不安が強かった方では、それが引き金となって洗浄行為が少しずつエスカレートし、自分でも止めにくくなることがあります。帰宅後の手洗い・消毒に決まった手順ができ、時間がどんどん長くなる。家族にも同じように手洗いを求めてしまう。そうして、本人も家庭も負担を抱えてしまうケースが知られています。

「環境のせいだから仕方ない」と感じるかもしれません。けれども、生活に支障が出ているなら、それは整理して取り組める対象です。早めに相談することで、こじれる前に対処しやすくなります。

回復への道――不安階層表と曝露反応妨害法

ここからが、回復に向けての具体的な進め方です。強迫症の治療では、行動療法のなかでも「曝露反応妨害法」という方法がよく用いられます。難しそうな名前ですが、考え方はシンプルです。

まず「触れないもの」に点数をつける(不安階層表)

最初に、自分が避けているものや場面を書き出し、どのくらい不安かを0から100の点数でつけてみます。これを不安階層表(ふあんかいそうひょう)といいます。0はまったく不安がないもの、100はいちばん強い不安を感じるものです。

たとえば、ある方の例では「自分の部屋のドアノブ」は比較的低い点数、「自宅のトイレの床にさわる」「公衆トイレ」などは高い点数、という具合に並びます。あまり厳密に考えず、まず100と50を決めて、それを基準に順番づけしていくとつくりやすくなります。こうして、易しいものから難しいものへと、挑戦の階段ができあがります。

「あえて触れて、そのあと洗わない」練習

曝露反応妨害法は、二つの部分からなります。一つは曝露法、つまり「これまで避けてきた、汚いと思うものにあえてさわる」こと。もう一つは反応妨害法、つまり「そのあと、不安を下げるための手洗いをあえてしない」ことです。この二つを組み合わせると、もっとも効果が高まることがわかっています。

大切なのは、いきなり一番苦手なものに挑戦しないことです。不安階層表の易しいところから、手の届きそうな一歩を選んで取り組みます。最初は治療者がお手本を示し、次に同じことをご本人がやってみる、という形で進めることが多く、慣れてきたら自宅での宿題として一人でも練習していきます。

不安は「上がっても、必ず下がる」

「汚いものにさわって、手を洗わないなんて耐えられない」と思うかもしれません。実際、さわった直後は不安が上がります。けれども、手を洗わずにそのまま過ごしていると、不安はずっと続くわけではなく、ふつう十数分から数十分のうちに自然とやわらいでいきます。これは多くの研究で確かめられていることです。

ある方の経過では、最初は心臓が張り裂けそうなほど身構えていたのに、実際にさわってみると予想したほどではなく、十分ほどで衝動や不安が下がり始め、三十分も経つと我慢している感じがほとんどなくなった、と報告されています。同じ練習を繰り返すうちに、数日で最初の不安がかなり軽くなり、段階的に難しいものへ挑戦できるようになっていきました。最終的には、トイレ・手洗い・入浴がふつうにできるようになったと伝えられています。

「不安は上がっても、待っていれば必ず下がる」――この体験を自分で積み重ねていくことが、回復の核心です。なお、薬(セロトニンに作用する薬など)が使われることもありますが、薬だけよりも、行動療法と組み合わせるほうが取り組みやすくなることが多いとされています。治療方針は医師が一人ひとりに合わせて判断します。

受診の目安

以下のようなことが続いているときは、一人で抱え込まず相談を考えてみてください。

  • 手洗いや入浴、歯みがきに時間がかかりすぎて、日常生活に支障が出ている
  • 「汚れた気がする」という不安で、触れないもの・行けない場所が増えてきた
  • 外出や家事、仕事が思うようにできなくなってきた
  • コロナ禍以降、手洗いや消毒がエスカレートして止めにくい
  • やめたいと思っているのに、自分の力ではどうしてもやめられない
  • 家族にも手洗いや消毒を求めてしまい、家庭内で負担が大きくなっている

当てはまるものがあっても、それだけで病気と決まるわけではありません。診断や今後の進め方は、医師が診察のうえで一緒に考えていきます。とくに症状が重いと感じるときは、早めに専門機関へ相談すると安心です。

まとめ

不潔恐怖・洗浄強迫は、強迫症の中でもっとも多いタイプの症状です。「汚れた気がする」という強迫観念から手洗いを繰り返し、一時的にほっとするものの、それが「洗わないと安心できない」悪循環を生み、やがて触れないもの・行けない場所が増えて生活が狭くなっていきます。

抜け出すための方向は、不安階層表で易しいものから順番をつけ、あえて触れて手を洗わずに待つ――そして「不安は上がっても必ず下がる」という体験を、一歩ずつ積み重ねていくことです。すぐに完璧を目指す必要はありません。手の届く一歩から始めれば大丈夫です。

強迫症は、適切に取り組めば改善が期待できる病気です。一人で抱え込まず、今のつらさを整理し、無理のない一歩を一緒に考えるところから始めましょう。気になる方は、どうぞお気軽にご相談ください。


参考にした書籍(要約・再構成。原文の転載ではありません):

  • 強迫性障害の治療ガイド
  • 精神科臨床ライブ 精神科治療学 増刊号

よくある質問

手を洗いすぎてしまうのは、ただの心配性や潔癖ではないのですか?

きれい好きや心配性とのいちばんの違いは、生活に支障が出ているかどうかです。汚れた気がして何度も長く手を洗ってしまい、その時間や苦しさで日常がまわらなくなっているなら、不潔恐怖・洗浄強迫と呼ばれる強迫症の状態かもしれません。診断は医師が診察のうえで行いますので、自己判断で決めつける必要はありません。

汚いと思うものにあえて触るなんて、本当に大丈夫なのですか?

曝露反応妨害法では、いきなり一番苦手なものに触るわけではありません。不安の弱いものから順番をつけ、手の届きそうな一歩から少しずつ進めます。触った直後は不安が上がりますが、手を洗わずに待つと、ふつう十数分から数十分のうちに自然と下がっていきます。専門家と一緒に、無理のないペースで取り組むのが安心です。

コロナ禍をきっかけに手洗いが止まらなくなりました。受診したほうがよいですか?

感染対策として手洗いや消毒に気をつけること自体は自然なことです。ただ、その不安や行動がだんだんエスカレートし、時間や家庭への負担が大きくなって生活に支障が出ているなら、相談を考えてよいサインです。早めに整理することで、こじれる前に対処しやすくなります。

自分一人でも取り組めますか?

症状が軽い場合は、不安階層表をつくって易しいものから自分で練習できることもあります。ただ、症状が重く、最初から一人で挑戦するのが難しいときは、行動療法ができる専門機関で、援助を受けながら始めることをおすすめします。まずは不安が下がる体験を一緒に確かめるところからです。

関連する病気の説明

執筆・監修

精神保健指定医 野口晋宏

春日メンタルクリニック院長。精神科・心療内科の診療経験をもとに、受診前の不安や制度の疑問を整理しやすい情報提供を心がけています。

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