はじめに
少し楽になってきたと思った翌週に、また気分が沈んで「やっぱり治らないのかもしれない」と落ち込む。そんな経験はありませんか。あるいは、ようやく体が動くようになってきたのに、なぜか急に焦りが出てきて、無理に予定を詰め込んで疲れてしまう。
うつ病から回復していく途中で、こうした「よくなったり、少し戻ったり」を経験する方はとても多くいらっしゃいます。一直線にまっすぐよくなることを期待していると、戻った日に大きく落ち込んでしまいがちです。けれど、波があること自体は、けっして珍しいことでも、あなただけのことでもありません。
この記事では、うつ病の回復が一直線ではなく波を描くこと、回復のリズムに生活のペースを合わせるという考え方、よくなりかけに出てくる「焦りの時期」との付き合い方、そして周囲の善意がときに回復を急かしてしまうことについて、療養の知恵としてお伝えします。診断や治療方針は医師が一人ひとりの状態をみて判断しますので、ここでは「過ごし方の見取り図」として読んでいただければと思います。
回復は一直線ではなく、波を描く
うつ病は、坂道を一段ずつ確実に上るように、まっすぐよくなっていくものだと思われがちです。けれど実際の回復は、よくなったり、少し戻ったりを繰り返しながら、全体としては少しずつ上向いていく、波のような形をとることが多いものです。
大切なのは、グラフの細かい上下ではなく、長い目で見たときの方向です。今日や今週の調子が前より少し落ちたとしても、それは下り坂に入ったことを意味するとは限りません。数日から数週間という単位で見れば、谷の底が前より浅くなっていたり、谷から持ち直すまでの時間が短くなっていたりする。そうした変化のほうが、回復が進んでいるかどうかをよく表します。
「戻った」と感じた日は、たしかにつらいものです。けれど、波があること自体は悪化ではなく、回復の途中に自然に現れる姿だと知っておくと、その日の落ち込みに飲み込まれずにすみます。波がきても、また持ち直す。その繰り返しのなかで、回復は進んでいきます。
回復のリズムに生活のペースを合わせる
回復には、急いではいけない過程、自分の力では加速できない過程があります。早く進めようとすればするほど、かえって長引いたり、ぶり返したりしてしまうことがあるのです。
これは、抗生物質が広まる前、結核の療養が長くかかっていた時代にもよく知られた知恵でした。回復のリズムをうまくとらえ、その波長に自分の生活を合わせられた人が、もっともよく回復していったといわれます。反対に、自分の焦りや、周囲からの「早く戻ってほしい」という要請に巻き込まれてしまった人は、積み上げた療養を短い無理で台無しにしてしまうことが少なくありませんでした。
落ち着いて待ち、タイミングをはかりながら少しずつ積極的な生き方に戻っていった人が、いちばんよい治り方をしたのです。規則だけはきちんと守っていても、心のなかで焦りに身を任せていた人が、それ以上よく治ったわけではないと考えられています。
うつ病の回復にも、同じことがいえます。「もっと早く」と自分を急かすより、今の自分のリズムに生活のペースをそっと合わせていく。そのほうが、結果的に安定した回復につながりやすいのです。回復のちょうどよい進み具合は人それぞれですから、ペース配分は主治医と相談しながら見つけていきましょう。
よくなりかけに出てくる「焦りの時期」
回復の途中には、調子が上向いてきたタイミングで「焦りの時期」と呼ばれる時期が訪れることがあります。少し体が動くようになり、頭も働きはじめると、「このままではいけない」「遅れを取り戻さなくては」という気持ちがわいてくるのです。
この焦りは、けっして気持ちが弱いからでも、わがままだからでもありません。回復のエネルギーが戻ってきたからこそ生じる、ある意味で自然な反応です。ただ、ここに落とし穴があります。焦りがそのまま行動に変わってしまうと、一気に活動を増やしてしまいやすいのです。
「もう大丈夫」と感じて、仕事や勉強、家事を以前の水準まで急に戻す。たまった用事を一日でかたづけようとする。そうして無理に引っ張った結果、数日後にどっと疲れが出て、波の谷へ深く落ち込んでしまう。これが、よくなりかけにいちばん起こりやすい逆戻りのパターンです。
焦りが出てきたときは、「回復が進んできたサインだ」と受け止めつつ、行動はあえて一段ゆるめる。それくらいでちょうどよいことが多いものです。
「下山」と「梅一輪ほどのあたたかさ」
回復の後半は、登山にたとえると「下山」に似ています。山では、頂上を越えて下りに入ったときこそ、気がゆるんで事故が起こりやすいといわれます。回復も同じで、調子がよくなってきた時期こそ、自分でも周囲でも、少しブレーキをかけるくらいがちょうどよいのです。
参考にした書籍では、よくなりかけの患者さんやご家族に、こう伝えることがあると書かれています。「『梅一輪 一輪ほどのあたたかさ』ですね」。梅の花が一輪、また一輪と咲くように、春は一気にではなく少しずつやってくる。回復も、その歩みでよいのだ、という考え方です。
「治療という休養そのものが、外からは見えない大きな仕事なのだ」とも語られています。何もしていないように見える日々も、実は回復に必要な時間を過ごしている。ですから、「怠けているから何か始めなければ」と自分を責める必要はありません。少しずつ、梅一輪ほどのあたたかさで進む。それが、いちばん確かな回復の道です。
周囲が善意で引っ張ってしまうという落とし穴
回復を急かしてしまうのは、本人だけではありません。心配するご家族が、よかれと思って活動を促すこともあります。「少し元気になったみたいだから、そろそろ外に出てみたら」。その一つひとつは、まぎれもない善意です。
けれど、よい芽が少し出てきたところを引っ張ってでも伸ばしたいと思うのが人情だとしても、引っ張って草木が早く伸びるわけではありません。むしろ、引っ張られた本人は焦りを強め、回復の波を乱してしまうことがあります。
おびえたかたつむりが、そっと体を出し、角を出しはじめたとき、その角をはさんでしまえば、かたつむりはもう一度出てきてくれるでしょうか。回復しかけの心も、これと似ています。見守られていると感じられるとき、人は安心してゆっくり前に進めるのです。
ご家族にできるいちばんの支えは、せかさず、本人のペースを尊重して見守ることです。とはいえ、見守る側もつらく、不安なものです。「どう接したらいいかわからない」というときは、ご家族だけで医療機関に相談することもできます。一人で抱え込まないでください。
受診の目安
以下に当てはまるときは、無理をせず相談することをおすすめします。
- 気分の落ち込みや意欲の低下が、2週間以上ほぼ毎日続いている
- 回復の途中で気分が戻った状態が、長く続いて持ち直さない
- よくなりかけに焦りが強く出て、活動を増やしては疲れ果てる、を繰り返している
- 眠れない、食べられない、といった状態が続いている
- 「自分が悪い」「消えてしまいたい」といった考えが頭から離れない
- 支える側のご家族自身が、つらさや不安で疲れてしまっている
診断は医師が一人ひとりの状態をみて行います。当てはまるものがあれば、早めにご相談ください。
まとめ
うつ病の回復は一直線ではなく、よくなったり少し戻ったりを繰り返す、波のような道のりです。波があること自体は悪化ではなく、回復の自然な姿です。回復のリズムに生活のペースをそっと合わせられた人ほど、安定して回復しやすいといわれています。よくなりかけの「焦りの時期」には、行動を一段ゆるめるくらいがちょうどよく、周囲も本人も、下山のときのように少しブレーキをかける気持ちが助けになります。梅一輪ほどのあたたかさで、少しずつでかまいません。あなたのペースで進む回復を、私たちはいっしょに見守ります。
参考にした書籍(要約・再構成。原文の転載ではありません):
- 中井久夫『精神科治療の覚書』
よくある質問
よくなってきたのに、また少し気分が落ちました。悪化したのでしょうか。
回復の途中で一時的に気分が戻ることはよくあり、多くは悪化ではなく回復の自然な波の一部です。短期間で持ち直すようなら、回復が進んでいる証ととらえてよいことが多いです。ただし戻りが長く続く・強いときは主治医に相談してください。
気分がよくなったので、すぐに元の生活に戻してよいですか。
よくなりかけは「焦りの時期」と呼ばれ、一気に活動を増やすと逆戻りしやすい時期でもあります。少しずつ段階的に戻すほうが、結果的に安定した回復につながりやすいです。再開のペースは主治医と相談しながら決めましょう。
家族として、本人を励まして活動を促したほうがよいのでしょうか。
善意の励ましが、かえって本人の焦りを強めてしまうことがあります。芽を引っ張っても草木は早く伸びないのと同じで、回復は本人のペースを見守るほうがうまくいきやすいです。心配なときはご家族だけでの相談も可能です。