洗面台の前で手が止まらなかった朝
朝、顔を洗って鏡を見ると、あごのあたりにざらっとした感触がある。指先がそこに触れたのは一瞬のつもりだったのに、気づいたときにはしばらく経っていて、肌は赤くなっている。「もうやめよう」と何度も思ってきたのに、また同じことを繰り返してしまった。そういう経験をしている方に向けて、この記事を書いています。
皮膚むしり症(excoriation disorder)は、皮膚を繰り返しむしって傷ができ、やめたいのにやめられず、苦痛や生活の支障が生じている状態です。DSM-5では「強迫症および関連症群」に独立した診断として置かれています。
「意志が弱いから」「ただの癖でしょう」と片づけられがちですが、そうではありません。むしる行動には、引き金から手が動き、直後の満足や安堵がまた次の行動を呼ぶ、という連鎖がよく見られます。この連鎖の仕組みを知ることが、「どこで止めればいいのか」を考える出発点になります。
「気づかない」と「やめられない」の両方がある
皮膚むしりの起こり方には、大きく分けて二つの面があります。
一つは「自動的なむしり」です。テレビを見ているとき、何か読んでいるとき、気がつくと手が顔や頭に伸びていて、自分では触っていた意識がほとんどない。もう一つは「集中したむしり」で、ニキビやかさぶたを見つけて気になり、取り除きたい衝動に応じて意識的にむしる。
この二つが「タイプ」として人を分けるものではない、という点が大事です。同じ人に両方が起こります。気づかないまま始まって、途中から集中してむしるようになることもあります。「私はどっちだろう」と考えるより、「自分はどんな場面で、どちらの起こり方をしやすいか」と見ていくほうが、対処の手がかりになります。
むしった直後の感覚と次の行動
むしる行動が繰り返されるのには理由があります。その中心にあるのは、行動の直後に得られる感覚です。
たとえばこういう流れがあります。肌にざらつきやかさぶたを感じる。そこに緊張や、取り除きたいという衝動が重なる。むしると、なめらかになった感触や、ほっとした感じ、ちょっとした満足が得られる。この直後の安堵や満足が、行動を「また次もやろう」と続けさせる力になっています。
一方で、しばらくしてから、あるいはむしっている最中から、恥ずかしさや後悔がやってきます。「またやってしまった」と自分を責めると気分が落ち込み、その不快さがまた引き金になることもあります。
自分を責めても止まりにくいのはこのためです。むしった後の後悔がどれほど強くても、むしった直後の満足や安堵が行動を繰り返す力になっている場合があります。
ただし、全員がこの順番をきれいにたどるわけではありません。安堵がはっきりしない人もいれば、後悔が少ない人もいます。「自分の場合、何が行動を続けさせているか」を見つけることが大切です。
三つの方向から来る引き金
むしる行動の手前にある引き金を知ることは、止める場所を見つけるうえで欠かせません。引き金はおおむね三つの方向から来ます。
まず、感覚です。ニキビ、かさぶた、肌のでこぼこ、触ったときのざらつき。「なめらかに整えたい」という感覚が引き金になることは多く、むしった結果むしろ傷やでこぼこが増え、それがまた気になって確かめ、また触るという悪循環になりやすい部分です。
次に、気分です。退屈、不安、緊張、ストレス、いらだち。何か特定のつらい出来事がなくても、漠然とした落ち着かなさが手を動かすことがあります。
そして、状況です。洗面所や浴室、鏡の前、いつもの椅子、一人でいる時間。毛抜きやピンセットが手の届く場所にあること自体が引き金になることもあります。
米国のネット調査(臨床的に問題のある皮膚むしりのある760人)では、むしる部位は平均約5か所で、顔が約4分の3、頭皮・腕・脚がそれぞれ半数近くでした。使うのは爪や指が大半ですが、毛抜きなどの道具を使う人も多く報告されています。
隠す時間まで含めた「とられる時間」
むしることに関わる時間は、実際にむしっている時間だけではありません。同じ調査では、むしる時間そのものが1日1時間以上という人は約半数でしたが、むしることを考えたり衝動をこらえたりする時間まで含めると、8割近くが1日1時間以上をとられていました。
化粧や服装で傷を隠す手間、肌が見える場面を避ける工夫、人付き合いや親密な関係への影響もあります。隠すために費やす時間やエネルギーも、生活への支障の一部です。仕事や勉強の集中が妨げられたり、外出をためらったりする方もいます。
体の面では、出血、痛み、傷、感染のリスク、跡(瘢痕)が残ることがあります。気分の落ち込みや不安、罪悪感、自分への嫌悪感を一緒に抱えている人も少なくありません。
相談しにくさの理由
皮膚むしり症は助けを求めにくい状態でもあります。海外の133人を対象とした調査では、助けを求めたことがある人は半数弱にとどまりました。求めなかった理由としては「治療が必要なほどだとは思えなかった」「相談相手への不安」「恥ずかしさ」が挙がっています。
この「治療が必要なほどだと思えなかった」は、見落としやすい壁です。日々の苦痛があるのに、「癖だから仕方ない」「自分で何とかすべき」と思い込んでいると、相談という選択肢が浮かびにくくなります。
ニキビなど皮膚の病気があっても、皮膚むしり症は同時に起こりえます。皮膚の病気が落ち着いてもむしることが続く場合は、皮膚の状態だけの問題ではない可能性があります。
連鎖に足場を作る習慣逆転法
治療の中心は行動療法で、とくに習慣逆転法(ハビット・リバーサル)と呼ばれる方法です。「習慣」という言葉が入っていますが、苦しさや治療の必要性が軽いという意味ではありません。
習慣逆転法には三つの柱があります。
一つめは気づきの練習です。 むしっている最中に「はっ」とするのではなく、もっと手前の段階に気づけるようにしていきます。手が顔に近づく動き、指先で肌を探る感覚、鏡をのぞき込もうとする姿勢。連鎖の早い段階で「いま始まりかけている」と気づくことが、次の対処につながります。これは「意識して我慢する」こととは違います。我慢は連鎖の途中で力ずくで止めようとするものですが、気づきの練習は、連鎖がまだ弱い段階で方向を変えるためのものです。
二つめは競合反応です。 むしる動作と同時にはできない別の動作を用意し、むしりたくなったときに代わりに行います。両手を軽く組む、こぶしを握るといった動作が例として使われます。ポイントは「むしらない」ではなく「代わりにこれをする」という形にすることです。
三つめは周囲の支えです。 本人が取り組めたときにそれを認める、あらかじめ穏やかな合図を決めておくなどの方法です。大人の場合はこの部分を省くこともあります。家族の監視や叱責は支えにはなりません。強い否定的な反応はやり直そうとする意欲をそいでしまうことがあります。
習慣逆転法は、待機群と比較して改善が見られたという試験があり、セルフヘルプ版でも別の方法より改善が見られています。ただし、どの研究も規模は小さめで、「改善」は「完全にやめられる」と同じではありません。
日常のなかで試せること
習慣逆転法を本格的に行うには治療の枠組みが必要ですが、その考え方の一部は日常でも試すことができます。
まず、いつ・どこで・何をしていて・何がきっかけだったかを意識してみることです。手が伸びたときに「いま何が引き金だったか」と振り返ってみるだけでも、自分のパターンが少しずつ見えてきます。治療ではこれを記録として残しますが、まずは「気づく」ことから始めて構いません。
次に、環境の側を調整することです。たとえば毛抜きやピンセットをすぐ手が届く場所から別の場所に移す。鏡の前に立つ時間を意識的に短くする。いつもむしってしまう椅子やソファに座るとき、手元にちょっとした別の活動を用意しておく。どれが効くかは引き金によって違うので、「これをやれば大丈夫」という全員共通のリストにはなりませんが、自分の引き金に合わせて試していくことに意味があります。
またむしってしまったとしても、それは失敗ではなく、「このときはうまくいかなかった」という情報です。責めるのではなく、そのときの状況を振り返って対策を見直すほうが、次につながります。
研究の途上にある薬
皮膚むしり症に対する薬の研究は、まだ少ない段階にあります。SSRIという系統の抗うつ薬が試されていますが、結果は一貫していません。N-アセチルシステインという成分で、プラセボより改善が見られたという比較試験が1つ報告されていますが、これも研究段階です。
全体として、「決め手になる薬はまだ見つかっていない」というのが現在の位置づけです。強迫症で薬が効くパターンを皮膚むしり症にそのまま当てはめることはできません。
皮膚科と精神科の両方
皮膚むしり症では傷や跡の手当て(皮膚科の領域)と、むしる行動そのものへの対処(精神科の領域)の両方が必要になることがあります。どちらかを選ばなければいけないわけではなく、両方を並行して使って構いません。
傷が深い、赤く腫れて熱をもつなど、体の手当てが必要なときは皮膚科を受診してください。一方で、皮膚の状態が落ち着いても、むしる行動が続く場合があります。そうしたときは、皮膚の手当てとは別に、行動そのものについても相談できます。
近い状態との見分け
皮膚むしり症は、いくつかの近い状態と区別して考えられています。強迫症のように「打ち消したい考え」が必ず先にあるわけではなく、気持ちよさがあったり、気づかないまま起こったりする点が異なります。外見の「欠点」へのとらわれが中心にある場合は醜形恐怖症として考えることがあります。抜毛症(毛を抜いてしまう状態)とは近い位置づけで、これらの全体像については強迫症とよく似た状態の記事で紹介しています。
かゆみがあって掻いてしまうこととの違いが気になる方は、皮膚とストレスについての記事もあわせてご覧ください。
当院の受診
当院は18歳以上の方を対象に、精神科の診療を行っています。皮膚をむしってしまうことについて相談したいとき、WEB予約(デジスマ)からご予約いただけます。初診の前にWEB問診がありますが、簡単な記載で構いません。むしることについて詳しく話す準備ができていなくても、話したくないことを無理に話す必要はありません。
当院には心理士が在籍しておらず、習慣逆転法などの構造化された心理療法プログラムは行っていませんが、むしる行動について困っていることを医師に相談していただくことはできます。ご本人が受診に同意されている場合は、ご家族も同席できます。ご家族のみの相談はお受けしていません。
参考にした資料(要約・再構成。原文の転載ではありません):
- David F. Tolin (ed.) The Oxford Handbook of Obsessive-Compulsive and Related Disorders, 2nd ed.(Oxford University Press、2023年)抜毛症・皮膚むしり症の症状と疫学の章、治療の章
- Jonathan S. Abramowitz, Dean McKay, Eric A. Storch (eds.) The Wiley Handbook of Obsessive Compulsive Disorders(Wiley、2017年)皮膚むしり症の症状の章、心理療法の章
よくある質問
ただの癖と皮膚むしり症は、どう違うのですか?
肌を触ること自体や、傷の程度だけでは決まりません。繰り返しむしって傷ができていること、やめようと試みていること、それによって強い苦痛や生活の支障が生じていることが診断の要点です。「やめたいのにやめられず、困っている」状態であれば、一度相談してみてよいと思います。
対策グッズや絆創膏は、皮膚むしり症に役立ちますか?
毛抜きなどの道具を手の届きにくい場所にしまう、鏡との距離を変えるといった環境の調整は、治療でも実際に使われます。ただし特定のグッズだけでむしりが止まるわけではなく、自分の引き金に合わせて工夫を組み合わせることが大切です。
薬で皮膚むしり症は治りますか?
皮膚むしり症に対する薬の研究はまだ少なく、決め手になる薬は見つかっていません。SSRIという抗うつ薬の結果も一貫しておらず、強迫症の薬の効き方をそのまま当てはめることはできません。現時点では行動療法が治療の中心です。
皮膚科と精神科、どちらに行けばいいですか?
傷や跡の手当ては皮膚科、むしる行動そのものへの治療は精神科が担当します。どちらか一方ではなく、両方を使って構いません。傷が深い、赤く腫れて熱をもつなど体の手当てが必要なときは、まず皮膚科を受診してください。
家族がむしっているのを見かけたら、注意したほうがいいですか?
強い否定的な反応や叱責は、やり直す意欲をそいでしまうことがあります。本人が取り組めたときに認める、あらかじめ穏やかな合図を決めておくなど、見守る形のほうが支えになります。