考える前に、テレビがもう話していた
自分がまだ言葉にしていない考えを、テレビやラジオが先に話している。
『精神科シンプトマトロジー』には、そのように感じた人の記録が紹介されています。
誰にも話していない考えが外に伝わってしまうという訴えです。普通に考えれば、自分が何かを考え、その内容が誰かに知られるという順番になります。
ところが専門書では、この症例について、もう一つの読み方が示されています。
外から聞こえてきた言葉によって、初めて自分が何を考えようとしていたかに気づくというものです。
自分の考えが先にあるとは限らず、他人の言葉のほうが先に来ています。
自分が考える前に、ほかの誰かがその考えを知っている。自分がこれから言おうとすることまで、すでに決められているように感じられます。
こうした体験を理解するには、考えの内容が正しいかどうかだけを見ていても十分ではありません。
「自分で考えた」「自分で動かした」という、普段は意識することのない感覚に目を向ける必要があります。
「自分の考え」と「自分で考えた」は違います
精神医学では、自分の考えや動きが外から及ぼされているように感じる体験を「させられ体験」と呼んできました。「作為体験」「被影響体験」という言い方もあります。
たとえば、次のような形で語られます。
- 自分の頭に浮かんだ考えなのに、誰かが外から入れてきたもののように感じます。
- 言おうとしていたことが途中で消え、考えを抜き取られたように感じます。
- 自分の手足が意思と関係なく動き、止めようとしても止められないように感じます。
- 自分が実際におこなったことなのに、誰かにさせられたという感覚が残ります。
ここで問題になっているのは、考えの中身だけではありません。
同じ考えが頭に浮かんだとしても、「自分で考えた」と感じることと「誰かに考えさせられた」と感じることには、大きな違いがあります。
『精神症候学』では、自分で考えたり動いたりしているという感覚を「実行意識」と呼んでいます。
そもそも、自分についての感覚は一つではありません。同書は自我にかかわる感覚を四つの領域に整理しています。
- 自分が確かにここに存在しているという感覚。「存在意識」と呼ばれます。
- 考えや行動が自分の働きだという感覚。「能動意識」と呼ばれます。
- 自分は一人の存在だという感覚。「単独意識」と呼ばれます。
- 自分と他人、自分の内側と外側を区別する感覚です。
このうち二番目の能動意識は、さらに二つに分けられます。
一つは「この考えや体は自分のものだ」という自己所属性。もう一つは「それを自分がおこなっている」という実行意識です。
させられ体験は、後者の実行意識が損なわれた先に位置づけられます。
ただし、それだけで説明が終わるわけではありません。『精神症候学』では詳しい記述が四番目の、自分と他人、内と外の区切りを扱う部分にも置かれています。
自分がおこなっているという感覚と、どこまでが自分でどこからが他人なのかという感覚。その両方にかかわる体験なのです。
頭に入ってくる考えと、外に漏れていく考え
させられ体験は主に、考えることと、何かをしようとする意志や欲求の領域で語られます。
考えを外から吹き込まれる、途中で抜き取られるという感じ方があります。体の動きを外から強いられるように感じる場合もあり、身体に関する自我の障害として捉えられています。
一方、感情については、外からさせられるという形の体験は一般にないとされています。これは専門書で典型的な体験がどこに位置づけられているかという整理です。
考えに関する体験には、反対方向のものもあります。
外から考えが入ってくるのではなく、自分の考えが外へ漏れ、周囲の人に知られてしまうという感じ方です。
誰にも話していない秘密や、口に出すのが恥ずかしい考え、自分だけのアイデア。私たちは普段、そうしたものを心の中に持っています。
ところが、口に出していないことまで周囲の人に知られているように感じられたら、どうでしょうか。
『統合失調症のみかた,治療のすすめかた』では、こうした思考伝播という体験を、自分と他人との区切りの問題として説明しています。
『精神症候学』にも、自分の内側にあるものが外へ漏れ、周囲に知られてしまうという訴えの記述があります。
興味深いことに、その記述は考えだけに限られません。においや視線、見た目についての訴えまで含む、より広いまとまりとして扱われています。また、一つの病気だけに起こる現象とはされていません。
自分だけが知っているはずのことを他人が知っている。自分で生み出したはずの考えが外から入ってくる。
方向は逆でも、どちらにも自分と外の区切りがかかわっています。
「自分が自分でない」とは何が違う?
「自分の考えではない感じがする」という言葉は、別の体験を説明するときにも使われます。
たとえば、自分の体なのに自分のものという実感が乏しい、話している自分を少し後ろから眺めているようだ、周囲の景色に現実味がない、といった感じ方です。
こうした体験は、自分の知覚や考えや行動が「自分のものだ」と感じられる自己所属性の変化として整理されています。
させられ体験とは、変化の方向が違います。
- 自分のものという実感が薄れる体験では、自分自身や周囲が遠く感じられます。
- させられ体験では、自分の考えや動きが外から起こされ、動かされているように感じられます。
ただし、本人がこの二つを明確に区別して話すとは限りません。両方の言い方が入り混じることもあります。
自分が遠く感じられる、現実感が薄いという体験については、解離とは何かでも詳しく扱っています。
頭の中で考えることが、聞くことに変わる
考えを外から入れられる感覚と、声が聞こえる体験は同じなのでしょうか。
ここにも興味深い違いがあります。
普通は頭の中で何かを考えるとき、自分がその言葉を考えていると感じています。
ところが、考えていることが声になって聞こえる体験があります。「考想化声」と呼ばれるものです。
『精神科シンプトマトロジー』では、この体験を、自分の内側で言葉を考えることが、誰かの言葉を聞き取るような体験に変わるものとして考察しています。
自分で考えているときには一つだったものが、言葉を発する側と、その言葉を聞く側に分かれるという見方です。
同書には、手紙を書いている場面の症例も紹介されています。
手紙に書く言葉を探していると、探していた言葉が先に聞こえてきます。しかも一語ずつ聞かされるだけでなく、文章の組み立て方まで、ほかの存在に決められているように感じられたという記録です。
本人にとっては、自分の言葉を選んでいるつもりでも、外から聞こえる言葉が先に来ています。
こうした例から、専門書は、考えを生み出すことと、その考えを自分のものとして受け取ることの関係を検討しています。
さらに、自分の行動を声に実況されるような幻聴の例も取り上げられています。普段は意識の前面に出ていない自分の行動や考えが、声として聞こえるようになるという説明です。
ただし、ここで二つの体験を混同しないことも大切です。
考えを入れられたように感じても、声として聞こえているとは限りません。
させられ体験では、音や声の形を取らずに、自分で考えているという感覚が損なわれることがあります。
一方、幻聴では耳から、あるいは頭の中から、声として聞こえる体験があります。
考想化声は幻聴として整理されますが、専門書では自分の考えが自分のものだという感覚が損なわれる側面も論じられています。
二つの体験は区別されるものの、重なって現れることもあります。
声として聞こえる体験については、幻聴とは? 聞こえ方・本人の体験・周囲ができることをご覧ください。
自分で決めたのに、最初から決められていた
させられ体験という言葉からは、外から何かを無理やり押しつけられる感じを想像するかもしれません。
『精神科シンプトマトロジー』には、それとは少し違った形の体験も紹介されています。
ある人は、自分の考えが自由意志によって生まれていると感じています。考えているのは確かに自分です。
しかし、考えが浮かんだ後には、その内容は背後にある存在によって、あらかじめ決められていたものだったと感じられます。
自分の意思で考えているのに、自分が考えることは最初から予定されていたという感覚です。
これは「予定体験」と呼ばれるものです。
同書は統合失調症を中心に論じた章の中で、こうした形を経過が長くなった時期の体験として取り上げています。
急な時期には、自分の意思と外から加えられる力が対立しているように感じられます。自分はこうしたいのに、外から別のことをさせられるという関係です。
予定体験として記述される形では、その対立が失われています。
外からあらかじめ決められていることと、自分の意思で行動することが矛盾しなくなっています。むしろ、外から決められているからこそ自分で考えたり動いたりできる、という関係になります。
その記述で特徴とされているのは、本人にとって違和感が乏しいことです。
ただし、これは特定の症例をもとにした記述であり、させられ体験のある人が長い経過の中で必ずこうなるという意味ではありません。
家族にとっては、ここが難しいところです。
以前は「操られている」と繰り返し訴えていた人が、ある時期から何も言わなくなることがあります。
それは体験が落ち着いてきたからかもしれません。本人にとって違和感の少ない形に変わっている可能性も、専門書の記述からは考えられます。
しかし、訴えが減ったという事実だけでは、どちらとも決められません。
本人が落ち着いている様子を疑ってかかる必要はありませんが、言葉にしなくなったことと、体験そのものがなくなったことは区別して考える必要があります。
この体験だけで病名は決まりません
ここまでの説明には、統合失調症に関する記述が含まれています。
『精神科シンプトマトロジー』の自我障害の章は、統合失調症を中心に据えて論じると、はじめに断ったうえで書かれています。
一方、『精神症候学』には、させられ体験に近い現象を一つの病気に限らないものとして扱う記述もあります。
そのため、ある体験があったからといって、病名を一対一で結びつけることはできません。
外から見える言動だけで背景を判断することもできず、診断は医師が診察を通して行います。
すでに統合失調症という診断を受けている場合には、統合失調症とはどんな病気かも参考になります。
また、本人と家族で病気についての受け止め方が違う場合には、病識とは? ある・なしで判定しなくてよい理由でその問題を扱っています。
家族が聞くべきなのは「誰が操るか」より生活のこと
家族から突然「誰かに考えを入れられている」と言われたら、どう返せばよいか迷うと思います。
「そんなことはない」と否定したくなるかもしれません。反対に、本人を刺激しないよう、話を合わせたほうがよいのではないかと考えることもあるでしょう。
ただし、暴力や怒鳴り・脅し、金銭を握ることや病気を持ち出して従わせることなど、強い支配のある関係では、以下の関わり方を当てはめず、身の安全の確保を優先してください。
そうした事情がない関係であれば、無理に否定することも、話を合わせて肯定することもせず、本人の困りごとを聞くところから始められます。
させられ体験では、誰が操っているのか、どんな方法で考えを入れているのかという話になりがちです。
しかし、その中身を詳しく確かめようとすると、事実をめぐるやり取りが長く続いてしまうことがあります。
そこで、操っているとされる相手の話から少し離れて、本人の暮らしに目を向けます。
- その感じがするとき、眠れなくなることはありますか。
- 食事や外出など、以前のようにできなくなったことはありますか。
- 自分の行動を決めにくくなっていますか。
相手が誰なのかを確認するより、今どんなことに困っているのかを聞くほうが、本人の状態を理解する手がかりになります。
もう一つ避けたいのは、「本当にそう感じているの?」と繰り返し念を押すことです。
本人にとって説明しにくい体験であれば、問い詰められたことで次から話さなくなる場合もあります。
させられ体験は、話したら変に思われるだろうと考えて、長い間口に出せずにいることもあるものです。
打ち明けてもらえたなら、そのこと自体を信頼の表れとして受け止めたいところです。
うまく説明できない体験を、どう相談するか
させられ体験について相談するとき、専門用語を知っている必要はありません。
むしろ、本人がどのような言葉で感じ方を説明するかが手がかりになります。
「考えが外から入ってくるようです」 「言いたかったことを取られた感じがします」 「自分で手を動かした気がしません」
こうした言い方のまま、診察で伝えられます。
受診を考える目安になるのは、次のような場合です。
- 考えが自分のものだと感じられない状態や、考えを入れられる・抜かれる感じが続いています。
- 手足が外から動かされるように感じ、日常の動作がしづらくなっています。
- こうした体験によって、眠れない、食べられない、外に出られないといった困りごとが生じています。
- 何かをさせられているという感じから、自分の行動を決めにくくなっています。
- ご家族が本人の言葉をどう受け止めればよいか分からず、ご家族自身にも不調が出ています。
本人がどの病名に当てはまるか分からなくても、生活に困りごとが起きていることは相談する理由になります。
春日メンタルクリニックでは、18歳以上の方を対象に診療しています。初診はWEB予約のうえ、事前にWEB問診をお願いしています。
こうした体験を文章にしづらければ、WEB問診には「気になる感じがある」といった簡単な記載でも差し支えありません。詳しい内容は診察で伺います。
初診は問診を含めて30分程度が目安で、服用中の市販薬やサプリメントについても確認しています。通院を始めた場合は2週間に一度を基本とし、再診は5分前後が目安です。
ご家族自身が不調を感じている場合は、ご家族ご自身の受診として相談することもできます。また、暴力や強い支配のある関係の中で出てきた症状についても、当院で相談をお受けしています。
させられ体験には、自分でも何が起きているのか説明しにくい部分があります。
だからこそ、診察で最初から整った説明をする必要はありません。
「自分で考えているはずなのに、そう思えない」。
その言葉から話し始めることもできます。
参考にした資料(要約・再構成。原文の転載ではありません):
- 『精神症候学[第2版]』(濱田秀伯、弘文堂、2009年)
- 『精神科シンプトマトロジー ―症状学入門―』(内海健・兼本浩祐 編、医学書院、刊行年未確認)
- 『統合失調症のみかた,治療のすすめかた』(松崎朝樹、中外医学社、2017年)
よくある質問
考えが勝手に浮かぶことも、させられ体験ですか?
考えが勝手に浮かぶというだけでは、させられ体験とは判断できません。専門書で扱うのは、自分が考えたという感じが損なわれ、外から考えを入れられたように感じるといった体験です。考えの内容とともに、その考えを誰が生み出したと感じているかが手がかりになります。
考えを抜き取られる感じと、言おうとしたことを忘れるのは同じですか?
言おうとした言葉が消えたという出来事だけでは、同じ体験かどうかは分かりません。させられ体験として語られる場合は、単に言葉がなくなったということに加え、外から抜き取られたような感じがあります。診察では、何が起きたかと、本人にはそれがどう感じられたかを分けて伝えると整理しやすくなります。
家族が操っている相手の名前を挙げます。詳しく確かめたほうがよいですか?
誰がどのように操っているのかを繰り返し確かめるより、その体験によって生活にどんな困りごとが出ているかを聞くほうがよいでしょう。眠れているか、食事が取れているか、普段どおりに過ごせているかなど、本人の負担に話を向けます。相手の存在を肯定する必要も、説得して否定する必要もありません。
させられ体験があると、統合失調症ということですか?
この体験だけで統合失調症と決まるわけではありません。専門書によっても、統合失調症を中心に論じるものと、一つの病気に限らない現象を含めて記述するものがあります。病名は体験の一部分だけでは決められず、診察を通して判断されます。