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薬が効いて、幻聴も妄想も落ち着いてきた。入院していた頃のことを思えば、ずいぶん楽になった。——それなのに、仕事に戻ると手順が頭に入ってこない。上司の指示を聞いていても、途中から内容が抜ける。料理を作ろうとしても、何から始めればいいか分からなくなる。

ご本人にとっては、「前はこんなことなかったのに」「自分の頑張りが足りないのか」という戸惑いがあります。周囲から見ると、目に見える症状は落ち着いたのだから「もう大丈夫なはず」と映りやすく、仕事や家事がうまくいかないことを性格や態度の問題として受け取ってしまうこともあります。

このような記憶・注意・段取りの苦手さは、統合失調症の「認知機能の症状」と呼ばれる、病気の一部です。幻覚や妄想(陽性症状)とも、意欲や感情の動きにくさ(陰性症状)とも別の次元にある困難で、本人の努力不足や性格の問題ではありません。この記事では、認知機能の症状がどういうもので、仕事や暮らしにどう影響し、どのような対応が考えられるかを解説します。この記事は精神科の主要な教科書を下敷きにしています(書誌は末尾)。

認知機能の症状——幻覚や妄想とは別の次元

統合失調症の症状は、大きく三つの領域に分けて整理されることがあります。幻覚や妄想のような陽性症状、意欲や感情のはたらきが減る陰性症状、そして考えたり覚えたりする力に影響が出る認知機能の症状です。

認知機能の症状は、脳の「情報を処理する力」が病気によって影響を受けている状態です。「考える力が落ちる」とひとまとめにされがちですが、実際にはいくつかの異なるはたらきが関わっています。

  • 記憶——新しく聞いたことを保持しにくい。さっき受けた指示が数分後に抜ける、読んだ内容が頭に残りにくい
  • 注意——ひとつのことに集中し続けるのが難しい。会議の途中で話の筋を見失う、周囲の音に気をとられて作業が進まない
  • 段取り(実行機能)——複数の手順を組み立てて進める力が落ちる。「何を先にやるか」が決められない、途中で作業の全体像を見失う

これらの困難は、急性期の激しい症状が治まったあとにも残ることがあります。程度には個人差が大きく、全員に同じ形で現れるわけではありません。

陽性症状は「本来ないものが現れる」、陰性症状は「本来あるものが減る」という性質が比較的分かりやすいのに対して、認知機能の症状は外から見えにくく、本人も「なんとなくうまくいかない」としか言葉にできないことがあります。目立たないぶん、症状として認識されないまま、仕事や生活の「できなさ」だけが積み重なっていく——ここが、この症状の厄介なところです。

統合失調症の三つの領域を含む全体像については、統合失調症の基礎知識の記事で解説しています。

仕事と暮らしでどんなことが起きるか

認知機能の症状は、日常の場面では次のような形で現れることがあります。

仕事の場面では——

  • 上司から口頭で指示を受けても、席に戻ると内容が抜けている
  • 複数の作業を並行して進められなくなった
  • 書類を順番に処理しようとすると、どこまでやったか分からなくなる
  • 以前は段取りよくこなしていた業務に、前よりずっと時間がかかる

日々の暮らしでは——

  • 買い物に行ったのに、買うべきものの半分を忘れてくる
  • 料理の手順が組み立てられず、同時に複数のことを見ることができない
  • 約束の日時を覚えていられない
  • 話しているうちに、自分が何を言おうとしていたか見失う

こうした場面は一つひとつを取り出すと「うっかり」に見えるかもしれません。しかし、同じようなことが繰り返し起きて、以前の自分なら困らなかったことに困るようになったとき、それは単なるうっかりではなく、病気による認知機能への影響が関わっている可能性があります。

仕事がうまくいかない背景には、症状の重さや意欲の問題だけでなく、「覚える・注意を向ける・段取りを組む」というはたらきの困難が、見えない形で絡んでいることがあります。研究でも、認知の苦手さが就労や生活の適応を左右することが示されています。

こうした困難に対して、伝え方や作業の組み立て方を変えるだけで楽になる部分があります。具体的な配慮の工夫は、このあと「仕事と暮らしでの配慮」で詳しく取り上げます。

陰性症状とは何が違うか

陰性症状は、意欲がわかない、感情の動きが乏しくなる、人との交流から遠ざかるといった「本来あるはたらきが減る」症状です。認知機能の症状と似て見えることがありますが、困難の中身が異なります。

ごく大まかに言えば——

  • 陰性症状は「やろうという気持ちが起きにくい」状態
  • 認知機能の症状は「やろうとしても、うまく処理できない」状態

たとえば、仕事に行けない場合を考えてみます。意欲そのものがわかず、朝から動き出せないのであれば、陰性症状の影響が大きいと考えられます。一方、出勤する気持ちはあるのに、任された仕事の手順が頭の中で組み立てられない、複数の作業を順番に進められないというのは、認知機能の側の問題です。

もちろん、実際にはきれいに二つに分かれるわけではありません。両方が重なることもありますし、抑うつ状態が加わるとさらに見分けが難しくなります。どれがどう影響しているかは、経過を見ながら主治医と一緒に整理していくことになります。

大事なのは、「うまくいかない」の原因がひとつとは限らないということです。陰性症状が「怠け」ではないのと同じように、認知機能の症状も「努力不足」ではありません。この理解が、ご本人にも周囲にも、次の対応を考えるための土台になります。

薬物療法と認知機能

統合失調症の治療の基本は抗精神病薬です。幻覚や妄想を抑え、再発を防ぐ役割は、認知機能に問題がある場合でも変わりません。

ただし、抗精神病薬の認知機能そのものへの改善効果は、教科書でも限定的だとされています。陽性症状が薬で落ち着いたあとも認知の困難が残るという経過は、「薬が効いていない」のではなく、「薬で改善する部分と、そうでない部分がある」ということです。

もう一つ確かめておきたいのは、薬の影響が認知の困難に上乗せされていないか、という点です。抗精神病薬には眠気やぼんやり感を生じやすいものがあり、その鎮静作用が認知機能の苦手さを実感以上に強めていることがあります。「頭が回らない」と感じるとき、それが病気そのものの症状なのか、薬の副作用が重なっているのかを見分けることは、処方を調整するうえで大切な情報になります。

薬の影響が気になるときは、自己判断で減らしたりやめたりせず、診察でそのことを伝えてください。薬による眠気やぼんやり感と病気の認知症状の見分けについては、抗精神病薬の副作用の記事も参考になります。

認知リハビリテーションという選択肢

薬物療法だけでは認知機能への効果が限られるなかで、認知のはたらきに直接取り組む方法として認知リハビリテーションがあります。

認知リハビリテーションは、記憶や注意、段取りといったはたらきに対して、構造化された練習を通じて改善を目指す取り組みです。たとえば、画面に表示された情報を覚えて再現する、会話のなかから要点を取り出す、作業の手順を組み立てる——こうした課題を繰り返しながら、担当者と一緒に「その力を日常のどの場面でどう使うか」を話し合うところまでが、ひとつのプログラムになっています。

複数の研究をまとめた分析では、認知機能と日常の活動に中程度の改善が示されています。課題の反復だけで終わるのではなく、実際の生活場面への応用を支援する構成を持つプログラムのほうが利益は大きいとされています。ただし、改善の程度には個人差があり、すべての参加者に同じ効果があるわけではありません。

「練習すれば必ず元に戻る」というものではなく、「練習と工夫によって、以前よりやりやすくなる部分がある」という位置づけです。認知リハビリテーションを実施している医療機関は限られています。関心がある場合は、主治医に相談したうえで、実施している施設をお探しいただくことになります。

仕事と暮らしでの配慮

認知機能の症状への対応は、本人の頑張りだけに頼るのではなく、周囲の伝え方や環境を調整することで大きく変わります。

伝え方を変える

  • 一度にたくさんの情報を伝えず、指示はひとつずつ短く区切る
  • 口頭だけでなく、紙やホワイトボードに書いて渡す
  • 伝えたあとに「どこまで分かったか」を、責めるのではなく確認として聞く

作業の負荷を調整する

  • 複数の仕事を同時に進めるのではなく、ひとつ終わってから次に取りかかる流れにする
  • 手順が決まっている作業は、手順書やチェックリストを用意する
  • 新しい業務は最初のうちは量を少なめにして、慣れてから増やす

生活の枠組みをつくる

  • 毎日の生活をなるべく同じ流れにする。起きる時間、食事、就寝のリズムを一定に保つ
  • 買い物や用事はメモに書いて持ち歩く。スマートフォンのリマインダーも使える
  • 約束がある日は、前日と当日の朝に確認する習慣をつくる

就労支援という選択肢

働くことを希望しているけれど一般の求職活動が難しい場合には、就労を支える仕組みがあります。本人の希望する仕事を一緒に探し、就職したあとも職場への定着を支え続ける形の支援は、就職率を高めることが研究で示されています。一方で、長期にわたる定着や経済的な自立にまで同じ大きさの効果があるかどうかは、まだはっきりしていない部分もあります。こうした支援の利用を考える場合も、まずは主治医に相談することが出発点になります。

当院での実際

  • 認知機能検査(心理検査)は当院では行っていません。検査を希望される場合は、実施している医療機関をご自身でお探しいただくことになりますが、紹介状(診療情報提供書)は必要に応じて作成します。
  • 通院の頻度は、2週間に一度を基本としています。症状の経過を定期的に確認しながら、薬の調整や生活面の相談を続けます。
  • ご予約はデジスマのWEB予約からお取りいただけます。初診の方には受診前にWEB問診にお答えいただいており、初診の所要時間は問診を含めて30分程度が目安です。
  • ご家族のみの相談はお受けしていませんが、ご本人の同意のうえでの診察へのご同席は可能です。日常の様子や困りごとを主治医に伝えていただくことは、治療にとって大切な情報になります。
  • 精神保健福祉手帳や障害年金の診断書については、一定期間通院していただき、経過を拝見したうえで作成を判断しています。

急に状態が大きく変わったとき——強い混乱や興奮が続く、自分や周囲を傷つけそうな切迫した状態があるときは、様子を見ずに救急(119)へ連絡するか、かかりつけの医療機関に相談してください。

おわりに

幻覚や妄想が落ち着いたあとに残る「覚えにくさ」「注意の続かなさ」「段取りの立てにくさ」は、見えにくいからこそ、本人にとっても周囲にとっても言葉にしにくい困りごとです。しかし、それは努力不足ではなく、病気の症状のひとつであり、周囲の伝え方や環境の調整によって暮らしやすさは変わります。

検査を受けていなくても、「仕事で前より手順を覚えにくい」「家事の段取りが崩れることが増えた」と感じているなら、そのことをそのまま診察でお伝えください。

統合失調症の治療と生活支援の全体像については、統合失調症の疾患ページもあわせてご覧ください。統合失調症の基礎知識 / 陰性症状について / ブレインフォグとうつ病 / もの忘れと認知症の違い

参考文献

  • Jeffrey A. Lieberman, T. Scott Stroup, Diana O. Perkins, Lisa B. Dixon(編)The American Psychiatric Association Publishing Textbook of Schizophrenia, Second Edition, American Psychiatric Association Publishing, 2020.
  • Robert Joseph Boland, Marcia L. Verduin(編)Kaplan & Sadock's Synopsis of Psychiatry, Twelfth Edition, Wolters Kluwer, 2022.
  • John R. Geddes, Nancy C. Andreasen, Guy M. Goodwin(編)New Oxford Textbook of Psychiatry, Third Edition, Oxford University Press, 2020.
  • István Bitter(編)Managing Negative Symptoms of Schizophrenia, Oxford University Press, 2020.

よくある質問

認知機能の問題は、薬を飲めば良くなりますか?

抗精神病薬は幻覚や妄想を抑え、再発を防ぐうえで欠かせない治療ですが、認知機能そのものへの改善効果は限られることが教科書でも指摘されています。一方で、薬による鎮静(眠気やぼんやり感)が認知の困難に上乗せされている場合には、処方の調整によって楽になることがあります。「頭が回らない」と感じるとき、それが病気の症状なのか、薬の影響なのか、あるいは両方なのかを主治医と一緒に整理することが、次の一手を考える出発点になります。

認知機能障害は認知症とは違うのですか?

異なるものです。統合失調症の認知機能障害は、新しい情報を覚えにくい、注意を続けにくい、段取りを組みにくいといった困難が中心で、すでに定着している記憶が進行的に失われていく認知症とは成り立ちが違います。ただし、言葉だけでは分かりにくく、高齢になると区別が難しくなることもあります。もの忘れや認知症が気になる場合は、認知機能検査を実施している医療機関をご自身でお探しいただくことになりますが、当院から紹介状(診療情報提供書)は必要に応じて作成します。

検査を受けていなくても、この記事の内容は自分に当てはまりますか?

当てはまることがあります。認知機能の症状は、検査で初めて分かるものとは限りません。仕事で以前より手順を覚えにくい、会話の途中で話を見失う、家事の段取りがうまく組めなくなった——そうした日常の変化として現れます。正式な検査は支援の計画を立てるうえで役立つことがありますが、検査を受けていなくても、困っていることをそのまま診察で伝えていただいて構いません。

家族として、認知の苦手さにはどう配慮すればよいですか?

まず、段取りの苦手さや覚えにくさが病気の症状であることを理解しておくことが出発点です。具体的には、伝えることを一度にひとつに絞る、口頭だけでなくメモや表にして渡す、毎日の生活をなるべく同じ流れにする、といった工夫が助けになります。「さっき言ったのに」と責めると本人の負担が増えるだけなので、繰り返し伝えることを前提にして接するほうが、結果として生活が回りやすくなります。

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執筆・監修

精神保健指定医 野口晋宏

春日メンタルクリニック院長。精神科・心療内科の診療経験をもとに、受診前の不安や制度の疑問を整理しやすい情報提供を心がけています。

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