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はじめに

パニック発作を経験すると、「また発作が起きたらどうしよう」という不安(予期不安)から、電車やバス、人混み、美容院など、逃げにくい・助けを求めにくい場所を避けるようになることがあります。これは「広場恐怖」と呼ばれる状態で、避ける場所が増えるほど、行動の範囲や生活の幅が少しずつ狭くなってしまいます。

こうした状態に対する代表的な治療のひとつが、認知行動療法の中で行われる「段階的曝露(ばくろ)療法」です。曝露というと「怖い場所にいきなり飛び込む」ような印象を持たれるかもしれませんが、実際はまったく違います。自分の不安を点数で「見える化」した表——いわば「怖い場所リスト」——を作り、取り組めそうな段から一歩ずつ練習していく、計画的でていねいな方法です。

この記事では、厚生労働省研究班が公表しているパニック症の認知行動療法マニュアルなどをもとに、不安階層表の作り方と練習の進め方をご紹介します。なお、実際の治療の組み立てや診断は医師が行います。ここでの内容は、治療のイメージをつかむための「予習」とお考えください。

なぜ「少しずつ慣れる」ことが治療になるのか

避けるほど、不安は続いてしまう

パニック症では、発作のときの動悸や息苦しさといった身体感覚を「心臓発作かもしれない」「倒れてしまうかもしれない」と破局的に解釈してしまうことで、不安がさらに強まる悪循環が生じていると考えられています。そして、怖い場所を避けたり、お守りのような「安全行動」に頼ったりし続けると、「実際には発作が起きても最悪の事態にはならない」という経験を積む機会が失われ、苦手な場所への不安はかえって高まってしまいます。

不安は「時間」と「練習」で下がる

段階的曝露療法の土台には、シンプルな原理があります。それは、不安は時間とともに下がる、そして練習により下がるというものです。怖い状況にとどまってみると、最初は強かった不安も、時間の経過とともに少しずつ下がっていきます。これを繰り返し練習することで、その状況への不安そのものが弱まっていきます。マニュアルではこれを「スポーツのトレーニングに似ている」と表現しています。一度で克服するのではなく、反復練習で少しずつ身につけていくイメージです。

「怖い場所リスト」(不安階層表)の作り方

段階的曝露の出発点になるのが、不安階層表です。作り方の流れを見てみましょう。

まず、目標を立てる

いきなりリストを作る前に、「症状」を「やる気の出る目標」に変換します。たとえば「電車に乗ることができない」という症状なら、「新幹線で実家へ帰る」「旅行へ行く」といった数年後の長期目標を立て、そこから「快速電車に乗る」「一人で各駅停車に乗る」「家族と乗る」「駅まで行く」といった、この1〜2か月で達成したい短期目標へと段階を下ろしていきます。「テレビで電車の旅番組を見る」ことも、立派な最初の一段になりえます。

不安を100点満点で点数化する

次に、怖い場所や状況を書き出し、それぞれの不安の強さを100点満点で点数化します。点数が大きいほど不安が強いことを表します。マニュアルに挙げられている例では、次のような表になっています。

  • 船・飛行機:100点
  • 新幹線:90点
  • 美容院:90点
  • 歯科受診:50点
  • 電車:50点
  • 渋滞:40点
  • 観覧車:30点
  • 坂道:5点
  • 外食:0〜10点

ポイントは、実際に行っていなくても、想像で点数をつけてよいことです。長く避けていて体験できない場所も、「想像するとこれくらい怖い」という見積もりでリストに載せられます。また、点数に正解はありません。同じ「電車」でも人によって90点にも30点にもなります。あなた自身の感覚がそのまま正解です。

50点くらいの状況から、具体的な練習課題をつくる

リストができたら、そこから50点くらいの状況を選んで、具体的な練習課題に落とし込みます。たとえば「電車・不安度50点」なら、「一人で最寄り駅まで歩き、普通電車で隣の主要駅まで乗って、用事を済ませて同じ経路で戻る」といった、いつ・どこで・何をするかがはっきりした課題にします。

ここで大事なのは、難しければ一段、二段と下げられることです。マニュアルの例では、「家族に駅まで付き添ってもらい、電車には一人で乗る(40点)」「家族に同行してもらうが、別々の車両に乗る(30点)」というように、同じ課題を段階的にやさしくする工夫が示されています。階段の一段の高さを自分に合わせて調節できるのが、段階的曝露の大きな特長です。

課題への取り組み方と、結果の受け止め方

不安が下がるまで、その場にとどまる

課題に取り組むときは、不安が十分に下がったと感じるまで、一つの恐怖場面にとどまることが基本とされています。マニュアルでは、課題に1時間半程度かけること、最低でも15分間はとどまる「15分ルール」が示されています。怖くなってすぐに離れてしまうと、「逃げたから助かった」という学習が残ってしまい、不安が下がる体験を得にくいためです。そして、曝露の前と後で不安の点数がどれだけ減ったかを確認します。

実際の練習の例として、乗り物を避けていた方がバスと電車で往復約1時間の曝露を行ったところ、練習前は90点だった不安が、バスに乗ると30点、電車で40点、復路の電車で10点、最後のバスでは0点と、練習の中で下がっていった経過がマニュアルに紹介されています。

結果はプラスに評価する

課題のあとの振り返りも、治療の大切な一部です。マニュアルでは次のような評価のしかたが勧められています。

  • 課題を達成できたら、自分をほめる
  • 2回連続で達成でき、曝露後の不安が30点以下になったら、次のより難しい課題へ進む
  • うまくいかなくても、チャレンジした自分をほめる
  • 課題を少し簡単にしても、やらないよりは進歩(例:電車を「見に」駅まで行って帰ってくる、でもよい)

「できたか・できなかったか」の二択ではなく、挑戦そのものを積み重ねと数える——この姿勢が、練習を続けるうえでの支えになります。

治療としての曝露は「自己流」とは違います

段階的曝露は、認知行動療法という枠組みの中で、心理教育やリラクセーション法(呼吸法)、考え方の見直しなどと組み合わせて行われるのが本来の形です。2025年に日本不安症学会がまとめた診療ガイドラインでも、パニック症に特化した認知行動療法を、習熟した治療者が一連の手順に基づいて行うことが推奨されています。日本では、医師(または医師と看護師が共同して)が行うパニック症の認知行動療法は保険適用となっています。

自己流で「とにかく怖い場所に行けばいい」と無理をすると、強すぎる不安体験がかえって苦手意識を深めてしまうこともあります。どの段から始めるか、どんなペースで進めるかは、状態を見ながら医師や治療者と一緒に決めていくものです。この記事の内容は、あくまで治療の全体像を知るための地図としてお使いください。

受診の目安

次のような状態があるときは、早めの相談をおすすめします。

  • 突然の動悸・息苦しさ・めまいなどの発作が繰り返し起こり、「また起きるのでは」という不安が続いている
  • 電車・バス・人混みなど、避ける場所が増えて、通勤・通学や外出に支障が出ている
  • 発作への不安から、一人での外出が難しくなっている
  • 自分なりに慣らそうとしてみたが、怖さが強くて行き詰まっている

パニック症は、薬物療法や認知行動療法など、有効性が確かめられた治療の選択肢がある病気です。診断や治療方針の判断は医師が行いますので、つらさを一人で抱え込まず、まずはご相談ください。

まとめ

パニック症・広場恐怖に対する段階的曝露療法は、「不安は時間と練習で下がる」という原理に基づき、怖い場所を避け続ける悪循環から抜け出すための治療法です。その第一歩が、不安を100点満点で見える化した「怖い場所リスト」(不安階層表)づくり。目標を立て、50点くらいの状況から具体的な練習課題をつくり、不安が下がるまでとどまる練習を重ね、結果をプラスに評価する——この積み重ねで、行動の範囲を少しずつ取り戻していきます。

大切なのは、一段の高さを自分に合わせて調節できること、そして専門家と相談しながら進めることです。「いつか電車に乗って旅行に行きたい」——そんな目標を、一緒に階段に変えていきましょう。


参考にした資料(要約・再構成であり、原文の転載ではありません):

  • パニック障害(パニック症)の認知行動療法マニュアル(治療者用)(厚生労働省科学研究費補助金研究班)
  • パニック症の診療ガイドライン(日本不安症学会、2025)

執筆・監修:精神保健指定医 野口晋宏

よくある質問

段階的曝露は、自分ひとりで進めてもよいのでしょうか?

曝露療法は本来、治療者と一緒に計画を立てながら段階的に進めていく治療法です。準備が整わないまま無理に怖い状況へ飛び込むと、かえってつらい体験になることもあります。どの課題からどんなペースで進めるかは、医師や治療者と相談しながら決めていくことをおすすめします。

不安階層表(怖い場所リスト)には、実際に行ったことのない場所も書いてよいですか?

はい。実際に体験していなくても、「想像するとこれくらい不安になりそう」という見積もりで点数をつけて構いません。飛行機や新幹線のように、避けていて長く乗っていない乗り物も、想像上の不安の強さでリストに載せることができます。

課題に挑戦して不安が下がらなかったら、失敗ですか?

失敗ではありません。挑戦したこと自体が進歩と考えます。課題を少し簡単なものに変えて再挑戦するのも立派な前進です。厚労省のマニュアルでも、うまくいかなくてもチャレンジした自分をほめること、課題を簡単にしてもやらないよりは進歩であることが強調されています。

薬を飲みながら曝露の練習をしてもよいのでしょうか?

薬物療法と精神療法は組み合わせて行われることが多く、薬で不安がやわらぐことで、避けていた状況への練習に取り組みやすくなる場合もあります。ただし薬の調整や治療の組み立ては個々の状態によって異なりますので、必ず主治医と相談しながら進めてください。

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執筆・監修

精神保健指定医 野口晋宏

春日メンタルクリニック院長。精神科・心療内科の診療経験をもとに、受診前の不安や制度の疑問を整理しやすい情報提供を心がけています。

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