「つらい体験をしてから、以前の自分に戻れません。これがPTSDなのでしょうか」。そんな疑問が浮かんだら、まず知っておいてほしいのは、トラウマ体験とPTSDの診断は同じではないということです。さらに、複雑性PTSDは単にPTSDが重くなった状態でもありません。違いを知ると苦しさに名前がつくだけでなく、どこから回復に取り組むかを考える手がかりにもなります。
1. つらい経験があれば、PTSDなのでしょうか
ひどく傷つく出来事のあと、何度もそのことを思い返したり、人に話すのをためらったりすることがあります。ただ、それだけでPTSDと決まるわけではありません。つらい体験をしたことと、その後にどんな症状が残っているかは、分けて考える必要があるのです。
普段なら、嫌なことがあっても友人に話したり、好きなことに没頭したり、一晩眠ったりして気持ちを立て直せます。ところが衝撃があまりに大きいと、その「いつもの対処」が使えなくなることがあります。思い出すのが怖くて話せず、気分を変えようとしても頭から離れず、眠ろうとしても目がさえてしまいます。勇気を出して打ち明けたのに、相手の反応でさらに傷つくことさえあります。
それまで当たり前だった生活が、急に知らない場所のように感じられるかもしれません。「また同じことが起きるのでは」と考えると、先の予定を立てることも難しくなります。ここでいうトラウマは出来事そのものに限らず、それによって安心して暮らす感覚が揺らぎ、元の生活へ戻る道筋を見失ったような状態まで含む広い言葉です。
もっとも、恐ろしい出来事のあとに怖さや警戒心が残るのは、危険から身を守ろうとする自然な反応でもあります。体験した人の全員が病気になるわけではなく、時間とともに反応が和らいでいく人もいます。だからといって、なかなか落ち着かない人が弱いという話でもありません。体験の大きさとその後の症状の現れ方は、一つの物差しでは測れないからです。
日本の11地域で成人を対象に行われた調査では、生涯に何らかのトラウマ体験があったと答えた人は約60%、PTSDの生涯有病率は1.3%でした。この二つは別のことを調べた数字なので、60%と1.3%から体験した人がPTSDになる確率を計算することはできません。それでも、つらい出来事を経験することとPTSDと診断されることが別だということは見えてきます。
また、トラウマ体験のあとに生じる問題が、必ずPTSDの形をとるとも限りません。うつ病や不安に関する病気など、別の診断になることもあります。PTSDに似た症状がありながら、診断基準のすべては満たさない場合もあります。その人が抱える苦痛や生活への影響は、診断名の有無だけでは決まりません。「PTSDではない」と「苦しんでいない」は、同じ意味ではないのです。
2. PTSDでは、過去の危険が今も続いているように感じられます
交通事故のあと、けがは治り、事故現場からも離れているのに、車に乗ろうとしただけで激しい怖さが戻ってくる人がいます。頭では「今は大丈夫」と分かっていても、体は危険が迫っているかのように反応することがあるのです。PTSDを理解する手がかりは、終わったはずの出来事が今の生活に入り込んでくるという感覚にあります。
一つ目は「再体験」です。思い出したくないのに事故の光景が繰り返し浮かんだり、夢に出てきたりします。フラッシュバックでは、昔を思い出すというより、その場面が今まさに起きているように感じられることがあります。心臓が速く打つ、汗が出るといった体の反応を伴う場合もあります。何気ない音や言葉、目にした物が、思い出すきっかけになることもあります。
二つ目は「回避」です。事故のあった道を通らなくなり、車に乗ること自体を避けるようになるかもしれません。行動範囲が狭くなっても、怖さを感じずに済む道を選びたくなるのです。避ける対象は場所や乗り物に限りません。事故について考えないようにする、思い出したときの感情を遠ざけようとするなど、心の中でも回避は起こります。
三つ目は「過剰な脅威の感覚」です。小さな物音にも飛び上がるほど驚く、いつも周囲を警戒している、なかなか眠れない、仕事に集中しにくいといった状態が現れます。目の前に危険がなくても、張りつめた気持ちがゆるみません。休みたいのに休まらないので、仕事や食事、睡眠といった毎日の営みにも影響が及ぶことがあります。
再体験・回避・今も危険があるような感覚の三つは、国際疾病分類ICD-11がPTSDの中心に置く症状です。一方、米国の診断体系であるDSM系では、これらに関連する症状に加えて、考え方や気分の変化も独立した症状群として扱います。たとえば「すべて自分のせいだ」という強い自責感、世界への否定的な見方、罪悪感、以前は楽しかったことを楽しめない状態などです。二つの診断体系では、症状の整理の仕方が少し違うのです。
また、怖い記憶があるという一点だけで、PTSDの診断が決まるわけではありません。DSM系の基準では、症状が1か月を超えて続き、仕事や人間関係などに支障が出ていること、薬物や別の病気による症状ではないことなども確かめます。事故直後の強い恐怖と、時間がたっても生活を妨げ続ける症状とを見分けるためです。
ここまでは、過去の危険を「今」のことのように感じる苦しさを見てきました。では、PTSDに「複雑性」がつくと何が変わるのでしょうか。違いは怖い記憶の強さだけでなく、自分自身や他人との関係にまで困難が広がっているかどうかにあります。
3. 複雑性PTSDでは、自分や人との関係にも困難が生じます
PTSDでは、過去の危険が今の生活に入り込んできます。複雑性PTSDではそれに加えて、自分の感情を扱うこと、自分自身をどう見るか、他人とどう関わるかにも困難が生じます。
ICD-11では、複雑性PTSDを「PTSDの症状+自己組織化の困難(DSO)」という組み合わせで捉えます。
「自己組織化」と聞くと難しそうですが、自分の感情や自分への評価、人との関係を保つ働きに関わるものです。困難は、次の三つの領域に現れます。
一つ目は、感情を調整する難しさです。
ちょっとした言葉をきっかけに怒りや悲しみが急に強まり、自分でも収められなくなることがあります。反対に、何が起きても感情が動かず、自分の気持ちが分からなくなる場合もあります。感情が強すぎることだけでなく、感情を感じにくくなることも含まれるのです。
二つ目は、自分自身に対する否定的な見方です。
つらい出来事を思い出して「自分が悪かった」と考えることと、いつも「自分には価値がない」と感じていることは違います。複雑性PTSDで問題になるのは、特定の出来事への後悔を超えて、自分という人間そのものを否定的に捉えてしまう傾向です。
三つ目は、人間関係の難しさです。
誰かと親しくなりたい気持ちがあっても、近づくのが難しかったり、人との接触を避けたりすることがあります。つらい記憶を思い出す場面だけでなく、日々の人付き合いそのものが負担になっているのです。
では、何があると複雑性PTSDになるのでしょうか。
長く続いた虐待や、逃げることが難しい状況で繰り返された体験は、複雑性PTSDの典型的な背景です。しかし、体験が何回あったか、何年続いたか、何歳のときだったかだけで診断が決まるわけではありません。
ICD-11で重要なのは、PTSDの中心症状に加えて、感情調整・自己像・対人関係という三つの領域に困難があるかどうかです。
そのため、PTSDの症状がとても強くても、それだけで複雑性PTSDとは限りません。逆に、強い自己否定や対人関係の難しさがあっても、PTSDの中心症状がなければ複雑性PTSDという診断にはなりません。
複雑性PTSDを分けるのは症状の重さではなく、過去の体験が今に入り込む苦しさに加えて、自分や他人との関係にまで困難が及んでいるかどうかなのです。
4. 複雑性PTSDが「治らない」と感じられるのはなぜでしょうか
PTSDの再体験や回避なら、本人も「過去の出来事が今の自分に影響している」と気づきやすいかもしれません。ところが複雑性PTSDでは、感情の扱いにくさや自己否定、人間関係の難しさが生活のあちこちに現れます。そうした状態が長く続くと、症状と自分の性格を区別しにくくなることがあります。
「もともと人を信じられない性格だから」「自分には価値がないから、何をしても変わらない」と感じてしまうかもしれません。ここに、複雑性PTSDの回復が難しく感じられる理由の一つがあります。つらい記憶だけでなく、長く抱いてきた自分への見方や人との関わり方にも向き合う必要があるからです。
治療を始めること自体にも難しさがあります。人を信頼しにくければ、治療者との関係を築くにも時間がかかります。英国NICEのガイドラインは、複雑性PTSDなど追加の支援を必要とする人について、信頼関係を育てる時間を確保するよう勧めています。
住まいの安全や生活の安定も重要です。解離や感情調整の難しさ、物質使用の問題、対人関係の困難などが、トラウマに焦点を当てた治療への取り組みを妨げることがあります。治療が終わったあとも、残った症状やほかの病気に対する支援が必要になる場合があります。治療の進み方を考えるときは、症状だけでなく、その人が今どんな環境で暮らしているかにも目を向ける必要があるのです。
では、長く続く複雑性PTSDは回復しないのでしょうか。
青年期の複雑性PTSDを調べた研究では、自己記入式の評価で複雑性PTSDに該当した66人を2年間追跡しています。その結果、54%は複雑性PTSDの基準を満たさなくなり、36%は複雑性PTSDが続いていました。残る10%はPTSDの基準を満たしていました。
これは平均14.5歳の青年を対象とした研究で、成人の治癒率や治療効果を示す数字ではありません。それでも、経過が一様ではないことは分かります。また、体験した出来事の数や生活上のストレス、孤独、周囲からの支えなどが、症状が続くかどうかと関連していました。
長く続いていることと、これからも変わらないことは同じではありません。 回復を考えるなら、症状への治療とあわせて、安心して暮らせる環境や人とのつながりにも目を向けたいところです。
5. 回復は、まっすぐ登る階段ではありません
トラウマから回復するとは、具体的にどういうことでしょうか。精神科医のJudith Hermanは、回復を大きく三つの段階で捉えました。安全を取り戻すこと、体験の記憶や喪失と向き合うこと、そして日常生活や人とのつながりを築き直すことです。
最初に大切になるのは、安全です。
危険が続く環境では、安心して自分の状態に向き合うことも難しくなります。生活を安定させ、自分の反応を少しずつ扱えるようになることが、回復を支える土台になります。
次に、体験の記憶や失ったものと向き合う段階があります。
トラウマのあとに残るのは、恐ろしい記憶だけとは限りません。その経験のために失われた時間や関係、得られなかったものへの悲しみもあります。記憶と向き合うことには、そうした喪失を自分の人生の一部として捉え直していく意味もあります。
そして、日常生活や人との関係を築き直していきます。
もう一度誰かを信頼すること、自分で物事を選ぶこと、やりたいことに取り組むことも回復の一部です。症状を減らすことだけが回復のすべてではないのです。
ただ、ここで大事なことがあります。この三つの段階は、順番に終わらせていく工程表ではありません。
安全だと感じられるようになったあとで、また強い不安が出てくることもあります。過去の体験と向き合ったつもりでも、別の場面で同じ問題が気になるかもしれません。Hermanによれば、回復は一直線には進まず、以前取り組んだ問題にもう一度向き合いながら少しずつ変わっていく過程です。
昨日より今日のほうが苦しいからといって、それまでの取り組みが無駄になったとは限りません。毎日少しずつ良くなっているかどうかだけで、回復を判断する必要はないのです。
もう一つHermanが重視したのは、回復の主導権を本人が持つことです。トラウマによって、自分では状況を変えられない感覚や、人とのつながりを失う体験をすることがあります。だからこそ回復では、他人にすべてを決めてもらうのではなく、自分で選べる感覚を取り戻していくことが大切になります。
誰かの助けを借りながら、自分の生活を少しずつ自分のものにしていく変化も、回復の大切な一部です。
では、回復に段階があるなら、治療も必ず準備から始めて、決まった順番で進める必要があるのでしょうか。この点については、治療研究でも意見が分かれています。
6. 治療は、必ず「準備してから」なのでしょうか
複雑性PTSDでは、「段階的治療」という進め方が考えられてきました。まず生活の安全と安定を整え、感情や対人関係の練習をしてからトラウマの記憶に取り組み、そのうえで日常への適応を支えるという順番です。
たとえばSTAIR/NSTという心理療法では、まず気持ちに名前をつけ、考えや体の反応、行動を観察します。人間関係で繰り返しやすい受け止め方を見直す練習もします。そのあとで記憶を扱い、過去の経験が今の自分や人との関係にどう影響しているかを整理します。
気持ちを整える力をつけてから、負担の大きい記憶に向き合おうという発想です。ただ、この順番が誰にとっても最善なのかについては、研究の結果が分かれています。
2010年に小児期虐待に関連するPTSDの女性104人を対象に行われた試験では、スキル訓練と記憶への働きかけを組み合わせた方法が、PTSDの寛解や感情調整などで有利でした。ただし、今のICD-11で複雑性PTSDと診断された人だけを対象にした研究ではありません。
一方、2023年に成人92人を比べた試験では、小児期虐待に関連してDSM-5のPTSDとICD-11の複雑性PTSDを満たす人を、居住型の治療環境で調べました。段階的治療が持続エクスポージャーなどより優れるという予測は支持されず、治療直後の複雑性PTSD症状の改善にも、群のあいだで明確な差はありませんでした。
また、重症PTSDの62人を調べた研究では、感情調整の難しさは、トラウマ焦点化治療への反応や再燃を予測していませんでした。「感情が不安定なら、記憶を扱う治療には進めない」とは決めつけられないのです。
51件の比較試験をまとめた研究では、認知行動療法や曝露を中心とした治療、EMDRなどでPTSD症状が改善し、自己像や対人関係の困難にも改善が報告されています。ただし、一般的な支援と比べた差は小さく、感情調整についてのデータは限られています。対象者全員がICD-11の複雑性PTSDと確定診断されていたわけでもありません。
段階的な準備が合う人もいれば、早い段階からトラウマの記憶に取り組むことが選択肢になる人もいます。診断名だけで治療の順番を固定せず、暮らしの安定、抱えている症状、本人の希望から道筋を考えることが大切です。
7. 診断名は、これからの道を考えるためにあります
トラウマは、つらい経験とその後に残った影響を考えるための広い言葉です。PTSDは、過去の危険をもう一度体験するような感覚や回避、強い警戒などが続く状態です。複雑性PTSDでは、そこに感情を整える難しさ、自分への否定的な見方、人との関係の築きにくさが加わります。
この違いは、苦しさの順位でも、治るかどうかの宣告でもありません。記憶への働きかけに加えて、安心できる暮らしや人との距離感、自分への見方にどんな助けが必要かを考えるためのものです。
春日メンタルクリニックは、体験の詳しい内容を話さなくても受診できます。話したくないことを無理に話す必要はなく、今困っている症状からお話しいただいて構いません。
回復しても過去がなかったことになるわけではありませんが、過去に振り回される時間を減らし、自分の選択や今の生活を少しずつ取り戻していくことも、その道筋に含まれます。
よくある質問
Q. トラウマ体験があっても、PTSDと診断されないことはありますか?
あります。体験だけで決まるのではなく、症状の組み合わせ、続いた期間、暮らしへの影響などから判断します。別の診断になったり、PTSDの基準に完全には当てはまらなかったりしても、苦しさが軽いという意味ではありません。
Q. 長期間の虐待を経験した人は、必ず複雑性PTSDになりますか?
必ずしもそうではありません。長く繰り返された体験は典型的な背景ですが、回数や期間だけでは決まりません。PTSDの中心症状に、感情調整・自己像・対人関係の困難が加わっているかを確かめます。
Q. 複雑性PTSDは、一生治らない病気なのでしょうか?
改善を報告した研究もあり、一生変わらないと決まっているわけではありません。回復には治療だけでなく、生活の安全や周囲の支えも関わります。段階的な方法と早い時期から記憶に取り組む方法のどちらがよいかも、一律には決まりません。
参考にした資料(要約・再構成。原文の転載ではありません)
- 水島広子『対人関係療法でなおす トラウマ・PTSD』創元社。
- NIMH, Post-Traumatic Stress Disorder.
- Kawakami Nら, Trauma and posttraumatic stress disorder in Japan, Elsevier, 2014.
- 岡崎純弥・金吉晴「複雑性PTSDの治療」『児童・青年期の精神疾患治療ハンドブック』星和書店、2020。
- Judith Lewis Herman, Trauma and Recovery, Basic Books, 1992/1997(2015年追記)。
- NICE, Post-traumatic stress disorder (NG116), 2018.
- Cloitre Mら, Treatment for PTSD related to childhood abuse, American Journal of Psychiatry, 2010.
- Sele Pら, Comparing phase-based treatment, prolonged exposure, and skills-training for Complex Posttraumatic Stress Disorder, Elsevier, 2023.
- van Toorenburg MMら, Do emotion regulation difficulties affect outcome of intensive trauma-focused treatment of patients with severe PTSD?, European Journal of Psychotraumatology, 2020.
- Karatzias Tら, Psychological interventions for ICD-11 complex PTSD symptoms, Cambridge University Press, 2019.
- Kazlauskas Eら, Complex posttraumatic stress disorder in adolescence: A two-year follow-up study, SAGE, 2023/2024。