会議で相手の声は聞こえているのに、肝心な言葉だけが抜け落ちてしまいます。静かな場所なら話せるのに、店内や電話では何度も聞き返してしまうこともあります。「耳が悪いのでしょうか。それとも集中力の問題でしょうか」と迷ったら、最初に「音が届くこと」と「言葉を理解できること」を分けて考えてみてください。
声は聞こえたのに、何と言われたか分かりません
職場で「先ほどの件、〇〇さんに伝えておいてください」と頼まれたとします。声の大きさは十分で、話しかけられたことも分かっています。それなのに肝心の名前だけが聞き取れず、もう一度尋ねることになります。相手が言い直してくれても、周りで別の会話が始まると、また言葉が混ざってしまいます。
一対一の会話では困らなくても、複数の人が話す会議ではついていけない方もいます。電話だとさらに難しくなったり、早口の説明を聞くうちに内容を追えなくなったりする場合もあります。
こうした経験が続くと、「ぼんやりしていると思われたくない」と聞き返すのをためらうかもしれません。けれども声が届いている感覚はあるので、何が起きているのかを説明しにくいのです。
ここで大切なのは、音の存在に気づく力と、音声の中から言葉を取り出す力を同じものとして扱わないことです。聞き取りには、耳が音を受け取る過程だけでなく、周りの音と話し声を区別し、言葉を追い、必要な情報を覚えておく働きも関わります。どこに負担がかかっているのかによって、確かめることも工夫の仕方も変わってきます。
「音が聞こえる」なら、難聴ではないのでしょうか
実は、難聴があっても「音が全然聞こえない」と感じるとは限りません。とくに加齢に伴う聴力の変化では、音量そのものより先に、会話の言葉がつかみにくくなったと感じることがあります。
耳に入った音は、鼓膜と耳の奥にある小さな骨を通って、蝸牛という器官に伝わります。蝸牛の中で音の振動は神経の信号に変わり、聴神経へ送られます。この経路のどこに問題があるかで、難聴の性質も変わります。外耳や中耳で音が伝わりにくくなるものは伝音性難聴、蝸牛や聴神経などに関わるものは感音難聴と呼ばれます。
たとえば、加齢によって高い音をとらえる力が落ちると、話し声は届いていても、一部の子音が分かりにくくなることがあります。言葉の輪郭があいまいになれば、聞き手は前後の話から内容を補おうとします。そのため「聞こえない」というより、「何と言ったのかを考えるのに疲れる」と感じる場合もあります。
にぎやかな場所では、話し声と雑音を選り分ける必要もあります。音の細かな違いや時間的な変化をとらえる力が落ちると、静かな場所より会話が難しくなることがあります。聞き取るために多くの力を使えば、聞いた内容を覚えておく余裕も減ってしまいます。会話を覚えられなかったからといって、最初から記憶力だけの問題とは限りません。
なぜ、最初に耳鼻咽喉科へ行くのでしょうか
「APDという言葉を見つけたので、聴覚情報処理の検査を受けたい」と考えるかもしれません。それでも、聞き取りに困ったときの最初の一歩は、耳鼻咽喉科で耳の状態と聴力を確かめることです。
一般的な聴力検査では、高さの異なる音がどのくらい小さくても聞こえるかを調べます。耳の働きを確かめる検査も組み合わせれば、難聴や耳の病気が関係していないかを検討できます。そのうえで必要に応じて、静かな場所で言葉を聞き取る検査や、雑音の中で話し声を聞く検査へ進みます。
この順序には理由があります。音が耳から十分に届いていないなら、その先の聞き取りの苦手さを考える前に、耳の問題を把握する必要があるからです。反対に、通常の聴力検査で問題が見つからなくても、「会議で話が分からない」「電話で何度も聞き返す」という困りごとが消えるわけではありません。
検査を受けるときは「聞こえにくいです」だけでなく、どんな場面で何に困るかを伝えると、話の入口が具体的になります。「静かな部屋では大丈夫ですが、複数人の会話だと声が重なります」「音量は足りていますが、言葉がはっきりしません」という言い方で十分です。
耳を調べるのは、聞き取りの問題をすべて難聴と決めつけるためではなく、耳で説明できる部分を確かめたうえで、残る困難を丁寧に見ていくためです。次に考えるのが、聴覚情報処理障害(APD)や聞き取り困難(LiD)、そして注意や記憶などの働きとの関係です。
聴力検査が正常なら、APDなのでしょうか
耳鼻咽喉科で検査を受け、「聴力に問題はありません」と言われたとします。それでも職場では聞き返しが続きます。検査は正常なのに、毎日の会話では困っているのです。この食い違いを考えるときに出てくるのが、聴覚情報処理障害(APD)という言葉です。
APDは、音を受け取る力だけでは説明しきれない、音声や音の情報を処理する難しさに関わる概念です。近年は、聞き取り困難を表すLiD(Listening Difficulties)という言葉も使われています。
たとえば、次のような困りごとがあります。
- 静かな部屋では話せるのに、周りが騒がしいと相手の言葉が分からなくなります。
- 「Aを確認して、Bに連絡して、最後にCを提出してください」と続けて指示されると、途中から内容を追えなくなります。
- 複数の人が話していると、誰の声を聞けばよいのか分からなくなります。
- 初めて聞く専門用語や外国語は、音として聞いても区別しにくいことがあります。
ただし、聴力検査が正常で、雑音の中で聞き取れないからといって、すぐにAPDと決まるわけではありません。
APDには、世界共通で確立された診断基準や検査の組み合わせがまだありません。日本の研究でも、聞き取りに困っている成人に複数の検査を実施したところ、どの検査で苦手さが表れるかには違いがありました。
また、APDは難聴と必ず切り離されるものでもありません。幼い頃から聞き取りにくさが続く場合のほか、加齢や脳の病変などに関連する場合、耳の難聴に伴って生じる場合も区別されています。
つまり、APDと難聴は「どちらか一方を選ぶ」という関係ではないのです。
検査では、雑音に埋もれた言葉を聞く課題、早口の音声を聞く課題、左右の耳に異なる音を聞かせる課題などが使われます。ただし、その成績には注意力や記憶、言語の理解も関わります。
診断名を急いで決めるより、「どの場面で、どんな情報が抜け落ちるのか」を明らかにするほうが、その後の対策につながります。
聞き取るだけで、頭がいっぱいになります
会議では、話を聞きながらメモを取り、次に自分が発言する内容を考えます。ほかの人には何気ない作業でも、聞き取りに困っている方にとっては、声を理解するだけで多くの力を使う場面かもしれません。
ここには「注意」の働きが関係しています。
注意には、大きく分けて三つの側面があります。
一つ目は、必要な情報を選ぶ力です。地下鉄で目の前の人と話すときは、走行音やアナウンス、周りの会話の中から相手の声を選んでいます。
二つ目は、複数のことに注意を配る力です。会議で説明を聞きながら資料を確認する場面がこれに当たります。
三つ目は、注意を保ち続ける力です。長い説明を最後まで追うときに必要になります。
聞き取りが難しいとき、この三つのどこに負担がかかっているのかを考えると、困りごとの姿が見えてきます。
さらに、聞いた情報を一時的に保持するワーキングメモリも関係します。話の前半を覚えながら後半を聞く必要があるため、聞き取りに力を使いすぎると、内容を覚えておく余裕が少なくなることがあります。
おもしろいのは、注意や記憶の問題が、聞き取り困難の出発点とは限らないことです。
もともと注意を向けにくい場合もあれば、頑張って聞き続けた結果、疲れて注意や記憶が働きにくくなる場合もあります。
「集中できないから聞き取れない」と「聞き取ろうとする負担が大きくて集中が続かない」は、似ているようで意味が違います。
ADHDやASD、ストレスとも関係するのでしょうか
聞き取りに困っている方の背景を考えるとき、ADHDやASDなどの発達特性も検討することがあります。
ADHDでは、注意を選ぶ、分ける、持続させるといった働きが関係します。ASDについても、聞き取り困難との関連が研究されています。国内の研究では、聴覚の検査だけでなく、注意や記憶、ASD・ADHDの傾向も合わせて確認することの重要性が示されています。
ただし、聞き取りにくさだけでADHDやASDを判断することはできません。反対に、発達特性があるからといって、耳の問題や聴覚情報処理の難しさを調べなくてよいわけでもありません。
では、以前は問題なく会話できていたのに、仕事が忙しくなってから聞き取りにくくなった場合はどうでしょうか。
ストレスの強い環境では、集中力が落ちたり、物事を続ける力が弱くなったりすることがあります。そのため、仕事の負担や疲労、気分の状態も、聞き取りの相談では確かめたい情報です。
もっとも、ストレスがAPDを直接引き起こすと決まっているわけではありません。疲れているからという理由だけで、耳や聴覚情報処理の問題を片づけることもできません。
自分の状態を整理するなら、次の三つを振り返ってみてください。
- 子どもの頃から、聞き返しや口頭指示の苦手さがありましたか。
- 静かな場所と騒がしい場所では、聞き取りやすさが違いますか。
- 仕事が忙しい日や疲れているときに、困りごとが強くなりますか。
この答えだけで診断はできませんが、診察や検査で伝える情報になります。
聞き取り困難には、耳、聴覚情報処理、注意や記憶、発達特性、疲労などが重なっていることもあります。だからこそ、一つの原因に絞り込むことだけを目標にしなくてよいのです。
大切なのは、自分が聞き取れない場面を知り、その場面を少しでも聞き取りやすく変えていくことです。原因を調べるのと並行して、職場での話し方や環境を調整する方法も考えられます。
職場では、聞く努力より「聞こえる環境」を変えてみます
会議中に隣の席で電話が鳴り、廊下から話し声が聞こえてきます。説明している人の声は十分な大きさなのに、肝心な言葉が周りの音に埋もれてしまいます。
こんなとき、もっと集中しようと頑張るだけでは限界があります。聞き取りにくさへの対応として、まず考えたいのは周りの環境を調整することです。
英国聴覚学会(BSA)は、APDへの対応を、聞く環境の調整、聴覚の訓練、聞き取りを補う工夫に分けています。このうち環境調整は、研究上の裏づけが比較的ある方法です。
具体的には、次のような工夫が考えられます。
- 席を変えます。 話し手に近く、周りの雑音が少ない位置を選びます。
- 反響を減らします。 カーペットやカーテン、吸音性の仕切りなどを利用します。
- 話し手の顔が見えるようにします。 相手にこちらを向いて話してもらい、注意を向けやすくします。
- 説明を短く区切ります。 複数の指示を一度に伝えず、途中で理解を確認します。
- 文字を併用します。 数字や名前、仕事の手順などをメモや資料でも確認します。
大切なのは、聞く人だけが頑張る仕組みにしないことです。
たとえば会議なら、聞き取れなかった内容を何度も尋ねるより、議題や決定事項を文字で確認できるほうが仕事を進めやすいかもしれません。電話で名前や数字を聞き間違えるなら、大切な情報を別の方法で確認することも考えられます。
文字やメモを使う方法は、成人APDでの効果が十分に検証されているわけではありません。それでも、聞いた情報をすべて頭の中に保持しようとせず、確認できる形に残すという実用的な工夫になります。
声を直接届ける機器は役に立つのでしょうか
周りの雑音を減らしても、会議室が広かったり、話し手との距離が離れていたりすると、聞き取りにくい場合があります。
そこで研究されているのが、遠隔マイクシステムです。
話し手が身につけたマイクの音声を、聞き手の耳につけた受信機へ無線で送ります。周りの騒音や反響、話し手との距離による影響を減らして、必要な声を届ける仕組みです。
2024年に発表された成人APDの研究レビューでは、聴覚訓練、低利得補聴器、遠隔マイクシステムを扱う13件の研究が検討されました。
聴覚訓練では結果にばらつきがあり、低利得補聴器には改善を示した研究があるものの、研究規模などに課題が残っています。一方、遠隔マイクでは比較的一貫して聞き取りの改善が報告されていました。
ただし、遠隔マイクのメタ解析に含まれた研究は3件で、対照群が設けられていないなどの限界がありました。すべてのAPDの方に同じ効果が期待できるとまでは言えません。
こうした機器を考える場合も、「何を使えば治るか」より、「どんな場面で声を聞き取りやすくしたいか」が出発点になります。
「聞き取れません」を、どう伝えればよいでしょうか
聞き取りの困難は、周りから気づかれにくいものです。静かな場所では普通に会話できるため、忙しい会議で何度も聞き返す理由を理解してもらえないこともあります。
そんなときは、病名を説明するより、困っている状況と必要な工夫を一緒に伝える方法があります。
たとえば、次のような言い方です。
「声の大きさは十分なのですが、周りで会話が重なると内容を聞き分けにくくなります。大切な指示は文字でも確認できると助かります」
「一度にいくつも説明されると途中から分からなくなります。一つずつ確認させてもらえますか」
「会議では話し手の近くに座れると聞き取りやすいので、席を調整したいです」
ここで伝えているのは、「仕事ができません」という話ではなく、仕事に必要な情報を受け取る方法です。
APDの評価でも、診断名をつけることだけを目標にせず、具体的な聞き取りの困難を整理して、それに合った支援を考えることが重視されています。
検査で原因がはっきりしない段階でも、困っている場面を言葉にする意味はあります。
聞き取りにくさを「自分の集中力が足りないから」と抱え込む必要はありません。耳の状態を確かめ、注意や疲労との関係を整理し、環境を調整するという順序で考えていけます。
音は聞こえるのに言葉が分からないという違和感には、調べる価値も、工夫する余地もあります。
よくある質問
Q. 聴力検査が正常なら、APDだと考えてよいですか?
聴力が正常でも聞き取りに困ることはありますが、それだけでAPDとは判断できません。注意や記憶、言語の働き、発達特性なども関係するため、困る場面と検査結果を合わせて考えます。
Q. APDとADHDは、どう見分けるのでしょうか?
ADHDに関係する注意の働きは、雑音の中で声を選んだり、長い説明を追ったりするときにも関わります。一方で、聴覚情報処理そのものの難しさが重なっている場合もあります。聞き取りの症状だけで区別せず、耳の検査と注意・記憶などの評価を合わせて考えることが大切です。
Q. 職場でできる、一番手軽な工夫は何ですか?
まずは話し手に近い席を選び、周りの雑音を減らすことから考えます。複数の指示を短く区切ってもらい、大切な情報を文字で確認する方法もあります。自分が特に困る場面を伝えて、取り入れやすい工夫から試してみてください。
参考にした資料(要約・再構成。原文の転載ではありません)
- 岡本康秀・小渕千絵・中市健志・森本隆司・神崎晶・小川郁「『聞き取り困難』における聴覚特性と背景要因」『日本耳鼻咽喉科頭頸部外科学会会報』125巻7号、2022年。
- British Society of Audiology『Position Statement & Practice Guidance: Auditory Processing Disorder (APD)』British Society of Audiology、2018年。
- Rachel Crumほか「Hearing rehabilitation of adults with auditory processing disorder: a systematic review and meta-analysis of current evidence-based interventions」『Frontiers in Human Neuroscience』、2024年。
- Allan Tasman・Jerald Kay・Jeffrey A. Lieberman・Michael B. First・Mario Maj編『Psychiatry, Third Edition』John Wiley & Sons、2008年。
- 中島美鈴『もしかして、私、大人のADHD?』光文社、2018年。
- 岡田尊司『ストレスと適応障害 つらい時期を乗り越える技術』幻冬舎、2013年。
- 八田徳高「聴覚情報処理機能の評価法の検討」『川崎医療福祉学会誌』31巻2号、2022年。
- 後藤文男・天野隆弘『臨床のための神経機能解剖学』中外医学社。